武蔵の一住民さんと私の歴史観にたいする食い違いというのは実はそんなに大きな問題ではない。言ってみればどちらも正しいのである。私は民主主義や国際秩序を考える上で現代の体制である国民国家型秩序に非常な閉塞感を感じている、そこに持ってきて現代日本の先進的歴史学はそうした閉塞感を打ち破るに十分な希望を与えてくれるのだ。そう言う意味では私の歴史観もイデオロギチック(こんな言葉があるのか?)といえるかもしれな . . . 本文を読む
ちょっと前に話題になっていた日中韓の共同歴史教科書が好評のようですね。以下に世に倦む日日と言うブログでの書評を一部抜粋しますが、この書評でも言われている通り日中韓の歴史認識として我々が改めて見てみると韓国朝鮮史については極端に知識が欠如していると思います。実際には日本と大陸の交流を考える上で朝鮮半島は常に欠かせない存在であったにも拘らずです。 . . . 本文を読む
日本の社会では個人が政治的な信条を主張することが、何か「偏っている人間」と見られがちだ。これは政治を執り行う人間とは権力闘争団体の人間であって、政治とはそれらの権勢の単なる覇権争いに過ぎない、と言う時代の名残である。つまり庶民が権力の奴隷であった時代の考え方であり、まさに奴隷根性の伝統である。
民主主義とは政治の主体が民衆にある体制のことである、個人個人が政治参加する体制のことである。日本国憲法の精神からすると偏っているのは当たり前なのである。言葉の使い方に語弊があるかもしれないが、これは誰でも他者から見れば偏っているのである。
貴方から私を見れば偏っているし私から彼を見れば偏っている、その偏ってもの同士が共存共栄する社会を民主社会と言うのであって、そうした政治的な偏りを根拠に「白眼視」する体制・社会こそが【全体主義】体制なのだ。 . . . 本文を読む
もしかしたら『否定論、肯定論』ともに言い分があって東中野の言い分もそれなりに説得力があるのかもしれない、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、重要なのは【東中野はそれを知っていて嘘の主張をしている】と言うことなのです。
例えば、この画像はこの渡辺さんたちが指摘しているように、元の映像を見てもLIFE誌を見ても、この赤ん坊が左手を失っている事がわかるわけです。これは東中野自身が「元 . . . 本文を読む