ケムトレイル・気象操作掲示版ブログ

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韓国巡礼Walk9に参加した韓国と日本の若者が昨夕ピースウォークに合流

2010年03月12日 | Weblog
昨年韓国巡礼Walk9に参加した韓国と日本の若者が昨夕ピースウォークに合流しました。そして昨日から長船町の和太鼓教室を主宰されている稽古場にご厄介になっていますが、昨夕はマクロビオを勉強された方が食事を用意して下さり、黒米やヒエを混ぜた玄米に全て野菜を使った料理で健康食そのもので、美味しく頂いたうえに、コンビニ弁当などで痛めた胃腸の回復となりました。

昨日の霙まじりの雨は止んだものの今朝も冷たい風が吹いており、そんな中でも9条の会びぜんのメンバーの方々が激励に立ち寄って下さりました。
今日のウォークには宿泊させていただいている教室の主宰者、関係者も加わって下さり、平均年齢は60超から一気に30ほどに下がっています。
やっぱり若い人の笑い声が聞こえるウォークはいいですね。上人の読経の声も何気に華やいで聞こえます、(たけ)

3月22日(月)大阪府・柏原市から大和高田市から日程

2010年03月11日 | Weblog
3/11 〜赤穂市
3/12 〜相生市
3/13 〜姫路市
3/14 休息日
3/15 〜加古川市
3/16 〜明石市
3/17 〜神戸市
3/18 〜西宮市
3/19 〜大阪市
3/20 休息日
3/21 〜柏原市
3/22 〜天理市
間が抜けていますが、3月22日以降の日程。

3月22日(月)大阪府・柏原市から大和高田市
JR電車で移動
JR高田12:00着( 出迎え森本)昼食おにぎり
1:00~3:00 さざんかホール  「大和高田歓迎集会」
3:00~5:00 市内行進  さざんかストリート商店街商店との交歓、大衆演劇館「弁天座」の役者さんと交歓、近鉄高田駅前でストリートパフォーマンス
6:00~歓迎交流会(森本宅)森本の友人森田氏提供の野菜を使って森本一家による手料理でもてなす
宿泊   個人宅に泊まっていただく
●3月23日(火)
9:00大和高田市役所前にて出発式 大和高田市長歓迎挨拶
市内行進 途中たんぽぽ保育所の園児らと会って園児らからジュゴンの折り紙のプレゼントをもらう。
広陵町を通り河合町へ
12:00河合町 昼食休憩   健生会河合診療所の協力を得る
斑鳩町長の歓迎挨拶
宿泊  (前回と同じ)個人宅を頼む
●3月24日(水)
9:00斑鳩町役場出発
大和郡山市役所前到着 市長歓迎挨拶を要請
12:00唐招提寺到着 昼食 唐招提寺の協力により昼食提供
15:00奈良市役所 市長挨拶を要請
17:00般若寺 原爆の灯前で住職の挨拶を受ける
宿泊  未定 般若寺に泊めてもらうか、奈良市内個人宅をあたってみる
●3月25日(木)
11:39奈良駅出発 みやこ路快速
12:00JR宇治駅到着 おにぎりで昼食
13:00集合
13:30宇治市へ申し入れ
14:00ピースウォーク開始
15:00大久保自衛隊駐屯地前ゴール・解散 →京都市内へ

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「欺き続けた責任重い」=被爆者らが憤りの声-広島、長崎

2010年03月09日 | Weblog
「欺き続けた責任重い」=被爆者らが憤りの声-広島、長崎
3月9日17時34分配信 時事通信

 外務省有識者委員会が9日、日米間の核持ち込みの「密約」をめぐる検証結果を公表したことを受け、広島、長崎の被爆者らは「国民を欺き続けてきたこれまでの政府の責任は重い」などと憤りをあらわにし、非核三原則の法制化を強く求める声を上げた。
 日本原水爆被害者団体協議会の坪井直代表委員(84)は、「こそこそと国民を欺くように行っていた最低な政策だ。絶対に許し難い」と切り捨てた。「いかなることがあっても核は持ち込ませてはならない」と話し、三原則の法制化を訴えていく考えを示した。
 「今まで自分たちが訴えてきたことは一体何だったのか」。広島県原爆被害者団体協議会の金子一士理事長(84)はこう憤り、「今後は裏も表もない外交を構築し、核廃絶を身をもって世界に示すことが必要だ」と語気を強めた。
 一方、長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長(78)は「国民をごまかし、一部の政治家や官僚で大事なことを決めてきた。民主主義の危機で、被爆者以前に一国民として許せない」と批判。「非核三原則に実効性を持たせるため、被爆者が最後の力を振り絞り、核の悲惨さを訴えていかねばならない」と話した。
 元長崎大学学長の土山秀夫さん(84)は「長崎にとって非常に神経質な問題。国民を欺き続けてきたこれまでの政府の責任は重い」と指摘。長崎原爆遺族会顧問の下平作江さん(75)も「原爆を投下されたにもかかわらず、核持ち込みを暗黙に許していたなんてとんでもない。現政権には被爆国として、非核三原則を法制化してほしい」と求めた。 

