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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

子どもの心と向き合う (不安な感情)

2021-01-13 05:10:00 | 家族
病気の母親だから、その子どもに与える影響はどのようなものなのか。私は常にそれが怖くて怯えていました。

数年前、よく通っていたペインクリニックの先生からは、
「ガンの患者さんのお子さんたちも、あなたの娘さんと同じくらいでね」
と話してくださったことがあります。これは発言されませんでしたが、その患者さんはおそらく余命宣告されるような病状で、治療と療養に励んでいらっしゃるのかと推測されました。少なくとも私よりもずっと病状が良くないことだけはわかりました。
「その子たちは、慣れてる私たちよりさらに普通なのね。お母さんが隣にいてくれるから、むしろのんびり落ち着いて遊んでいる感じ。子どもは慣れるのも早いけれど、病気とかは関係ないのよ、といつも思っていたけど、つくづく思ったわ。」とのことでした。

確かに、娘は横たわる私の近くに来たら遠くに離れたりいろいろ縦横無尽に動き回って遊んでいましたが、見えなくなると不穏な状況に陥るのに、見える位置にいればとりあえず何でもオッケーな感じでした。
むしろよく笑う子で、えんぴつが転がって笑うとよく表現していました。笑い上戸なのは今も変わりません。

およそ外見からは、病気の子どもであることの悪影響は感じられない子どもです。のんびりマイペースで、よく笑い、よく泣き、よく考え、かと思いきや全く考えずに行動して怪我したり、なんとまあ呑気で幸せそうな子どもなんでしょうと母親の私ですら思います。
「病気の母親だからと言って、何も違わないわよ。」
そして娘は問題なく育っていると励ましていただきました。治療していただけるだけでもありがたいのに、なんともはや、本当にありがたいことでした。

ところが、打ち消せない不安は常にありました。私が思う娘の問題は以下の点でした。
①競走を好まない。笑いが大好きで、友だちとの関係では勝ちにいかない。むしろ負けに行くイメージ。
②マイペースすぎる。1人の時間を謳歌し過ぎる。周囲の目を気にしないように見える。
③妙に鋭く、秘密を作ると何で何でと繰り返す。母親がいなくなることに対する恐怖心が他の子どもより強すぎる。
発達障害を考えたこともありますが、どうも違うようでしたし、周囲から指摘されたこともなく、むしろ否定され続けました。
そこはかとない不安を抱えたままでしたが、ついに恐れていた事態が起こりました。私が生まれてこなければよかったのではないかと言いだしたのです。

私が病気になったのは出産がきっかけですので、娘が生まれてこなければよかったと言い出す心配は多々ありました。従って常に
私が病気であることと、生まれてきてくれたことは話が違う
私はあなたに会えて、本当に幸せ
と伝え続けていました。

そもそも病気のきっかけを話すのも躊躇っていました。話した理由はふたつ。将来知って驚かせるよりいいかなと思ったこと、そして医療機関に同行させることが多く、出産きっかけという発言は聞かされてしまっているので、適当に濁して話したところで逆に不信感をあおるだけだなと思ったためでした。

今は、生まれてこなければ良かったとは微塵にも思っていないようです。きちんと説明しましたし、頭では理解できたようです。
しかし、湧き上がる不安な感情はそれでも打ち消せないようなのです。

細かな内容は一端割愛しますが、大きくなった娘からの談話は非常に興味深く、やはり病気の母親の影響力は並大抵ではないなと思い知らされています。
自ら回顧するところによると「私はまだ小さかったから、わからなかった」という発言がかなり言い訳のように出てくるのです。が、頭でわかった今でも当時と同じ感情が湧いてきてしまい、
「お母さんがいなくなったらどうしよう」
という不安が常につきまとっているようです。

私は今すぐ死ぬ病気ではありません。それは伝えているし言葉ではわかっています。しかし、子どもの目から見たらそんなことはないようなのです。
おそらく、母親がいなくなるかもしれないという恐怖心から逃れるために、ひとりで遊ぶことが得意になり、笑うことがとても良いことに気づいたのでそれを取り入れ続けているのだと思います。抑圧していないだけマシだと私は考えていますが、この小さな頭と体で、と思うだけで涙が出てしまいます。

そんな娘が1番不穏になるのは私が病院に行く日でした。
同行していてもとにかく悪い子になるのです。待合室ではそれなりに良い子の状態で本を読んだらして過ごすのに、診察室では私にまとわりついたり、やたら話しかけてきたり、そわそわが止まりません。
数年後にようやくわかるのですが、そのままお母さんが入院してしまったらどうしようと思って、いてもたってもいられなかったと話してくれました。

私は娘が大好きです。
この子がいなければ、私は生きていないとつくづく思います。
私の命は、この子に寄り添うためにかろうじて救われたのだと思っています。

愛情は相手に伝わってなんぼのものですから、どれほど大好きであると伝えたか、わかりません。娘も私が愛しているということを一点の曇りもなく信じており、そして迷惑がることもなくその愛情を一身に受け取ってくれています。
「だいすきー」と言うと「知ってるよー」とか「わたしもー」「だいすきー」と言ってくれます。
しかし、愛情をいくら感じていても、つきまとう母親がいなくなったらどうしようという感情を打ち消すことはできません。頭では理解できるようになってきた今でも、感情はそれを許さないようなのです。どうして泣いたりしてしまうのかわからないと、言うのです。


大袈裟な、とも思うのですが、核家族の弊害だなとも思います。私が倒れて苦しむ姿を初めて見た時、主人は慌てて救急車を呼びました。かなり狼狽したとのことでした。主人は医師で、研修時に救急部にいたこともあるそうです。吐血する患者さんの喀血に白衣を汚しながら心臓マッサージやら挿管やらとしてきた人間が、軽くパニックになったと言うのです。この母親の姿をこの子は見続けたのかと、申し訳なく思ったそうです。

子どもは空気を読む天才だと言います。
どんなに医学的に大丈夫と言われても、ダメそうだという瞬間を何度も味わえば、逆に医学的根拠の方が信じられなくなるのでしょうか。

娘と向き合う日々は、私が死ぬまで続くと思っています。私の意識消失という症状がなくならない限り、いや、もう今から無くなっても遅いでしょうか、とにかく娘の不安は並大抵ではありません。
私が死んでも大丈夫と、娘が思えるように、しなやかで強い人間に育って欲しい、そのための模索は続いています。
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