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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

症状②(健忘)

2021-01-22 02:52:00 | 病気
これは本気でやばいです。
健忘とか忘れっぽくなったとかではない。脳の機能が落ちたとしか思えないんです。

どんな具合かというと、私はサザエさん状態とよく表現していますが、
「アレ?私、何しにここに来たんだっけ?」
という状態。
よく、冷蔵庫に来たはいいものの、何を取りに来たんだったか、と悩むサザエさん。案外戻ると思い出すのよねーとばかりに居間に戻り、あっ!そうだったわ!なんて展開です。

こんなのはどなたでも日常茶飯事なのでしょうが、私の場合はこれが基本なのです。

お化粧は、できないことが多かったですが、それでもしなければと思う日はあります。それを忘れたりするのです。出かける時にあれ?となる。
忘れるとかいうことを想定しなかったことまで忘れるので、それに気づいた時は自暴自棄になるか呆然とするか、当初はそんな感じでした。

ということで、毎朝の日課として、メモ帳にやるべきことを書きます。
外出予定の時はカバンに入れるものも書きます。
予定された外出ならば前日に大体の荷物を用意しますが、突発的な場合は朝にまずメモします。

元気な時からTodoリストとして活躍してるのが付箋です。
1枚1リスト、終わったらはがす。
冷蔵庫に日をまたぐリストは管理していました。

私の健忘対策は
メモ帳
付箋
という超アナログなやり方で今も乗り切ろうとしています。
やっぱり便利です。先人の知恵!

ただ、情け無いなぁと思うのがメモ帳に並ぶやることリストが
せんたく
そうじき
ゴミ捨て
食事
ごはんをたく
化粧

持ち物
ティッシュとハンカチ
ウエッティ
お菓子セット
ゴミ袋ほじゅう

みたいに、当たり前のことが並ぶのです。
当たり前のことこそ忘れるんですよね。

だから、仕方ないんですけど、なんでこんなこと書くかなあって思いながら書いて、書いたのに忘れたし!みたいなことも往々にしてあるという、抜群の健忘ぶりを見せつけます。

親戚のお家に行こうとか、運動会などの行事の時は、主人と荷物はダブルチェック。忘れて泣くことが続いたので、ダブルチェックをしようということになりました。

勉強なんてもちろんもってのほか。予定は全部忘れます。毎日何回も手帳を開けて確認します。予定がないことを。

幼稚園のお迎えの時間なども、容易に経過するので、目覚まし時計が鳴るようにセットしてありました。

そして極め付けは、起こった出来事を記憶できないことでした。覚えられないのです。
記憶がない、という状況に陥るほどの具合がどんなものかはわかります。頭に霧がかかったようにどんよりしており、何より目がおかしくなります。よく見えませんし、開けられません。

年少の時の運動会の朝、それがわかったらしいのですね。
朝からわんわん泣いて、もうおしまいだとわめく私を担ぐように家族は連れて行ってくれたらしいです。主人が閉口した思い出のひとつとしてよく挙げます。両親を呼んで連れて行ってくれたと。娘はどうだったんだろう。
泣いた記憶は多少あるけれど、案の定運動会の記憶はありません。

私の手から、思い出がこぼれ落ちて流れていくのは、苦痛に耐えてまで生きる理由がわからなくなる、最悪の症状でした。

ホルモンの欠乏という現象は、更年期とか、ホルモンバランスなんて軽い表現があるし、誰もが生きていれば自然と起こるのだから、なんて思っていましたが、なんら耐えがたい症状を引き起こしてくれます。心身共に機能を衰えさせてくれる、実はかなり兇悪な現象なんだと知りました。

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暗い!暗い!

