昨年末より新たに戦国の世に降り立った人々が居る。
右も左も分からなかった頃の自分を、ふと思い出した....
戦国時代の大した知識も無く、いつものキャラ設定で自分はこの世界に降り立った
キャラクターのコンセプトは
「回復可能なアタッカー」
きっと僧と言う職業がピッタリだ!!(と勝手に思い込む)
ちま「俺、大きくなったら回復出来る水系術アタッカーになるんだ....」
そんな妄想で夢を膨らませつつ、今川家に仕官した。
(後にその野望が砕かれた事は言うまでもないorz)
当時は勢力ボーナスと言うものがあり
自分の振ったポイント+勢力固有のステータスポイントで初期能力が決まってました。
今川のボーナスは知力+1、水属性+2、耐久-1
水系術アタッカーの為にあるような勢力でしたが
耐久-1の評価が悪かったのと、今川義元の人気に比例して?
かなり人口は少なかったようでした。
それでも水陰陽や、水遁忍者などがボーナス目当てで仕官していました。
(実際、自分の2nd陰陽、3rd忍者がそれw)
今の様な隠れ里など無く、いきなり駿府から始まる。
町を出て一番弱そうな敵を叩いてみる。
おぉ~シネマティックすげーー!とか思いながら
通常攻撃でプチプチと攻撃するも
どう見てもターン制でこちらの生命が持たない。
案の定返り討ちに合い、寺の墓場からスタート。
なにこれスライム級の敵にも勝てないorz
これって無理ゲーじゃない?とか思っていたら
LV1ネズミにも個体数があって2体ぐらいのならギリギリ勝てる事が分かった。
とりあえず4体のは無理だ、2体だけ狩りつつ何とかLVを上げる。
訳も分からず、町の中を歩き回る。人は疎らだ....
倉庫らしき建物の前に¥マーク付きの人が居た。
ターゲットを合わせてみると、どうやら物を売っているようだ。
「付与石?1000貫.....」
どれだけ時間かければ貯まるか良く分からんが、とにかく凄そうな金額だ><
しかも何に使うかすら分からないw
採集で得られる金額は1回で0文~300文
1回の採集で「何も取れなかった」か「○○が1個取れた」のどちらかのみ。
気合はスグに尽きるし荷物は一杯になっちゃうし..(当時は袋の支給もない)
初めはトレードすらした事が無かったので
拾った物は自分で使える紐類を除いて茶店へ流していました。
今思うと、かなり勿体無いorz
お金は無いけど武器を買いかえたい!!
目指すはNPCが売ってる片鎌槍!!(たぶん12貫ぐらい)
素槍>菊池槍>片鎌槍>十字槍といった初期の頃の武器買い替えは
RPGの醍醐味なのですw
地道に採集して無名片鎌槍げっとぉ~!!!
プレイヤーから買えば9貫ぐらいで買えたらしいけど
駿府で武器を売ってる人に出会える訳も無く...w
そんなこんなで、うろうろしていると「夜盗で修得しませんか?」
と、知らない人から対話がくる。
ちま「何をしたら良いのか分かりませんけど参加出来るなら...」
ここで始めて徒党に入れてもらい妖術連係なるものを教えて頂きました。
どうやら、術者1人に他の人が連係して1撃で倒すのが狩りの主流らしい。
敵が2体の場合は、「乗り継ぎ」と言って乗る人が連続で乗れる配置で
別の人が術の準備をするらしい。が、良く分からないw
全く何も知らない状態で始め、色々な知識を得たのはそんな「修得徒党」での
単純作業中の会話の中からでした。
当時はチャットスピードも極めて遅く
戦闘と野外の画面切替でチャット窓がクリアされてしまう仕様であったため
聞き専門みたいな感じでしたけどw
「どの技能が使える、使えない」
「○○から修得すると良いよ」
「金策するには○○で採集して○○を売れば良いよ」
複数キャラを育てている人も居たため、
そうした人達から色々得るものが多かった時期だったと思います。
当時の自分は知りませんでしたが、駿河では
「出刃包丁人>駿河の夜盗>日和見坊主」と言う流れで修得するのが理想だった様です。
理由は、1体構成か、2体構成の固定だったからみたいです。
そりゃ門前のネズミみたいに4匹も居たら大変だわなorz
しかし、理由は他にあった模様。
何故修得徒党が必要だったか?
