英語&SPORTS&その他もろもろ

自分の勉強した英語の単語や、日常を連ねていきます。英語がメインになります。
SPORTSは田中将大トピック多し

2月26日記事分

2007-03-10 13:32:06 | sports
どんどん消えてゆく
まるで追いかけっこみたい

ジャンプ団体銅


札幌の夜空に、道産子ジャンパーが堂々のアーチを描いた。二十五日行われたノルディックスキー世界選手権札幌大会のジャンプ団体。惨敗した前日の個人ラージヒルから一転、銅メダルをもぎ取った日本ジャンプ陣の活躍に、大倉山競技場を埋めた七千人を超す観客の興奮は最高潮に達した。

 「かーさーいー!」。二回目のジャンプに臨んだ日本チームのアンカー葛西紀明選手が滑り出すと、それまでの葛西コールは、叫びや悲鳴の入り交じった地鳴りに変わった。

 117・5メートル。「JAPAN」を示す文字が電光掲示板の一番上に輝く。オーストリアとノルウェーの選手が残っていたが、この時点で日本の「表彰台」が確定。観客や関係者は抱き合い、喜びを爆発させた。

 葛西選手の姉、浜谷紀子さん(37)=名寄市在住=は「体調が悪いと聞いていたので心配だった。今は抱きしめてあげたい気分。感動しました」。

 K点を大きく越す131・5メートルの大ジャンプでメダルを引き寄せた伊東大貴選手の父、和博さん(44)=上川管内下川町在住=は「チームに迷惑をかけずに済み、ほっとしている。頑張ったなと声をかけたい」と話し、涙ぐんだ。

 岡部孝信選手の母、昭子さん(61)=同=は「良かった」を連発した。

 「日本ジャンプ陣」の意地を見せた結果に、観客も酔いしれた。札幌市東区の無職草島勝治さん(72)は「札幌五輪の『日の丸飛行隊』と重なった。あのときとメダルの価値は同じ」と感激。

 バスで応援に駆け付けた下川ジャンプ少年団の伊藤将充君(8つ)=下川小三年=は「僕も一生懸命練習して、いつかこんな舞台で活躍したい」と目を輝かせた。

 葛西、岡部、伊東の三選手の地元の下川町でも町民が喜びに沸いた。テレビで応援していた町体育協会の森茂会長は「三人とも期待に応え、いいジャンプを見せてくれた。本当にうれしい」と語った。

 大会組織委の会長を務める札幌市の上田文雄市長は「大倉山は最後まで札幌を見放さなかった。四人の選手に心から称賛と敬意をささげたい」とのコメントを出した。

<写真:メダル獲得が決まり、最後に飛んだ葛西(右から2人目)に抱きついて喜ぶ伊東、栃本、岡部(左から)=加登久夫撮影>



マンニネン2冠


第4日の25日、札幌市白旗山競技場で行われた複合団体は、前半飛躍で首位に立ったフィンランドが、個人スプリントで金メダルを獲得したハンヌ・マンニネンらの活躍で逃げ切り優勝。2位はドイツ。3位には、わずか0秒4差でオーストリアの追い上げを振り切ったノルウェーが入った。

 渡部暁斗(白馬高)永井秀昭(八幡平市連盟)小林範仁(東京美装)加藤大平(サッポロノルディックク)が出場した複合団体の日本は8位だった。前半飛躍(HS134メートル、K点120メートル)は6位だったが、後半距離(20キロ)で順位を落とした。

 W杯で4季連続の総合優勝を目指すマンニネンが、自ら「完ぺき」という試合はそうはない。

 この日のフィンランドは、王者が感嘆したのもうなずけるほどの強さだった。

 前半飛躍を首位ターン。4人で計8回のジャンプで、130メートルに届かなかったのはマンニネンの129・5メートルの1回だけ。距離に強い3位ドイツに49秒差をつけた。

 後半距離は第3走者から、そのドイツと一騎打ち。第3走者で逆転を許したものの、並走して最終走者のマンニネンへ。早々とドイツのキルヒアイゼンを逆転し、残り2キロすぎで置き去りにした。

 この2人、23日の個人スプリントでも優勝争いをしている。

 このときは、マンニネンが距離7・5キロで49秒差を覆した。

 5キロとはいえ、ほぼ同時にスタートすれば、マンニネンが負けるはずもなかった。

 「第3走者まで競り合っていれば、ハンヌ(マンニネン)が勝ってくれると信じていた」と、第3走者のタルルスは言った。マンニネンも「予定通り」と話す。

 フィンランドにははじめから余裕があった。

 マンニネンはこれで2冠。3月3日の複合個人で3冠を目指す。「大会前は、複合個人が1番良いと思っていた。この状態なら勝てると思う」。強さが際立ってきた。(渡辺徹也)

