返す返すも、もう10年以上もの時が経っているとは思えないほど、鮮烈な記憶として残っています。
現在進行形で苦しむ方や、避難をする方もいらっしゃるとのことで心は傷みます。
被災地への支援、は今後も続けていかなければならないことなのですが、
逆に思い出して負担になるという声も少なからずあるとのことで、
今後の支援については、お声かけなどについても考えなければいけないのかもしれません。
(個人的には買い支えは良いことだろうと思っていて、東北の商品を好んで買っています。)
私はそれなりに用心深い人なので、この前にも避難グッズは用意してあって、
なんというか、置き土産として実家にも使わなくなった私の合宿用のバックに避難グッズは入れてあったので、
母はひとり、それを抱えてしばらく時を過ごしたようです。
避難グッズはあると実際に役に立ちますが、心の支えにもなるようでした。
遠く離れて住んでいたので、あれだけ通信網が遮断された中にあって、私自身も「避難グッズがあるんだから、母も大丈夫だろう・・」みたいな心の支えになっていたと思います。
備えあれば憂なしとはよく言ったものです。
しかし、実際の想定はそんなものではありませんでしたし、思いがけないことの毎日で、準備不足を痛感しました。
そして報道される事実が、現実のものだとは信じられなかったのも覚えています。
最近になって、ようやく当時のドキュメンタリーなどを観ることができるようになりました。
『遺体』という作品は、報道されなかった現実を教えてくれました。涙なしには観られませんが、さまざまなことを考えさせられました。
「生きることを支援するために医師になったはずなのに、死亡宣告ばかりしている・・」と医師役の佐藤浩市さんが言ったかと思えば、
隣で夫が
「死亡宣告がないと、遺体に誰も触れないんだ。だから医師が必要なんだよ。こんな重要で過酷な仕事はない・・。」と真剣に画面を見つめていていました。
今日は、犠牲になられた方々へのご冥福をお祈りするとともに、私自身も身を律する1日にしたいと思います。
また、次世代への防災教育をきちんと行って参りたいと思います。