2021-01-21 14:18:56 | 病気

すみません、超暗い!今、体の不調と共に精神的にも沈みがちなようです。

 
元々、楽観的で3歩歩いたら嫌なことは忘れちゃうような子どもでした。そして体は健康優良児でしたから、特に幼少期は無敵でした!笑
 
心身ともに健康な私だったんですけど、社会というものに触れる機会が多くなるにつれ、無敵艦隊は隊列が乱れ、そしてついに病気になって沈没しました。
 
病気って、すごいですよ。そういう意味では。
生活を180度変えてくれるので、否が応でも逃げられないので、いかに自分が漫然と現状に流されて生きてきたかがわかります。
本気で逃げたい!こんな辛いことってあるの?あっていいの?なんて思います。
 
他の方も、病気を凌駕する苦労って、死別とか、結局人間の生死に関わっていたりして、生きる上で出会いたくないテーマだなあとつくづく思うのです。
 
 
そして。
無敵の鉄砲玉は、さびさびになってここに佇んでいます。
それは、また最近電池切れ(業界用語です笑)を起こして倒れることが出てきてしまってて。
いい得ようもない、虚無感が、私を包んでしまっています。
 
暗い、暗い。
でも、この暗さを見せてこそ、このブログの意味があると思ったので、内容は薄っぺらいし、読んでてつまらなくても、書くことにしました。
 
電池切れは、何かが欠乏して倒れること。何かはわかっていれば簡単なんですけど、正確にはわかっていないので、実はまだ手探りだったりします。7年。。。
副腎クリーゼのような時もあれば、低血糖のこともあれば、低血圧だったり、しかしそれぞれ症状が違ったにせよ、倒れていく過程にあってそんな分析を施していられないのです。対処法はそれぞれステロイドホルモンの服用、砂糖の服用、塩の服用、その他水を多めに飲むなどがあります。加えて、複合的なこともあるので、どれかひとつだけ行えばいいというものでもありません。
 
コレらに加えて、去年、豪快に倒れたときから、おそらく甲状腺ホルモンの欠乏によるクリーゼが起こっている、と、最近わかってきました。
 
最近、頻繁に検温します。それでやたら体温が低い時があるなあという話にはなっていたんです。時間によっても違う。
検査データも謎にガタガタしているらしくて、こんなのはあまり見ないと。
 
つい先日倒れた時、寒くて奥歯がガタガタ鳴るのに、汗が吹き出てパジャマごとシャワーを浴びたような状態になるまでになったんです。これは異常も異常。精神的に冷や汗をかくにしても、レベルが違う。
ステロイドをレスキューで足しましたが、多少の改善は見込めるものの、根本は変わらず。
検温したら35℃。
ちょっと待ってくれと。
 
即座に娘が主人に電話しまして。娘の判断です。こういう時の判断はかなり的確です。子どもってすごいですね。
私の携帯を掴んで、プルルルル。
7歳ももちろん戦力。
母親失格とか嘆いてる場合ではないのです。
ありがとう、助かります。ごめんね。
何だコレ、何だコレ。つらい。
息苦しい。
 
10分後コールバックも、娘静かに激怒。仕事中とはいえ携帯を放置するなと 笑。
パパも娘の対応に全く勝てませんので、怒られても言い訳ひとつしません。娘が電話をかけてくるというのはそういう時と知っているからです。
スピーカーフォンにしてくれます。
 
「コロナじゃないの?」
 
息苦しいという訴えだけで、突然聞いてきます。
 
「体温、、下がってますけど。極端に。匂いとか一応感じるよ」
 
パパはすぐに動転します。私や娘の方が冷静だったりするものです。医師も人間ですから、家族が危機的状況になると逆にダメなんだとか。根っからの仕事人間で、家族より仕事、なんですけども。それでも危機的状況になるとサッと吹っ飛ぶらしいです 笑。
 
「あゝ、そっか。ん?ええ?低いなあ。やばくない?」
 
「今、お風呂入れてるけど、そこまでいけないらしい。」
と娘。
 
「甲状腺じゃないか?なんで使われたんだ?とりあえず飲ませろ。チラージンだ、緑のシート。」
 
娘は薬箱に即座に向かいました。
 
「え?なんだって?」
 
「この間、低体温の症状について、真面目に論文読んでみたよ。そしたら甲状腺クリーゼの典型的な症状って。」
 
「くすりどこー?」
 
「薬箱の右手前の方」
 
「いつ測った?ステロイド足してからもダメ?」
 
「あった。お水今持ってくるよ。」
 
「ステロイド足してからは測ってない。つらいー」
 
情報、錯綜。
娘は淡々。
私はモタモタ。
薬を1錠飲むのに目も悪くなってるし、手もうまく使えないので、シートを渡されてからもナマケモノのように遅い動作だそうです。
結局、薬の名前だけ確認して、娘が出してくれる始末でした。
娘が報告します。
 