<写真:複合団体の後半距離で、勝利を確信しガッツポーズでゴールするフィンランドの最終走者ハンヌ・マンニネン>



女子距離複合

第4日の25日、札幌市白旗山競技場で行われた女子距離複合(15キロ)は41分27秒5で滑ったオリガ・サビアロワ(ロシア)が2003年大会以来2個目の金メダル。日本勢では43分26秒2の横山寿美子(セコム上信越)が23位で最高。石田正子(JR北海道)は26位、曽根田千鶴(冬戦教)は38位だった。

 残り2・5キロの最終周回に入ったころ、4人の先頭集団から押し出されるようにサビアロワが首位に立った。2、3番手につけ、ライバルの動きを見ながら最後に抜け出そうと考えていたが、頭の中とは反対に体が反応した。「先頭はまだ早すぎる」と悔やんだものの、それは一瞬。「ゴールまで、このまま行ってしまえ」と思い直した。

 背後に3選手を引き連れて、34歳のサビアロワが懸命に逃げる。力強い滑りは衰えないまま、2番手で追いかけてきたトリノ五輪距離複合銀メダリストのノイマノバを0秒5差で振り切った。フィニッシュラインの手前で金メダルを確信し、両手を天に突き上げた。

 世界選手権では2003年イタリア大会の30キロフリーに続く、自身2個目の金メダル。「ゴールの瞬間? 幸せな気持ちがこみ上げてきた。またチャンピオンになれたから」。うれしくて、汗も引かないうちに、モスクワの近郊に住む夫に電話をかけた。「彼は金メダルなんて予想していなかったようね。すごく驚いていた」。満面に笑みが広がった。残る大きな目標は、五輪で金メダルを取ることだ。過去2大会に出場した五輪は、トリノの距離複合の7位が最高とメダルに縁がない。既に大ベテランの年齢になったが、3年後のバンクーバー五輪まで頑張るつもりだ。(山本泰人)

<写真:力強い滑りで優勝した女子距離複合のサビアロワ>



挑戦8度

8度目の世界選手権に挑んだ横山が、日本人最高の23位と健闘。「今季の国際大会では一番良い成績。良かった」と笑顔を見せた。

 「スタートから行けるとこまで行こう」と積極的に飛ばした。序盤はトップ集団に食らいつき、中盤でやや息切れして遅れたが、歯を食いしばって中段に踏みとどまった。

 見せ場は、クラシカル走法からフリー走法に変わるためにスキーを履きかえるピット作業。27秒8は、出場選手で堂々の1位。それを報道陣から告げられると、「やった。ピットは得意なんですよ」とガッツポーズをつくって喜んだ。

 しかし、素早いピット作業を終えて気分良くレースを再開した4周回目に、悔やまれるトラブルが待っていた。後続にストックを踏まれて落とし、取りに戻って大きくタイムをロス。それでもスキーが滑っていたため、あきらめずに力を振り絞って走り、再び順位を上げた。

 「8度目(の出場)というよりも、日本でやっている大会に出られていることがうれしい」。32歳の大ベテランは、波乱のレースにも泣き言を吐かず、穏やかにほほ笑んだ。(青山宏之)

<写真:女子距離複合のレース後、健闘をたたえ合う横山(左)と石田>


複合団体8位

これが世界との差か。複合団体10チーム中、日本は8位。王者マンニネンを擁したフィンランドから5分以上遅れてゴールし、昨年のトリノ五輪から2つ順位を落とした。エース高橋大斗をけがで欠いた影響は、やはり大きかった。

 「大斗さんの分も頑張る」。合言葉のように4人が口にした言葉だ。大黒柱が抜けて土台から崩れそうなチームを、若い4人が一丸となって支えた。ジャンプが得意な加藤は前半飛躍で130メートル台を2本そろえ、他のメンバーに活気を与えた。

 後半距離ではアンカーの小林が踏ん張った。日本チームで最速タイムを出し、9位の米国とわずか2秒差ながら8位の順位を守った。それぞれが実力を十分に出し切った。それでも、8位。全日本複合の阿部雅司コーチは「今は飛べて走れる選手じゃないと世界に通用しない。入賞(6位以内)を狙っていたが、高橋がけがをした『悪夢の1日』が大きかった」と語った。

 日本チームが得たのは若手の経験だろう。W杯の経験がない加藤と永井が大抜てきされ、強豪たちと同じ舞台に上がったのは今後の糧になる。

 加藤は「ジャンプは世界と大きな差はない。走りは実力が違った」、距離に強い永井は「世界のトップは速いというのが率直な感想」と、それぞれ世界との差を肌で感じた様子だ。

 トリノ五輪にも出場した高校生の渡部は距離で転倒。「緊張はしなかったが、足を雪に取られた。まずはジャンプで140メートルを飛べるようにならないと」と、成長を感じさせるコメントを残した。

 この日は日本ジャンプ陣が団体で銅メダルを取り、かつて世界最強を誇った複合陣の復活が待たれるばかりとなった。バンクーバー五輪まであと3年。チームを立て直す時間は、まだ十分にある。(佐藤大吾)

<写真:8位でゴールした日本のアンカー小林。テレビカメラを前におどけたしぐさも見せた>


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