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TIBと仲間たち

TIB(トロピカルインモラルボーイズ)と素敵な仲間たちのブログです。

新しい家族

2016-02-01 21:27:44 | 日記
ミニチュアダックスフンドの『ビート』が僕の膝の上で天国へ旅立ってから、犬を飼うことなんてもうないものと思っていました。あまりの喪失感でよその可愛い犬を見るのも辛い時期がありました。長女が大学浪人中の出来事だったので、何と6年も経たんですね。最近テレビやペットショップで犬を見ることができるようになったなあと思っていたら、こいつと目が合ってしまいました。
出会いとは不思議なもので、とんとん拍子に飼うことになりました。前回はそんなに気をもまずに飼えたのに、今回は用心深い上に、決まってからも『ちゃんと飼えるのか?』『うちでいいのか?』と不安と葛藤で・・・
関東から寒い中、少しづつ旅を続け先週の金曜日にやってきました。11月19日生まれのフレンチブルドッグのブリンドル。長旅の疲れか、下痢気味なのがちょっと心配ですが、日に日に慣れて、やんちゃぶり発揮するようになってます。黒い豆みたいにコロコロしてるんで『まめ』ちゃん。ガニ股な後ろ足でひょこひょこ走り回って、疲れて膝の上で寝るの繰り返し。食欲旺盛で、なんかもう肉付きが良くなったような感じ。
庭で眠るビートにもお披露目して、僕の心の闇が一つ消えたみたいです。
僕の拾った命とともにこの子が生きていく気がしています。


白いネクタイ、おっぱいがボタンに見えてタキシード着てるみたいに見えませんか?

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宮沢賢治に捧ぐ

2016-01-17 12:36:29 | 日記
もうすぐ大寒、家の中もひんやりしています。
うちのベッドサイドや、自分の部屋には読みかけの本が山積みになってるコーナーがあります。(読んでない本や、読み終わった本は基本的に廊下や押入れの本棚にあります。)ジェームス・ロリンズのΣフォースシリーズ、最近旧作含め出版の続く皆川博子、おなじみの夢枕漠や京極夏彦、博物学的なものから宗教関係まで今にも壊れそうに積み上げてあります。(時々崩壊しますが、笑)そんな中に必ず宮沢賢治が紛れ込んでいます。詩集を取り上げランダムに一つ声に出して読んだり、童話をぼんやり読み返したりするのがここんとこのお気に入りです。
子供の頃は天の川眺めるのが好きでした。そういえば最近見ないな、と空見上げても大分ぐらいの街でもよく見えないことに驚きます。数年前の夏に塚原で道路に寝転んで見上げた星空が最後かもしれません。流れ星がいっぱいでいつの間にか涙ぐんでました。
星空といえば宮沢賢治を連想してしまいます。子供の頃、賢治にはどこか暗く、怖いイメージがありました。作品の中にどこか死の匂いを感じていました。裕福な家庭に生まれたが貧しい農民のために働く姿に懺悔や使命感が強く感じられたこと、彼や愛した妹が夢半ばで若くして亡くなったことがわかるとよけいにそう思ったものでした。特に『銀河鉄道の夜』は怖かったな。
『銀河鉄道の夜』は、敬けんな仏教徒である賢治のキリスト教に影響された、彼なりの『メメント・モリ(死を思え)』だと思ってます。死の淵を覗いた僕は、ジョバンニのように銀河鉄道に乗って、自分の人生を客観的に眺めてみたいと年末から思い始めたのがきっかけで歌ができました。夏ライブではアレンジも固まってるはずです。
 
僕の人生が修羅ならば

愛だとか 友情だとか 簡単に 見つけては
距離感もわからずに やたら手を伸ばす
笑顔とか 麗しさとか 何となく 惑わされ
優しささえ見抜けぬまま いつか時は行く

誘惑に負け 肌重ね 求めあっても
柔らかい心を 自ら傷つける

僕の人生が修羅ならば 後悔だけを探すため
空の上から眺めてみたい カムパネルラ(*)聞きながら
銀河鉄道に乗って

豊かさと 贅沢と 違いも わからず
本物なんて知らないくせに 狂おしく求める

自己満足に酔いしれて 全てをごまかし
柔らかい心は 知らぬ間に傷ついた

僕の人生が修羅ならば 諦めたりしないから
空からそっと探してみたい 希望の星座たちを
シグナスからコールサックまで

憤りにまかせて 貧しさを振りまき
柔らかい心で 周りを傷つけて

僕の人生が修羅ならば 懺悔を歌に託して
暗い空から叫んでみたい 愛すべき者たちへ
今夜 銀河鉄道に乗って

I want to get on the Milky Way railroad tonight.