「飲みました」
 
「飲んだの?」
 
「飲みました」
 
「え?何を?」
 
そりゃ薬でしょうにねえ、と笑いながらパパに言うと、お、そりゃよかったと言って、状況を少し娘に確認をしました。しばらく話した後、何かあればまた連絡してねーと電話を切りました。
 
その間にも、お茶入れて。深部体温を上げるんだ!と、割と難しい言葉が飛び交い、娘は日本茶を私にいれてくれます。
はああ、おいしい。
日頃からやらせておいてよかった〜なんて思ったりして。たしかに熱いから危ないんですけれども、我が家で1番美味しくお茶を淹れられるのは娘です。
 
危ないよ!と主人には言われていましたが、ここは娘を信用しないと、と謎の自信を見せてきた私。本当は使えるものは使わないと的な発想かもしれませんけど。
 
 
しかし。こういう症状が出現すると、数時間は潰れる上に、その日まともな食事が食卓に並ぶことはありません。翌日まで影響が残ることもあります。いや、翌々日までか。しかも再発しやすくなるので、注意が必要な生活になります。
それらが倒れた時点でわかるので、悲しくなります。虚しくなります。
 
防ぐ方法がわからないので、こうして突発的に訪れる発作を受け入れるしかありません。
 
でも、心はなかなか。またか、と。こうして予定は入れづらくなるのです。私の気晴らしのために予定を入れ、ドタキャンかも、なんてできる相手は限られていますし。
 
病気の人が引きこもる、理由なそんなところにもあるのです。そしてまた気分がふさぐと。
 
仕方ないことと、この根暗な私を、今の私は受け入れているつもりです。

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症状①(最初に訴えていたこと)

2021-01-21 13:03:33 | 病気

私の病気はおそらく、下垂体前葉機能の低下により引き起こされたホルモンの分泌異常による影響と、そのホルモンのバランス等の変化により膠原病系の病気が発症した、その影響とがダブルで起こり、はっきりいえばくちゃくちゃのめっちゃくちゃでした。

とりあえず、私の症状はこんな感じでした。

・とにかくだるい。泥の中をほふく前進するようなイメージ。

・動けなくなる、気を失うこともしばしば。

・痛い。特に頭痛がひどい。

(背部痛からの筋緊張型頭痛か?と思いましたが、痛い)

・左腕が痺れる。

・手が思うように動かない。

・うまく走れない

・時に強い吐き気

・足の裏が痛い。歩けないくらい、ガツンガツン痛い。

・傷が治らない。会陰切開の跡は半年以上治らず、見た目でくっつくまでにも2ヶ月以上を要し、くっついたと言われてからもかなり痛かった。

・果てしない健忘

その他にも、目が見えにくい、本が読めない(文字がすべっていくよう)、筋力が落ちている、便秘、ものをよく落とすなど、とにかく不定愁訴と言われるような訴えの連続でした。

はっきり言い切ってしまえば、「人間として生命を維持する機能が全部落ちてます」ということでした。それを言いたかったんですけど、「具体的には?」となるので、あーだのこーだのと上記のように列挙しているとうるさい人だなあとなるのが常でした 笑

一気に90歳になったとも言っていました。

絶妙にわかりやすい表現だと思うんですけれども、それはそれで、「はい?」ってなもので、受け入れてもらえない。

今こそ言いたいですね!

