千葉県出身ともちん部屋

新たなる趣味のベランダ果樹園、日々の暮らしっぷりや父のすい臓癌闘病など、なんでもかんでも書いちゃいます。

10月12日

2005年10月12日 22時55分02秒 | 親父のガン闘病
終業後すぐに会社を出、父を見舞いにいった。
昨日から38度程度の熱が出ているらしく、少し具合が悪そうだ。
お腹の中で菌が増殖しているために発熱している可能性が高い。塩酸バンコマイシンを静注。
昨晩から眠れない程度、縫合部が痛むらしい。
痛みが消えなければ、寝る前に塩酸モルヒネ投与をお願いしたらどうかと父にアドバイスをして帰って来た。
体調は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、だんだんと快方に向かっているように思う。

追記
膵臓と空腸の吻合部に隙間が生じている。生理食塩水で洗浄。

10月11日

2005年10月12日 22時48分34秒 | 親父のガン闘病
父の体調はすこぶる良好。私の従兄弟が見舞いに来てくれたのだが、元気な姿を見て喜んでいた。

今日から食事が始まった。重湯が3種類出たが、先生から半分しか食べないよう言われた。数週間ぶりの食事だったので胃が驚くかららしい。父はまったく気分が悪くなる訳でもなかったので、何も言われなければ完食できたそうだ。
私としては「つい忘れて全部食べてしまてしまいました」とやるくらいの気概が欲しかった、とは大きく出過ぎだろうか。

膵臓と空腸を吻合部の一部が破れたのか、少し穴があいているとのことだった。開腹して再縫合するのではなく、自然に肉が盛り上がって塞がるまで待つことに決まった。この部位に外から生理食塩水を入れ、洗浄を始めた。

10月10日

2005年10月10日 23時04分08秒 | 親父のガン闘病
夕方、病室へ。
さらに痛みは治まってきている。
今日、洗髪してもらったらしい。手術前日以来なので2週間ぶりだ。明後日、また洗髪予定。
父はうれしそうだった。
下半身浴も間もなく出来るようになるとうれしいのだが。。。

この3連休、毎日教授の先生が来てくれているらしい。
今日は「年が明ける頃には普通の生活が出来るようになるよ」と言ってくれたとのこと。

夕方の回診で、「明日、造影の検査をして、問題がなければ食事を始めます」と言われた。
何も問題ありませんように、と心の中で祈る。

今日現在、体から出ている(に入っている)チューブ
1、高カロリー輸液
2、点滴(塩・ブドウ糖関連)
3、血糖下げる薬(インスリン?)
4、RTBD(胆管チューブ)
5、膵管チューブ

10月9日

2005年10月10日 22時45分40秒 | 親父のガン闘病
夕方前に病室へ行った。
痛みは一日一日なくなってきてるそうだ。今日もすこぶる元気そうである。
3日ほど便秘だそうだが、何も食べていないので出る物もほとんどないので問題ないそうだ。
水や茶を飲み、更に点滴で入れているのでトイレが近い。
一日中、1時間半に一回はトイレに行かなくてはいけないので夜もぐっすり寝ることは出来ないと言っていた。
しかし、これもいい運動になっていると思った。どんどん運動して元気になってほしいと切に願う。

10月8日

2005年10月10日 22時40分52秒 | 親父のガン闘病
先週末以来、久しぶりに病室に行った。顔色もすこぶる良好。こちらも元気になる。
簡易トイレも片付けられていた。

父の姉家族と妹が見舞いに来てくれた。父はこの1週間でとても元気になっていたので安心したようだった。
すでに病室のフロアであればどこにでも行けるようになっているので、食堂で話をしたようだ。
痛みはまだあるようだが、塩モヒの投与をお願いすることはなかった。
帰るときはエレベーターまで見送ってくれた。

10月4日

2005年10月10日 22時31分15秒 | 親父のガン闘病
水分摂取が可能になった!水かお茶を1日500mL程度飲めるように。
もう一歩前進したようで、とてもうれしい!
今まではタンがからみ、口腔は乾いてひどかったのだが、これでかなりマシになるだろう。
早くご飯を食べられるようになれば一気に元気になれるのではと想像するだけで笑みがこぼれてしまう。
いまだ塩モヒの世話になっている。

10月3日

2005年10月10日 22時27分48秒 | 親父のガン闘病
腹水が引き続き漏れ出てくるので再度縫合。漏出は止まる。
今までの担当してくださった先生がチーム替えのために外れてしまった。非常に信頼していた先生だったので残念。
水はまだ飲めなかった。
父の状態が安定してきたので、今晩からは家族の宿泊はしない。

