千葉県出身ともちん部屋

新たなる趣味のベランダ果樹園、日々の暮らしっぷりや父のすい臓癌闘病など、なんでもかんでも書いちゃいます。

次はどうしようかなあ・・・・

2005年08月30日 19時47分43秒 | ベランダ果樹栽培
枇杷の芽が出てきた影響かしら?
マイミクさんの日記の影響かしら?
どうも新しい果樹を育てたくなってきたぞ。
木は桃と枇杷があるのでちょっと違ったタイプがいいなあ、なんて考えていたら浮かんできました!
ブドウ!!!あんどん仕立てでかわいく育てるなんていかが?
オレの趣味、どこに向かっているのだ!?

那須の月とジャム

2005年08月30日 19時20分39秒 | 普段のこと
この週末にキャンプに行った会社の先輩後輩からお土産をいただきました。感謝感謝。
あとは写真を見せてもらって、お話を聞かないと!

「ちょっとお話したくって」ってメールが来たけど、充電切れた。
家の中は電波が弱すぎて途中切れしちゃうからアダプターから電源もらいながらお話ってのができないのよねー。
しょうがないよね。。。orz

8月30日

2005年08月30日 19時04分48秒 | 親父のガン闘病
明日、大腸検査の予定。今日の夜に下剤を飲み検査に備えるとのこと。
C大付属病院M先生から今後の必要検査を書いた手紙を現病院に渡しているので、それによるものだろうか。この検査が終わればあとは手術までやることはないらしい。転院が決まるまで自宅療養ができるのでは?
このこともあり、昨日、母が看護師さんにC大付属病院への転院の事と一時帰宅の件をドクターに聞いて欲しいとお願いした。夜、父から電話があり、「ドクターがきてくれ、木曜日に一時帰宅しても良いと言ってくれた」との連絡があった。家では母と2人だけで過ごすのは非常にさみしかったこともあり、少し安心。

枇杷の実生を始める

2005年08月29日 17時57分36秒 | ベランダ果樹栽培
食べた枇杷の種を7月1日に植えて芽が出るか見ていたのですが、ずっと出なかったので諦めて鉢に蓋をして放っていました。たぶん一ヶ月くらい。
久しぶりに蓋をとってみたら・・・
モヤシみたいのが二本生えてました。2個だけしか種を植えてないから発芽率100%だ。さすが。乾燥にも強いなあ。
この週末に培養土を代えて植え替えしてみました。
部屋の中でネコに見せると、1本を凝視して、、、「ぱくっ」。
「ぱくっ」って!!!
かじるなー!でもそんな動きのネコもかわいすぎです。
これで桃と枇杷のツープラトン。大きく育て!
ブドウもやってみたいなあ。。。
写真は植え替える前の枇杷の芽。

8月28日

2005年08月29日 10時52分49秒 | 親父のガン闘病
今日は姉と甥が帰る。その前に病院へ行き、父をピックアップ。かなり痩せたらしく、ズボンが落ちそうだった。私のベルトをつけてもらう。そのまま駅に向かい、「今度来る時までには病気を治して待ってるからな」と姉と甥を見送る。見送りに出られた事がうれしそうだった。
その後、猫のエサを買いに行き、ファミリーレストランで食事をした。病院では1週間点滴のみで過ごし、その後はお粥や少量のおかずだけだった父は、ご飯をかなり残す。いつもご飯のお代わりをしていたので信じられなかった。
家に帰ると、いつものようにソファーに座り、大リーグ中継を観戦し、時々うつらうつらしていた。新聞を読みながら「やっぱり家にいると落ち着くしいいなあ」としみじみ言っていた。
夕方遅くまでゆっくりした後、仕事帰りの母を病院の最寄駅でピックアップし、親子3人で食事をした。安くて美味しい中華料理屋だったので「おいしい」ばかり言いながら食べた。父はここでも残してしまった。
家族だけの食事がこんなにいいものなのかと気づく。心からとても楽しいと感じた。
病院の消灯時間に間に合わなくなってしまい、あわてて電話を入れたが、看護師さんも笑って許してくれた。
転院はまだ先になりそうな気配。明日母がC大付属病院へ電話で確認する予定。