一気に老化する症状です。

 

あとでわかることなのですが、ヘルパーさんに「お風呂、掃除しましょうか?」と問われたことがあります。大丈夫ですよ、それなりでいいんで、と返しましたが3回くらい連続で聞かれたので、そんなにも汚いのかなあ?と思ってお願いした、という経緯があります。要するに、本当に目が見えていなかったんです。汚れがわからないほどに、見えていないんです。

交通ルールを守れるほどには見えているんですけれど、霞がかっている感じなんですかね。

自分でもどう見えていないのか、よくわからないので、こんなにも見えていないのかと驚愕しました。

 

ヘルパーさん達は、私の症状を細かくみてくださるので、気のせいなのか症状なのかという自問自答が少なくなっていきました。

しかし、当初は自宅でひとり、苦しみもがいているだけなので、はっきりと自信を持ってこういう症状なんです!と言い切れずにいました。自分の訴える症状ひとつひとつにだんだんと自信を失っていきました。病院というのは、数値しか見てくれないことも多いので、なぜその症状が起こるのか説明がつかないと必ず、「お子さんもまだ小さいですからねえ」と言われるのが常でした。否定はされていませんけれども、気のせいと言われているようで、気の持ち用で何とかしなければならないという暗示がずっと続いていました。

ですので、ヘルパーさんにあなた全然ダメですよと言われるほどに「そうですよねえ」と、ようやく自信を取り戻し、今こうして堂々と話すことができています。7年の歳月を要しました。

苦しまれている方がいたら、ぜひお話してほしいと思います。

 

おそらく3PEを発症した日はあの朝だな、という地獄の朝が訪れました。

主人に肋骨が折れたような痛みだと訴えました。

何でこんなことになったのか、赤ちゃんの抱っこの仕方が悪いのかと自分を責め、布団に突っ伏して叫びたかったのですが、痛くてそれもできませんでした。

目の前には泣きじゃくる乳児がいます。

自分の体は二の次、頑張るしか他ありませんでした。

がんばればがんばるほど、あなたは育児をできていますと認定されるので、支援のお願いもにべもなく断られ、孤独というよりも世間から突き放されてしまったような、そういう虚しさがありました。医療につながらないということは、支援もない、世の中から隔絶されてしまうことを意味しました。

きっと、笑える日がくるはずだ、こんなに大変な思いをして育児をした日があったと、思い出になる日がくるはずだ、そう言い聞かせて1日1日を乗り越えていく、そんな日々でした。


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病名はあくまでも。

2021-01-21 02:41:00 | 病気
改めて
私の病名は
下垂体前葉機能低下症
悪性関節リウマチ(またRS3PE症候群)
です。

それぞれの病気について書きたいとは思いますが、一応ネットで検索すれば出てくる内容でもあるので、一度割愛します。
もうひとつは、それぞれ奇病でもあるので、「教科書」がないに等しい。つまるところ、手探りな中で治療してもらっているのです。

はい、この症状はこの薬が効きますよー

みたいに、方程式のように医学というものを考えていた私にとって、今でこそ違和感はありませんが、とまどいの連続でした。

敵を知るぞ!とばかりに資料を集めてみたところ、(正確には主人に論文を集めてもらった)恐ろしく少ないんです。
私でも読めちゃうくらい。
症状が出現する理由もよくわからないの連続。なんせ人数が少ないし、原因も突き止めたところで治療にならないから(進行性だからかな?)あまり追求してる様子がありません。
とにかく敵は、誰もわかっちゃいないことが判明するのです。

さらに、この2つの病気を合併しているケースなんて、もちろんどこにも書いてない。
だから、先生方も何だコレと言うに違いないことがポンポン起こるし、周囲からしたら変な処方がまかり通っていて、ともするとヤブ医者認定されるんです。(先生ごめんなさい。怖いのでその場であまり否定してないです。。)

ですから、今でも自分と向き合うことは一切やめてないです。
何でこんな症状が起こるのか、それを治すにはどうするのか、自分が主治医にならなければ守れない命がここにある、仕方ないことなのです。医師の専門性を無視してる訳ではなく、未開拓な領域なのです。
奇病と共に生きる大変さは、自分がパイオニアになる必要があるということですかね。お医者さんの言うこと聞いて、のんびり生きてみたかったんですけど。はああ。頭悪いのになあ。嫌な顔されるのももう嫌なんで、病院嫌いは助長されました笑。

ですから、病名とその教科書的な内容を追うことにあまり意味はありません。
そこで、しばらくは私の症状について書いていきたいと思います!


