千葉県出身ともちん部屋

新たなる趣味のベランダ果樹園、日々の暮らしっぷりや父のすい臓癌闘病など、なんでもかんでも書いちゃいます。

8月21日

2005年08月23日 19時10分34秒 | 親父のガン闘病
私の従姉妹が見舞いに。久しぶりだがまったく変わっておらず、久しぶりに笑った。
従姉妹を送る途中で喫茶店に寄ったのだが、そこが大当たり。昔ながらの店で昔ながらのかき氷。全員で盛り上がる。
顔色もよくなり、点滴もしていないし、食事も普通に近くなり、病人には見えなくなって来た。ほんとに治っていればいいのに。。。と何度も思う。
病院に戻り、昨日と同じように話をする。幸せな気分。

8月20日

2005年08月23日 19時10分11秒 | 親父のガン闘病
洗濯したパジャマ、タオル、下着を持ち、夕方前に見舞いに行く。
ステントが入り、黄疸も治まっている。昼から食事ができるようになったらしいが、まだ2種類のスープ(個体成分無)だけ。明日からお粥にグレードアップ予定とのこと。
父はベッドで、私はイスに座り、お互い新聞や本を読みながら時々とりとめもなく話をした。こんなにゆっくりと話をするのは久しぶりな気がする。
点滴も明日の早朝で終了とのこと。

8月19日

2005年08月23日 19時09分45秒 | 親父のガン闘病
会社を休み、CT、MRCP、造影の結果を持ってC大学病院肝胆膵外科のM先生と話をする。
1、膵臓頭部に腫瘍らしき影がある。転移像は見られない。
2、マーカーの数値から悪性と思われるが、現段階では「?」マークで構わない。
3、悪性の場合、膵臓癌か胆管癌のどちらかであろう。
4、肝臓周辺の腹水は、ガン性のものではないと考える。
5、この部位の癌は外科的に摘出しない限り治癒の可能性はゼロ。
6、手持ちのデータからは手術可能と考えられる。
7、手術のリスクは3%から10%程度と比較的高い。
8、できるだけ早い段階での転院と手術を考える。
9、説明後、入院の予約とPET検査の予約を入れる。

この部位の癌はたいてい手遅れで発見される事が多いことを知っていたので、光と希望が見えた気がする。現実のものとしなければ。
父の元へ戻り、M先生の話を説明する。強くうなずきながら聞いていた。「よし、分かった、よろしく頼む」と、戦う気持ちを見せてくれた。安心した。
担当医の先生が「チューブが胃壁に触れていたために気分が悪くなってしまったようです。壁からは離すようにするのですが、うまくいかなかったようです。申し訳ありませんでした」と何度も謝ってくれた。人間的に信頼できるいい先生だと思った。
母もようやく動揺が治まってきたようだ。

8月18日

2005年08月23日 19時09分22秒 | 親父のガン闘病
私は普段どおり出社。母は父の兄弟に連絡を取り、その後病院へ。父の姉も来てくれるそうだ。
会社では仕事がまったく手につかない。涙が時々止まらなくなる。席が一番はしにあることに感謝。
まだなにも確定していないのに、自分の中で勝手に確定させてしまっていることに何度も気づき愕然とする。
始業前と昼休みにいくつかの膵臓ガン体験者のHPを読み、人間の生きる力に感動した。
会社を定時に出て、見舞いに行く。父は夜中に呼吸困難に陥り、無意識のうちに胆管から鼻に通したチューブを抜いてしまったそうだ。黄疸が強い。先生が明日短いステントを入れて(胆管から十二指腸まで)くれることになった。
伯母を見送り、母と帰宅。
私達が元気で生活しているこの瞬間、ベッドの上で父はいったい何を考えているのだろう。
父のために、私が強く信じなければいけないし、何があっても絶対に逃げない、と強く誓う。一気に気持ちが楽になった。

8月17日

2005年08月23日 19時08分44秒 | 親父のガン闘病
いつもどおり出勤。入院に必要なものを母が病院に持って行っている。
私は午後半休をして夕方に病院へ駆けつける。CTは終わった模様。父は暇そうだ。
処置は6時頃から始まった。
昼ご飯を食べていなかったので、この隙にレストランへ。
父は病室を出て1時間もしないうちに戻ってくる。鼻から管が出て、黄色の液体が透けて見える。麻酔のせいか、父は少し混乱していた。
「病室に戻ってきたのか。頭の方向が逆じゃないか」と言う。
7時15分に先生が来て、造影とCTの結果説明を受ける。
1、診断は昨日のものでOK。
2、膵臓頭部に腫瘍があり、胆管と膵管を押しつぶして狭窄している。
3、腫瘍はまだはっきりした輪郭を持ったものではない。
4、良性か悪性かは分からないが、膵臓における良性の頻度は非常に少ない。
5、肝臓にアルコール性の変形が見られる。問題が一つあり、肝臓の周辺にわずかに腹水が見られる。しかし、おそらくアルコール性の肝臓が原因ではないか。
6、腹水がガン性のものであると判断された場合、手術は行なわれないのが普通。
7、腹水を採取してもガン細胞が取れるかどうか分からない。
8、膵臓ガンの手術は大規模なものになるので、症例が集まる施設のほうがいいだろう。
8、C大学病院に症例が集まっているので明日の夕方に紹介状と写真を渡す。
9、金曜日にC大学病院に専門の先生がいるので、外来で行ってセカンドオピニオンを聞くように。
10、病院の選択、手術、化学療法などの治療方針は家族を含め、みなで話し合って決めていく。