【関連ニュース】
・ 核搭載艦船の寄港は「密約」=半島有事・沖縄肩代わりも-持ち込み「排除できず」
・ 〔解説〕四つの「密約」とは
・ 核密約、10政権でリレー=「佐藤-海部」記録が裏付け
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米軍が山口県岩国基地の海兵隊戦車揚陸艦内に核兵器を持ち込み

2010年03月08日 | Weblog
米軍が山口県岩国基地の海兵隊戦車揚陸艦内に核兵器を持ち込んで保管し有事の
際数時間以内に同基地飛行場の航空機に搭載され

て攻撃に出発できる体制を取っていたことが暴露されました。暴露したのはライ
シャワー元駐日米大使の特別補佐官だったジョージ・パッカード氏で

毎日新聞の取材に答えて「核兵器の常備体制」は1966年の少なくとも3カ月
間だったとのこと。

大手マスコミは今頃になって「核兵器の持ち込みと常備体制」の事実を報道しま
したがずっと前からこの事実を知っていても書かなかっただけでしょう。

毎日新聞のスクープなどではなく毎日新聞の「反核」のアリバイ作りでしかない
のです。

米国は「非核三原則」の建前を尊重すると言いながら自民党政権の了承の元実際
は「植民地日本」でやりたい放題やってきたのです。

*■ 元駐日米大使補佐官:「岩国で核保管」66年に3カ月以上*

2010.03.07 毎日新聞

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100307k0000m010096000c.html

岩国基地(手前)。写真奥は岩国市街=本社ヘリから田中雅之撮影
岩国基地(手前)。写真奥は岩国市街=本社ヘリから田中雅之撮影

 【ワシントン古本陽荘】ライシャワー元駐日米大使の特別補佐官だったジョー
ジ・パッカード氏が、毎日新聞の取材に、米軍が1966年の少なくとも3カ月
間、岩国基地(山口県)沿岸で核兵器を保管していたと証言した。同氏による
と、核兵器を搭載した艦船を「ほぼ恒常的な形で」配備し、核攻撃に備え、
「(一時的な)通過とは言えなかった」という。

 パッカード氏は先に米外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」で、当時米軍
が沖縄から本州へ核兵器を秘密裏に持ち込んだことを明らかにしていた。

 同氏によると、核兵器は、海兵隊の戦車揚陸艦内で保管され、揚陸艦は岩国基
地に隣接する係留施設に留め置かれていた。核兵器は有事の際、数時間以内に同
基地飛行場の航空機に搭載され、攻撃に向かう可能性があったという。

 国防総省の当時の首脳らもこの事実を把握。ワシントンで行われた会議の際、
国務省の担当者がいる前で国防総省幹部が、岩国の核兵器に言及したことから偶
然、発覚した。

 60年の日米安保条約改定の際、米軍が核兵器を日本に持ち込む際には、日米
両国の事前協議の対象にするとされた。さらに、核兵器を搭載した米軍航空機や
艦船の寄港や通過については、事前協議の対象とはしない「密約」があったこと
が判明している。核兵器の常時に近い形での配備は、これらに明確に反するもの
だった。

 パッカード氏は「岩国の核兵器は許容される『通過』には当たらないとライ
シャワー大使は即座に判断し、激怒した」と証言。辞任して暴露する可能性に言
及して、米軍に撤去を求めたという。

 さらに、米軍の意図については「日本では誰も気が付かないという判断の下、
秘密裏に配備された」と分析し、「ライシャワー大使の姿勢は米軍に対し、日米
の取り決めを順守するよう求める警告になった」と強調した。


 ◇ジョージ・パッカード氏

 1932年生まれ。63~65年にライシャワー駐日米大使の特別補佐官を務
める。ニューズウィーク誌記者、ジョンズ・ホプキンス大高等国際問題研究大学
院長などを経て、98年から米日財団理事長。近著に「ライシャワーの昭和史」。

(終わり)

総合.これまでの訪問した市長様からのメッセージ等のリストです。

2010年03月08日 | Weblog
これまでの訪問市長からのメッセージのリストです。 3月1日
2010-03-02 (Tue) by office
総合.これまでの訪問した市長様からのメッセージ等のリストです。
コメント欄に入れますのでそこでクリックsするのか、こちらは濃いぺしてアドレスに入れてクリックしてください。