10月2日

2005年10月10日 22時20分24秒 | 親父のガン闘病
朝食を病院でとり、帰宅。昼過ぎに再び病室へ。

モリソン窩に入れていたチューブを抜くことができた。
酸素マスクから鼻酸素にかわっていたのだが、それも取れた。
下痢もひとまず治まる。
ベッドと簡易トイレの間で座り立ちはしていたが、
今日は担当の看護士さんが2台の点滴を転がし、父はちょっとした散歩に出た。
ゆっくりではあったが比較的普通に歩いていた。
かなりうれしかった!!親父、がんばれ!
このまま問題なければ明日から水を飲むことができるそうだ。

9月29日にチューブを抜いた部位から腹水がかなり漏れてきた。腹帯とバスタオルを交換。
今日は母が宿泊。

10月1日

2005年10月10日 22時08分09秒 | 親父のガン闘病
朝、一旦帰宅し、夕方前に再び病室へ行った。
尿管を外し、自分で尿を出せるようになる。
あいかわらず38度以上の高熱が続いている。
痛みがひどいと、すぐに塩モヒ。ほとんど寝ているような状態だが、起きているときもあまりうまく話せない。
今日も私が宿泊することになった。今のところ、チューブを抜こうとしたり蛮行はない。
22時から翌3時くらいまで1時間半置きに激しい下痢。昨晩同様に経口でバンコマイシン。
塩モヒも続けているので、お手洗いの時以外はよく眠っている。

9月30日

2005年10月10日 22時00分32秒 | 親父のガン闘病
ガン関連掲示板で、同じ病院で膵臓ガン(転移あり)の手術不可能な状態から化学療法とサプリメントによって見事克服された方を見つけた。さっそくサプリメントの情報をいただいた。食事ができるようになったら父を含めて相談し、使用を検討することにする。自分は製薬会社で研究していても、とにかく何にでもすがりたいと思う。

会社から直接病室へ向かい、そのまま宿泊することになった。母は帰宅。
父はオムツに排泄することを良しとしないため、昨日からベッド脇に簡易トイレを置いてもらっている。
お腹が痛くなると看護士と私で補助し、お手洗いを済ます。
21時から翌3時まで1時間置きに激しい下痢。2時過ぎに経口でバンコマイシンを飲み、3時以降の下痢は落ち着いた。
傷の痛みがひどく、塩酸モルヒネをしばしば入れてもらった。
タンがからみ、喉も乾くのでうまくしゃべれない。
ベッドの上で体勢を変えるのも自分一人ではできないので介護が必要だ。
このまま弱ってしまったら・・・と思うとひどく悲しくなってしまった。

9月29日

2005年10月10日 21時47分16秒 | 親父のガン闘病
昨日、胃管を取ることができた。

昨晩から39度~40度の高熱が出たらしい。朦朧としながらトイレに行こうと立ち上がり、高カロリー輸液、点滴などを無意識のうちに抜いてしまった(!)とのこと。
幸いにも膵液瘻、胆汁瘻、出血チューブは抜けずに、再開腹は免れた。
今後、このようなことは絶対に起こしてはならないので、父は拘束具をつけて朝まで過ごすことに。
今夜からは誰か家族が隣でずっと見なければならなくなった。今日は母が宿泊することに。

横隔膜の下に入れたチューブを取ることができた。チューブを入れていた穴を塞ぎ、縫合。

9月28日

2005年10月10日 21時36分06秒 | 親父のガン闘病
朝5時過ぎに起床し、姉と共に病院へ向かう。
とにかく、体中からチューブやラインが出ている。
1、胃管(鼻腔から)
2、高カロリー輸液(右鎖骨下静脈)
3、点滴2本
4、モリソン窩からのチューブ(腹腔に溜まる血を排出)
5、尿管
6、硬膜外麻酔
7、胆管チューブ
8、膵管チューブ(RTBDチューブ)
9、膵液瘻、胆汁瘻のチェック用チューブ
10、血糖を下げる薬(インスリン?)
11、酸素マスク
12、心電図モニター

病室で宿泊していた母は午前中の回診まで残り、結局11時過ぎに家へ連れて帰った。
途中、姉から写メールにて「新聞読んでるよ」との連絡あり。看護士と先生たちも驚いていたらしい。
先生によると、「順調」とのこと。
父はほとんど寝て過ごしていた。

ニワトリの卵の大きさ

2005年10月06日 09時16分01秒 | 普段のこと
先週、左手首にダニの刺し口っぽい跡ができてました。
ちょっとだけカユイの。
ダニの刺し口って蚊のそれとは違ってすぐ消えなくて、潰瘍化ってほどではないけど赤く残りますよねー。
で、その数日後。というか、昨日なんだけど。右膝裏の少し上が鶏卵程度に腫れました。今日も変わらず腫れてます。触ると痛い程度の腫れ方(分かるかな?)です。
こんなところにリンパ節(LN)あったっけ?などと思いつつ、なにが感染したのかとドキドキしています。
そろそろ39度以上の熱が出て、発疹もみとめられたらツツガムシ病を疑うのだけど、熱が出ねえ。
ライム病(ボレリア←スピロヘータね)?んー、なんだろ???
普通は感染部位の所属LNが腫脹する(左手首なら左の腋下LN?)はずだから、今回のダニと腫れは関係ないのかな。。。
このまま週末まで腫れてたら病院に行ってみようかな。