8月27日

2005年08月29日 10時52分23秒 | 親父のガン闘病
姉とその子供達と一緒に一週間ぶりに父の見舞いに行った。
肝機能マーカーは全般的に次第によくなってきているが、ビリルビン値が約15 mg/dLを維持し、下がっていない。これが一桁にならないと手術ができないそうだ。
現病院での検査も食事制限もあまりないため、明日から外出が許可されることになった。さっそく外出の許可書を提出した。
あとは面会室に行き、他愛のない話をしていた。小2の甥が父のクロスワードクイズ本をするのだが難しすぎて解けないため、大人たちがみなでヒントをだす。甥はクイズの本が欲しくなったらしく、帰りに本屋で買って帰る。

タメ口でお話しするのに違和感あり

2005年08月24日 18時41分34秒 | 普段のこと
女性と知り合って、相手のほうから電話がかかってきたのは初めてです。
かなりびっくりしてます。というか、どうしていいかよく分かりません。
その女性はとても感じの良い方です。
9月にディズニーランドでも行きましょうという約束をさっそく締結しました。
最初っからTDL、いったいどうなるのでしょう。
このようなお話があと2つくらい連発すれば、僕もとうとうモテ期に突入したと言えるのかもしれません。言わせてくれ。ウソです。
まだ2回しかお会いしていないので、電話といえど、タメ口で話すのにまだ慣れません。

とうとう実家がブロードバンド化されました。
いままで2時間近くかかってダウンロードしていたOSやソフトのアップデータを1分もかからずに終了してしまいました。
あまりのことにアゴが外れてしまいましたとさ。めでたしめでたし。

このところ僕が家に帰ると、甥っ子2人が常時左右5センチ以内にへばりついて「のんちゃん、のんちゃん」言ってます。surrogate父さん?

越後獅子‘のり’、磯の香りのビスケット。海苔とビスケットは別々に食べましょう。

8月21日

2005年08月23日 19時10分34秒 | 親父のガン闘病
私の従姉妹が見舞いに。久しぶりだがまったく変わっておらず、久しぶりに笑った。
従姉妹を送る途中で喫茶店に寄ったのだが、そこが大当たり。昔ながらの店で昔ながらのかき氷。全員で盛り上がる。
顔色もよくなり、点滴もしていないし、食事も普通に近くなり、病人には見えなくなって来た。ほんとに治っていればいいのに。。。と何度も思う。
病院に戻り、昨日と同じように話をする。幸せな気分。

8月20日

2005年08月23日 19時10分11秒 | 親父のガン闘病
洗濯したパジャマ、タオル、下着を持ち、夕方前に見舞いに行く。
ステントが入り、黄疸も治まっている。昼から食事ができるようになったらしいが、まだ2種類のスープ(個体成分無)だけ。明日からお粥にグレードアップ予定とのこと。
父はベッドで、私はイスに座り、お互い新聞や本を読みながら時々とりとめもなく話をした。こんなにゆっくりと話をするのは久しぶりな気がする。
点滴も明日の早朝で終了とのこと。

8月19日

2005年08月23日 19時09分45秒 | 親父のガン闘病
会社を休み、CT、MRCP、造影の結果を持ってC大学病院肝胆膵外科のM先生と話をする。
1、膵臓頭部に腫瘍らしき影がある。転移像は見られない。
2、マーカーの数値から悪性と思われるが、現段階では「?」マークで構わない。
3、悪性の場合、膵臓癌か胆管癌のどちらかであろう。
4、肝臓周辺の腹水は、ガン性のものではないと考える。
5、この部位の癌は外科的に摘出しない限り治癒の可能性はゼロ。
6、手持ちのデータからは手術可能と考えられる。
7、手術のリスクは3%から10%程度と比較的高い。
8、できるだけ早い段階での転院と手術を考える。
9、説明後、入院の予約とPET検査の予約を入れる。