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ヘルパーさん③ (お料理のいろは)

2021-01-18 04:25:00 | 病気
ヘルパーというお仕事は、大変だなと思うことの方が多いのですが、意外なところでいくと、お料理です。

キッチングッズも材料もそのお宅にあるものしか使えません。
持ち込んで、マイ包丁!とか、この便利なキッチングッズで簡単クッキング〜なんて訳にはいかないのです。

大変なことあるあるなのは

あれ。何でキャベツが8玉もあるの?

みたいな、ひとつのものが極端に多いパターン。らしいです。

これはキャベツ使わなきゃね、となりまして、キャベツ祭りが始まります。

キャベツならまあ、千切りにはじまり、ポトフにしたりホイコーローにしたり、餃子やお好み焼きとバリエーションが豊富なので何とかなる。数回のご訪問で使っていこうという計画に。
でも足が早いものだったり、レパートリーが少ないゴボウとか、らっきょうとかだと閉口するとか。

ところが少ないパターンはもっと大変。
醤油がない。味噌もない。出汁もなければ、豆腐しかない。
というパターンはそれはそれは困ったそうです。

冷奴にすらできない。。。

いや、そりゃ困るしかないでしょうに。
その日のメニュー結局どうしたかは実は聞いていません。どうにもならなかったというようなことだった気がします笑


そんな感じなので、我が家も時にこんなの買っておいてーとか、これが便利だよとか、いろいろ教わりました。

もうひとつ面白かったのは、その日の食卓に並ぶもので、どなたが今日の担当か主人ですらわかるほど特色が出るということでした。
他のご家庭の家庭料理を味わう機会はほとんどないので、楽しい経験のひとつでした。

圧力鍋を使った料理も教わりました。
圧力鍋は私は使ったことがなかったので、新鮮で楽しかったです。


私に作らせたらおつまみばっかりなんですよー!というヘルパーさん。遠慮されてたのか本領発揮は実はしばらくしてから。
ヌタとか下戸の私はレシピどころか、そもそも食べたことがあるかな?くらいだったので、ヌタとか食べます?って聞かれたとかは「は?ナタですか?」みたいな危険な聞き返しをしていました。
飲まなくても、おつまみは美味しくて大好き!なので楽しいですが、そこは本格的に!と、ノンアルコール飲料をわざわざ買って夕食を楽しんでいました。


元々食品メーカーに勤めてらしたお料理上手なヘルパーさんがいらしたり。白だしの使い方や出汁もパックのものから顆粒のものまでどんな感じがよいとか見て学びました。
かぼちゃのサラダは簡単でおいしくて!我が家の定番レシピになりました。

そして
「私、料理苦手なんです」というヘルパーさんがいらしたり。
もう謙遜なさって、としか思わないのですが、時々大失敗したと言うのです。
利用者さんに白菜の餃子が食べたいとリクエストされたものの、作ったことがなかったとのこと。それでキャベツと同じ扱いで、白菜を塩揉みして水を出すのをしなかった。そうしたところ、皮が破れるほど水が出ちゃって、利用者さんが夕食前に焼こうとしたらフライパンに乗せられないことに、というエピソードが。

ヘルパーさんたち的には白菜の餃子は当たり前のレシピらしいんですけれど。
私に言わせると、私も知らなかった上に、餃子を作って、作り置きして数時間後に焼くのはリスキーなのでやったことがありません。。
そもそも白菜の餃子を食べたいという注文がわがままではなく、普通の注文なんだ!ということに驚いてみたりして笑。
そうかと思えば、人参の切り方はこう、大根はこうと決まっているので、そう切らないといけない、幅が太すぎやしないかとか気にしながら切るので、冷や汗ものとか。
ヘルパーさんの苦労はこんなところに転がってるんだなあと驚いたものです。ぎっくり腰とかももちろんあるけれど。

私もこだわりをいろいろ言ったとは思います。
でも、こだわらずに皆さんの得意料理が食べられる方が美味しかったので、あまり言わなかった気がします。皆さんにとってはどうだったんだろう?
私なりにとにかくめっちゃ楽しんでました。

ヘルパーさんたちのお料理、我が家にまだ生きてます。






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