ケムトレイル・気象操作掲示版ブログ

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北九州ーオモニの慈顔 11日伊豆神社9時出発

2010年02月11日 | Weblog
伊豆神社9時出

オモニの慈顔
2010-02-11 (Thu) by ishibashi
石橋行受上人.
北九州、小雨にけむる宗像市より水巻町への訪問では、二晩を在日朝鮮人、二世のぺ トンノクさんのお宅にお世話になりました。

この方は現在、二代に渡り戦中・戦後の日本国の成して来た、歴史の生き証人でありました。
その事を現在は、その忌まわしい過去の悲惨な状況を繰り返してはいけないと、学校とかあらゆる施設を訪問し、朝鮮の文化や民族衣装を紹介しながら、お互いの国々の違いの中に、人びとが友好な関係を築いて行く事の大切さを伝えています。

そうして、そのお宅の一角に、さらなる生き証人としての人生を歩まれた、オモニ(母)と娘との写真が飾られています。

このペーさんの父親は、あの戦前より強制連行で日本に連れて来られ、八幡製鉄所での過酷な労働を強いられて、でもペーさんのオモニはそれでも日本に来て、血の涙を流すほど、その生涯は過酷を極めました。

かって、あの戦争では鬼畜米英と宣伝し、最後は日本国民の全体までも地獄の底に落とし入れたるその姿とは、本当の”鬼畜”とは、何処に存在していたのでありましょう。

あるいはそれは、すでに朝鮮の人々を強制連行で連れて来て、人を人とも思わない、そんな”仕打ち”をする事の中に、それはすでに日本国全体までも、地獄の底を体現せざるを得ない、そんな姿が存在していたのでもありましょう。

でも、そんな辛苦の底を体験し、93歳でその生涯を終えられた、オモニのそのお顔は、何と慈顔に満ちている事なのでありましょう。

それは朝鮮にいる時も、そして日本に来てからも、『日本人とは何と恐ろしき』 との思いの内に、それでも4人の子供達を育て行く事こそを支えとして生き行く中に、少しずつ日本の人々の”いい人たち”も存在する事を知る内に、あの深き瞳に秘めた慈顔となって、現れて来たのでありましょう。

それかかって、この度の沖縄からの行進を、『天地行』でならずして、”恨”みを解く為の『恨解行』と成する事を思っていたのですが、その『恨解行』を見事に成したるその生涯を、その慈顔の中に認めたのです。

でも現在は、そんな忌まわしい過去の体験があるのにもかかわらず、この日本では再びその歴史を繰り返す様な兆候が出ています。

そうして、そんな思いや行動とは、それは天地の摂理である因果の力によって、また同じ様な歴史へと遡る事を許してしまうことへと繋がるのでありましょう。

そうしてペーさんのオモニは日本に来て数十年になっても、ついには無識字であった為に80歳になって初めて日本語の勉強を始められました。
そうして学んだ日本語で書かれた言葉は、「 てがみをかきたい 」 という言葉でありました。

そうしてそんな思いで学ばれた日本語で、伝えたかった ” てがみ ” への思いとは、それははたして何であったのでありましょう。

だからペーさんは、今日もそんな思いを伝へたくて、いくつのも衣装箱や資料を準備して、日朝の友好と相互の理解を深める為に、時にはガソリン代にも満たない謝礼であるにも関わらず出かけて行かれます。

でもその様な姿を見つめて育って行かれたペーさんの娘さんのユヒンさんは、現在は福岡朝鮮歌舞団の中心となって、その美しき歌声だけでなく、その身に纏う衣装と共に、人として、そのこころや姿の美しさを広めておられます。

それは在日朝鮮の家族の方々各々の、三世代にわたり平和を祈り伝える、語りべの姿となって、この日本への”贈りもの”として残してくれているのでありましょう。

日本山妙法寺 石橋行受 合掌 礼拝。