この部位の癌はたいてい手遅れで発見される事が多いことを知っていたので、光と希望が見えた気がする。現実のものとしなければ。
父の元へ戻り、M先生の話を説明する。強くうなずきながら聞いていた。「よし、分かった、よろしく頼む」と、戦う気持ちを見せてくれた。安心した。
担当医の先生が「チューブが胃壁に触れていたために気分が悪くなってしまったようです。壁からは離すようにするのですが、うまくいかなかったようです。申し訳ありませんでした」と何度も謝ってくれた。人間的に信頼できるいい先生だと思った。
母もようやく動揺が治まってきたようだ。

8月18日

2005年08月23日 19時09分22秒 | 親父のガン闘病
私は普段どおり出社。母は父の兄弟に連絡を取り、その後病院へ。父の姉も来てくれるそうだ。
会社では仕事がまったく手につかない。涙が時々止まらなくなる。席が一番はしにあることに感謝。
まだなにも確定していないのに、自分の中で勝手に確定させてしまっていることに何度も気づき愕然とする。
始業前と昼休みにいくつかの膵臓ガン体験者のHPを読み、人間の生きる力に感動した。
会社を定時に出て、見舞いに行く。父は夜中に呼吸困難に陥り、無意識のうちに胆管から鼻に通したチューブを抜いてしまったそうだ。黄疸が強い。先生が明日短いステントを入れて(胆管から十二指腸まで)くれることになった。
伯母を見送り、母と帰宅。
私達が元気で生活しているこの瞬間、ベッドの上で父はいったい何を考えているのだろう。
父のために、私が強く信じなければいけないし、何があっても絶対に逃げない、と強く誓う。一気に気持ちが楽になった。

8月17日

2005年08月23日 19時08分44秒 | 親父のガン闘病
いつもどおり出勤。入院に必要なものを母が病院に持って行っている。
私は午後半休をして夕方に病院へ駆けつける。CTは終わった模様。父は暇そうだ。
処置は6時頃から始まった。
昼ご飯を食べていなかったので、この隙にレストランへ。
父は病室を出て1時間もしないうちに戻ってくる。鼻から管が出て、黄色の液体が透けて見える。麻酔のせいか、父は少し混乱していた。
「病室に戻ってきたのか。頭の方向が逆じゃないか」と言う。
7時15分に先生が来て、造影とCTの結果説明を受ける。
1、診断は昨日のものでOK。
2、膵臓頭部に腫瘍があり、胆管と膵管を押しつぶして狭窄している。
3、腫瘍はまだはっきりした輪郭を持ったものではない。
4、良性か悪性かは分からないが、膵臓における良性の頻度は非常に少ない。
5、肝臓にアルコール性の変形が見られる。問題が一つあり、肝臓の周辺にわずかに腹水が見られる。しかし、おそらくアルコール性の肝臓が原因ではないか。
6、腹水がガン性のものであると判断された場合、手術は行なわれないのが普通。
7、腹水を採取してもガン細胞が取れるかどうか分からない。
8、膵臓ガンの手術は大規模なものになるので、症例が集まる施設のほうがいいだろう。
8、C大学病院に症例が集まっているので明日の夕方に紹介状と写真を渡す。
9、金曜日にC大学病院に専門の先生がいるので、外来で行ってセカンドオピニオンを聞くように。
10、病院の選択、手術、化学療法などの治療方針は家族を含め、みなで話し合って決めていく。

説明後、父の病室に戻ると、サッカー日本代表対イラン代表を見ていた。試合の様子を聞くと「点が入ったぞ、日本だ」と答える。混乱はおさまったようだが、管が通っているせいか、気分が優れず、胸のあたりが痛いと訴えていた。「腹が減ったな」とも言っていた。病院に向かう前に「検査だから朝飯を抜いて行こう」と言っていたので、15日の夜にたった一人で食べた夕飯以来、何も食べたり飲んだりしていないはずだ。
病気について、自分からは父には何も言えなかった。明日の夕方、先生から父に説明があるようだが、正直その場にいたくない。一番苦しいのは父なのに。
今はまだ何も確定していないので変な考えはしないようにと心がける。
夜に姉と甥っ子が車で迎えに来てくれた。父は彼等に「元気になって帰る。心配かけてすまん」と言う。不安で仕方がないはずなのに、父は強い。
「ヨーロッパ行けないな、すまない」と、今日の父は謝ってばかりいた。