LV差がある敵を倒しても修得が入らない訳で(敵とLVが離れると修得も減る仕様?)
敵が弱く1,2体構成の敵はLV23ぐらいまでしか居なかったのです。
故に、LV30ぐらいになるまでに全ての技能を覚えておかないと
それ以後、いくつかの重要な技能無しで強敵と戦う事になり
かなり肩身が狭い思いをすると言う話でした。
なので、得る経験値を極力減らす為に
敵の経験値が少なく、個体数も少なく、LVが低い敵が理想だったようです。
修得が粗方終わった後「経験徒党」と言われる
敵の数が多かったり、高LVの割りに弱くて経験が多い敵へと、狩場を変えるのでした。
とある日の修得徒党。
陰陽師「すいません時間なので抜けます」
徒党員「(弱い敵は)何処も混んでますね」
ちま「退魔ならあるけど...(一応妖術連係出来るしね)」
徒党員「退魔はちょっと...(威力ないし)」
ちま「orz」
そんな日もあった遠き日のおもひで...
良く僧を辞めなかった!!感動した!!
休日などは狩場はどこも混んでいるので
党首に言われるがまま相模に狩りに出かけた事もありました。
まだ、MAPの繋がりなども理解していなかったので
今、自分がどの辺に居るのかすら知りませんでしたがw
地図を開くと言う習慣すら無かったです...
そして狩場は日和見坊主へと移る
目録修得も進み、難易度10の目録にさしかかる。しかし、実にキツイ修得徒党。
難易度10の目録で「獲得修得度11」ですよ「11」w
皆伝に必要な修得度は今と同じ1マス2500で4マス
目録1冊終わらせるのに、日和見坊主を910匹倒さないとダメとか
今、想像しただけでもゾッとしますねw
敵を倒したあと、敵がPOPするポイントと時間は決まってましたので
初期の頃は1ヶ所1徒党って感じでしたね。
複数徒党で狩ると敵が枯れてしまい美味しくなかったのです。
そして1人抜けたら募集しながら狩るみたいな。
当時、1個数貫する丹は高級品であった為
今みたいに狩りで薬を飲むと言う習慣が無い時代でした。
人気のある狩場では「抜け待ち予約」みたいなのがあった時代もありますねw
誰か抜けたら連絡してくれて徒党に入れる。みたいなw
混んでいる時には、POPする敵を先に叩いた者勝ちだったので
POP場所と時間を管理する能力が高いほど効率が良かった記憶があります。
その後、当時は馬屋など無く、道中の「刺客」や「あしまがり」に怯えつつ、
片道15分ほどかかって駿河より知人の居る越後へと通い成長して行きます
帰りは死に戻りで駿府まで一気に飛んでましたがw
修得徒党の単純作業の中にも
「POP敵N叩き合い」や「連係に誰が一番最初に乗れるか?」など
ワイワイ言いながらやる修得徒党は、時間も忘れて夢中になりました。
そしてなんと言っても
「苦労してやっとこさ技能を1つ覚えた時の達成感」
これは、今とは比較にならないぐらい嬉しかったです。
まぁ、その技能が使える使えないは別ですけどねorz
そしてLVも30を超え、上杉家へと仕官し
生産や合戦にハマって行くのですが、それはまた別のお話....
自分の場合、サービスインから1ヶ月ほど経過した頃に始めたので、何かのイベントで配った花火を使って先輩プレーヤーの人たちが花火大会を開いてて、それがやたらに綺麗だったのを覚えています。いいゲームだなあと思いました。
数年ぶりに復帰とか言う方を結構見かけます。
新星の評判はあんまり良くないけど
PS3からの新規さんが居れば同じスタート地点からだ
と思えて、気が楽と言うか
もう一度やってみようと言う気になるのでしょうかねぇ
そのまま続いて活気付く事を願いますw