CITY OF NAGASAKI メッセージ 2月26日
長崎市長 田上富久様
http://peacewalk.xrea.jp/news.php?itemid=188

山口市長 渡辺純忠様からのメッセージ 2月15日
山口市長 渡辺純忠様
http://peacewalk.xrea.jp/news.php?itemid=149

2010ピースウォークfrom沖縄 下関歓迎挨拶 2月12日
下関市長 中尾友昭様
http://peacewalk.xrea.jp/news.php?itemid=143

「2010年ピース・ウォーク from 沖縄」長崎出発式(市長挨拶)1月24日
長崎市長 田上富久様
http://peacewalk.xrea.jp/news.php?itemid=73

1月6日の報告
伊波宜野湾市長の話を聞く 1月6日
http://peacewalk.xrea.jp/blog.php?itemid=42

尾道市から福山市鞆の浦へ

2010年03月05日 | Weblog
尾道市から福山市鞆の浦へ
2010-03-05 (Fri) by admin
3/5(金)~~~福山市夕方着、★鞆の浦に移動、ポニョの舞台です。
     新田久子さんの☆ギャラリー“さらすわてぃ”で近所で風呂の後、夕食と交流会です!!!
     泊まりはMさん宅。 
 3/6(土)朝・9:30分JR福山駅前に集合、挨拶して出立~
      東福山駅から西阿知駅まで交通機関等で移動か、
     西阿知駅に12時頃着、昼食のあと午後1時頃出発、
     ~~~JR倉敷駅に2時に到着、
     倉敷の方々「9条の会」や「原水禁」などとビラまきとアピールをする。6日は、石村医院に宿泊 
 
 3/7(日)休息日 ★倉敷散策~美観地区を案内しましょう。岡山行楽園までもいけるかもしれない。
      
   夕方、吉備村塾で休憩、夕食と交流会等と宿泊、   2階は39畳一間の広々です。    
   諸設備完備、吉備村塾では食費はすべて割りカンで自炊が基本です。
その他.皆様多数のご参加・御支援をお待ちしております。
問合せ先
事務局:peacewalk2010(at)gmail.com ※(at)は@に変えてください
石橋上人: 080-3417-1892 080-3417-1892

3月3日

2010年03月04日 | Weblog
3月3日さて昨夜は日本キリスト改革派忠海教会の集会所に宿泊させて頂きました。唐見牧師に伺うとこの教会は100年前にこの地に建てられたと、近くには関連の病院や授産施設もあり、地域の民とともにあるようです。ここには、御利益(ごりやく)宗教でない、日本山と同様に真の信仰心が存在していると感じられました。(たけ)

大久野島を見る

忠海からしばらく歩いた所で、戦時中毒ガスを製造していたという大久野島が見えました。現在は国民休暇村がありフェリーで渡ることができるようです。曇りがちながらも、瀬戸内の島々に日が当たると何か神々しく感じられる風景の中行進を続けています。2時間強休まず歩いてから、すなみ海浜公園でそんな景色を見ながら少し早い昼食にしようかと話していた折、男性が軽トラから降りて来て蜜柑をたくさん下さいました。いつもながらの感謝です。(たけ)

※続く

3月2日

2010年03月02日 | Weblog
昨日に続いて今日も30kmを越える行進でした。私ごとですがウォークの疲れにコンビニ弁当の食傷が加わり体調を崩して、今日も昼でリタイアしようかなと思っていたのですが、うれしいことが重なり元気を取り戻しました。

まず昼食にしようと皆で話していた所、見ず知らずの若者が車を停めてコンビニで買って来たのでしょう人数分のペットボトルのお茶を届けて下さりました。そして昼に寄った安芸津の農家レストラン西野では接待してくれたおばちゃんに我々の行進の目的を説明したら御布施だと金一封と蜜柑を沢山下さりました。

更に、竹原市中心部を過ぎて的場という場所で、車から降りてきた奥さんに呼び止められました。我々の横断幕を見て気づかれたと、毎年の平和行進に参加され日本山の武田上人の話もされ、頑張って下さいと激励の一封を頂きました。因みにお札(オフダではなくオサツとお読み下さい)でした。

そして後刻その奥様が追いかけて来て、飲み物を沢山届けて下さりました。ご自分はキリスト教信者で、たまたま信仰する対象は違うけど、平和を願う気持ちは同じだと励ましの言葉を頂きました。本当に感謝、感謝です。このウォークはそのように心温まる支援者のおかげで実現出来ていると思います。そしてそれは願いを込めて歩いている石橋上人から滲み出ているお人柄のなせるワザだと思います。

ここには不毛な中傷や誹謗はありません。 ただあるのは石橋上人の優しい御心と温かい友好だけなのです。(たけ)