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Dir en grey 歌詞と解釈(改訂)

Dir en greyについて歌詞とともに紐解く

R TO THE CORE(更新)

2007-08-17 18:02:01 | Weblog
バカはお前だよ本音を隠した真面目なフリした豚さ
何も聞こえてない何も伝わらないことは矛盾した場所さ

心が叫んだどうせ聞こえない左耳の様にバカにしてるんだろう

そんな奴だけじゃないのも知ってる全ては求められない
でも俺は今も声を枯らしながら腐り切ったお前らに…

答えはきっとある のたうち回って生きる意志を今さらけ出してみろ
汚れてしまえば誰もが一緒さ



日本社会という枠組みの中で生きている者たちへのメッセージだろう。
彼らは正義感を持っている。全員ではないとしても、少なくともヴォーカルである京は持っている。

蟲-mushi-(更新2)

2007-08-17 17:54:13 | Weblog
打ち明けられない誰も 信じられない誰も彼も
ほら全て見えない 差し込んだ光が消えて今にも枯れる
打ち明けられない事は 私の弱さ私の過去
得るモノもあるけれど きっと手に握る優しさが消えてゆくと
ありふれた答えは 生きる事白死に戻して生まれ変わる

心が閉ざして今にも壊れてゆく
涙を殺して笑う日々よ
心が示した信じる意味の無さを
私が殺した偽善人よ

心が閉ざして今にも崩れ落ちる
涙を殺して叫ぶ日々よ
心が残した信じる意味の強さを
私を殺した私心



これは、ヴォーカルである京が日々音楽活動をして暮らしていく中で、抱いている思いを詞にしたものではないだろうか。ふと、これまでを振り返り、今ある自分ということを考え、確認し、それを詞に託したのではないだろうか。しかし、若干ナルシシズムも入っているため、そのような本格的なものではないだろうとも思える。いや、本格的に取り扱うことができないだけなのだ。彼、もしくは彼らの情を歌っているのは確かであると思う。つまり、一般的に演歌をアートだと言えないのと同じなのと思う。そういえば、この曲はどこか演歌的であるように思える。誤解を避けるために言うが、意図的に哀愁を作り上げているところがある、ということである。
ちなみにこの記事においてもそうなのだが、私はここにおいて彼、または彼ら自身の一面を覗かせている曲またそれが表れていると思われる曲しか取り扱わないつもりである。
「大人達は私の言うことをごまかし、その場しのぎのありふれた答えばかりを言うだけで、私のことを何も理解しようとしなかった。誰にも打ち明けることができなかった。誰も信じることができなかった。だから、生きることを白紙に戻し、死んだつもりでまた生まれ変わる。日々の生活の中でいろいろと考え、得ていくものもあるが、日常で人と人との営みの中で交わされるほんの手に握るくらいの優しさから離れていき、その温かさが消えていくと‥。周りの人間は雑踏の中に溶け込んでいくが、私をこうさせたのは偽善者である彼らのごまかしを、社会の矛盾を許さない、またそれを受け入れることを許さない私の心だった。」
あくまで私なりの解釈である。

腐海

2007-08-17 17:39:31 | Weblog
ゆらゆら ゆらゆら 腐海に心ゆられて
ゆらゆら ゆらゆら 腐海は儚くゆれていく ほら
ゆらゆら ゆらゆら 腐海に心ゆられて
ゆらゆら ゆらゆら 腐海は痛みを増していく

深く深く深い傷は泣いて泣いて泣いた冬に
咲いて咲いて咲いた華と狂い咲いた血化粧

涙の理由と切り裂かれた心には 弱さと言う刃心に刺して
今を殺したい あなた無しでは生きていく意味さえ壊れて
書出した手紙涙で別れ腐海に沈みたい

答が見付けられなく 泣いた数だけ抱き締めて
俯いて涙隠し 彼方にだけは

深く深く深い傷は泣いて泣いて泣いた冬に
咲いて咲いて咲いた華と狂い咲いた血化粧

涙の理由と切り裂かれた心には
弱さと言う刃心に刺して 今を殺したい

染み付いている彼方の全てを身体が
二度と掴めない愛を示してる腐海沈みたい
冷え切った腐海に沈む私には届かない
彼方を求めて声を愛を探してる



ここではっきりと「あなた無しでは生きていく意味さえ壊れて」と書いてある。
失恋というのは全てを否定された思いをするために、自己に対する評価が本当に揺らいでしまう。

彼らは自己の評価の埋め合わせをするために音楽を作っているところがあるのではないだろうか。
社会から否定されている心的部分とともに、自分に対する評価を埋め合わせようとして、音楽を作っている部分があるのではないだろうか。社会がないがしろにしてしまっている感情を音楽にしようとする正義感を抱きつつ。それが、彼ら、なのではないだろうか。いや、しかし、それが自分達のスタイルなのだ、というところもあるのだろうと思うが。