ここ最近

2005年10月04日 20時25分59秒 | 普段のこと
書くことがほとんどないです。。。

そうだなあ、
①28日の夜、(チョウセン)カマキリのメスが僕の車のドアにへばりついていた。そこで産卵されていたら今冬の雪深さが僕の車を見るだけで分かってしまうところだった。
②桃の落葉が始まりました。見た目、魚の骨みたいになりつつある。
③ブドウの苗を上原葡萄研究所に2品種予約注文を入れた。黄玉とブラックオリンピア。12月に到着予定。
④夜の看護婦さんってスゲエ。おおっと、これはどうなんだ?
⑤あいちゃん(猫)の甘えっぷりが激しくなってきた。

9月27日

2005年10月03日 22時50分32秒 | 親父のガン闘病
8時15分に手術室に移動するということだったので、7時半に病室に行った。
ちょうどストレッチャーが用意され、いよいよ手術へ向けて処置が始まることころだった。
その前に家族で写真を撮る。
父はまもなくストレッチャーに乗せられ、アトロピンともう一本を筋注。かなり痛い注射らしい。患者によって、これだけで寝てしまう方もいるらしいが、父は眠る気配もなく我々と話をした。父はまったく怖がる様子もなく、実にリラックスしている。
しばらく病室で話をしていたが、8時過ぎに手術室へと移動することになった。家族も専用エレベーターに乗り込み、手術室の前へと向かう。
その前で父は母、姉、私と順にハイタッチをしてそのまま手術室へと入っていった。

手術の開始が9時。普通は6時間程度かかるが、父の場合は血液凝固系が弱いのでそれよりは長くかかると言われていた。手術が終わり麻酔から覚めるまで1時間。おそらく6時くらいには対面できると予想していた。

昼過ぎに横浜に住む伯母夫婦が来てくれた。母が子宮頚癌の手術をしたときにも来てくれたので心強い。結局、父と対面できたのは夜の8時を過ぎてからだったのだが、それまで色々な話をしてくれた。私と姉が生まれたときのこと、大好きな飛行機のことなどなど、とてもおもしろいことをずっとずっと話してくれた。おかげで嫌なことを考えずにすんだ。
おじちゃん、おばちゃん、本当に感謝しています。

夕方4時過ぎくらいに看護士に手術室へ行くように言われる。
手術室の前室で切除した組織・器官を見ながら教授の先生から簡単な説明を受けた。
1、見えるガンは全て取り除けた。
2、全ての切除面にガン細胞がないことは細胞診で確認している。
3、腹水があったので細胞診に提出したが悪性細胞は見つからなかった。
4、肝硬変がかなり進んでいた。そのため出血が多くなった。

とりあえずガンは見えるものは全て取りきったということで、まずは一安心。
1時間程度で麻酔から覚めるとのことだったが、まったく出てくる気配がない。
母は、いつ出てくるか、と少しナーバスになっていた。確かに長すぎる。
結局、父が手術室から出てきたのは8時過ぎだった。
よく頑張ったとみなで声をかけた。父もうなずいていた。

すぐに担当医の先生が詳しい説明をしてくれた。新たな情報は以下の通り。
1、手術は予定通り終了。
2、出血が止まりにくかったので輸血を行なった。この出血はある程度予想していたので、輸血もスムーズに行なうことができ、術中に危なくなるようなことはまったくなく、よくコントロールできていた。計3700 mLの出血。輸血量も3700 mL。
3、ガンの位置は若干上に寄っていたため、胃十二指腸動脈の根部まで浸潤。ぎりぎりなんとか切除できた。
4、門脈にも一部浸潤or癒着の所見があったが切除できた。門脈にわずかに穴が開いたが縫合できた。
5、血管の縫合がかなりぎりぎりになってしまったので、膵液漏がひどければ血管がはじけることもあるかもしれない。膵臓と肝動脈の間に脂肪組織と人手術用糊を入れ込み、二重に防御はしているが、これから2日間が山。胃十二指腸動脈に垂れ下がり部分がないので、はじけたときは肝動脈自体を止めないといけないかもしれない。
6、父の体力がある程度回復したら、みなでこれからの治療方針を(予防的に抗ガン剤を使用することも含めて)相談しましょう、とのこと。

説明後、病室に戻ると父はよく眠っていたので母、姉と夕食に出た。
母は病室に泊まるため送り、姉と私は帰宅。
父の闘いと我々家族のバックアップはこれからがいよいよ本番である。