説明後、父の病室に戻ると、サッカー日本代表対イラン代表を見ていた。試合の様子を聞くと「点が入ったぞ、日本だ」と答える。混乱はおさまったようだが、管が通っているせいか、気分が優れず、胸のあたりが痛いと訴えていた。「腹が減ったな」とも言っていた。病院に向かう前に「検査だから朝飯を抜いて行こう」と言っていたので、15日の夜にたった一人で食べた夕飯以来、何も食べたり飲んだりしていないはずだ。
病気について、自分からは父には何も言えなかった。明日の夕方、先生から父に説明があるようだが、正直その場にいたくない。一番苦しいのは父なのに。
今はまだ何も確定していないので変な考えはしないようにと心がける。
夜に姉と甥っ子が車で迎えに来てくれた。父は彼等に「元気になって帰る。心配かけてすまん」と言う。不安で仕方がないはずなのに、父は強い。
「ヨーロッパ行けないな、すまない」と、今日の父は謝ってばかりいた。

8月16日

2005年08月23日 19時08分15秒 | 親父のガン闘病
朝9時頃、父はなじみの総合病院へ検査に行く。普通に出て行った。
私は友達夫婦とMちゃんとで昼ご飯を食べに行く。地元では有名なパスタ屋さん。友達に霊感があることを始めて知る。Mちゃんの連絡先を聞いて別れた。
2時には帰宅したが、父はまだ帰っていなかった。
ベッドで昼寝をしていたら姉から受話器を受け取る。父からの電話だった。「今すぐ病院に来てくれ」とのこと。緊急入院しなければならなくなったそうだ。「何も持ってこなくていい」というのでとりあえず財布と携帯だけ持って家を出た。胸騒ぎがする。道すがら、仕事中の母に電話をかける。
病室につくと、ワイシャツとスラックス姿の父がベッドに横たわり点滴を受けていた。見た目は元気そうだし、そんな格好なのにベッドで点滴を受けているなんて、思わず笑ってしまった。夕方になって母が病院に到着。MRCPの検査があるとのことで、その間に洗面用具、タオル、サンダル、パジャマを買いに出る。
夜になって主治医の先生から父、母、私に対して説明があった。血液検査、エコーとMRCPの結果から、閉塞性黄疸との診断が下る。
1、十二指腸につながる胆管と膵管に狭窄が見られ、管自体が太くなっている。
2、狭窄の原因として、胆石か何らかの腫瘍が考えられる。
3、痛みはないようなので腫瘍の可能性が高い。
4、胆液で細菌が増殖しやすいので敗血症の恐れがあり、飲食禁止。抗菌薬投与開始。
5、管に溜まった液を抜くため、明日、十二指腸カメラで見ながら狭窄部をレーザーメスで切開後にドレナージ、鼻から胆液を抜く。夕方に造影とCTをする。
6、黄疸をとるまで1週間から10日。その後手術なら2ヶ月程度かかる。

父は「こんなことになるなんて思ってもみなかったよ。心配かけてしまってすまん」と何回か謝っていた。体全体がとても黄色い。一気に不安になる。

8月13日

2005年08月23日 19時06分50秒 | Weblog
昨晩の残りとスープで朝ご飯を食べ、撤収。道の駅「なるさわ」内にある温泉「ゆらり」で汗を流す。父は持病の痔が悪く、入浴を控える。確かに顔色が悪い気がする。
帰宅後、母のおごりでお寿司を食べに行く。私だけ天ぷら。

8月12日

2005年08月23日 19時06分17秒 | Weblog
姉が義兄と甥っこ2人と帰省してきているので、我が家3人を含め、合計7人で西湖PICAにキャンプへ行く。
出発前、母が父に顔色が悪いので盆があけたら病院で検査を受けるようにいう。父はしぶしぶ承諾。
久しぶりの家族全員の旅行は楽しかった!夕ご飯まで甥っ子、私、姉、母でUNOにもりあがる。夜ご飯はコテージのベランダでBBQ。父は酒をあまり飲まないよう母に注意され、ひかえていた。夜は麻雀で盛り上がった。
早く10月になって両親とヨーロッパ旅行へ行きたいと思った。