(*)カムパネルラ:Campanella、銀河鉄道の夜では、ジョバンニの友達。ここでは『鐘の音』の意味で。
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あけましておめでとうございます

2016-01-03 12:17:05 | 日記
あけましておめでとうございます。皆さんにとって今年も良い年となりますように。
年末年始は実家に帰って恒例の先輩たちとの飲み会に参加しただけで、あとは家にこもって、新曲作っています。
時々屋上から寒空見上げて、苦しかった昨年のお正月思い出してます。一人大学病院の病室の窓から雪景色眺め、運命を呪い、明日を失っていたあの頃を。それに比べるとなんと平穏な心持ちなんでしょう。
テレキャスターをアンプに繋いで半音下げでポロポロ弾いたり、最近弾いてなかったアコギたちを引っ張り出したり、エフェクターを次々に踏み替えてみたり、なんとなく出来上がったメロディーに自分らしい言葉をのせたりする作業がこんなに幸せなんだな。日常のつまらないことたちが僕の中で大きくなっていく感じに浸っています。
のんびりいきたいと思っていた昨年でしたが、そんなキャラじゃないし、周りからのプレッシャーが日に日に強くなっていきました。気持ちも体も昔のようにいかないことにイライラしていたのに…いい気分転換になりました。
『さあ、次なにやろう?』って思えるようになってきました。今年もよろしくお願いいたします。
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忠英ウィーク

2015-11-15 18:18:20 | 日記
吉川忠英さんの恒例九州ツアー、『九州火の国・ヤジギター道中2015』が始まり、先週は大分に数日滞在、楽しい時間をご一緒させていただきました。月曜日は湯布院の『あせび山荘』(KIZUNAのできたところです)で料理に舌鼓。僕が倒れた時も励ましのメールをいただいたお礼を込め、忠英さんの大好物、兼八で乾杯!再会を喜んでいただき感謝いたします。
今年の湯布院はあったかい。用心で持っていったフリースのパジャマは暑くて汗ばむほど。未だ霜も降りず、紅葉はいまいちでした。

忠英さんは翌日は太陽の家でのチャリティー、僕は仕事(涙)で早朝一足先に湯布院を離れました。高速道路から見る湯布院は朝日で輝き、空気も澄んで気持ちの良いドライブ。由布岳の裏に回り込むと影に入った塚原高原の秋景色がフィルターをかけたようで綺麗でした。湯布院を出発の時、マイCIVICの上には大量の落ち葉が積もっていましたが、大分に着く頃には…  最後の一葉です。


木曜日は行きつけの『な野花』で、北海道からの追っかけてきたファンの人を交えて、一献。まだお店が長浜にあった頃から忠英さんもお連れしたことがあり、大将や女将さんとも顔なじみ。

この後、忠英さんもお気に入りの都町の『Babymoon』へ。店自慢のハイボールで二回目の乾杯!Babymoonのマスターから教わった『おおいた地鶏らぁめん麺屋鶏冠』で締めを。とても楽しくちょっと飲み過ぎてしまい、忠英さんと肩組んでフラフラ帰りました。

金曜日は大手町の『Wam am cafe』でライブ。忠英ワールド全開の楽しい素敵な時間でした。途中歌声喫茶状態になり、お客さん巻き込んで、なごり雪。

前日の反省を生かし、『河童亭』で軽~く一杯(笑)またまた北海道(なんでみんな北海道!?)から驚かせようと参加してくれた、富良野のペンション『じょう舎(や)』のオーナーさんと控えめにビール。


来年も会おう!!と、生きる勇気もらった1週間でした。
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雨の長浜さま

2015-07-06 19:34:45 | 日記
 数日前から子供達の練習する祭囃子が聞こえていましたが、いよいよ大分の夏を一番に告げる長浜神社の夏祭りです!昔は祭りが近づくとなんか心がそわそわしたものでしたが、ひねくれ者の僕は、いつの頃からか祭りの雑踏を避けるようになりました。誰が祀られているのかも知らず群れ集う人々に嫌気がさしていたのかもしれません。それでも子供達が小さい頃は、人混みの中手を引いて、おみか餅を買い求め、おもちゃのくじ引きをしたこともありました。今では、好んで雑踏にツッコミはしませんが、夏祭りの雰囲気は楽しめるようになりました。(心の病かいな?)
 神社は好きですよ。人のいない境内の空気がひんやりしている朝なんて最高です!長浜神社は少彦名命、大己貴命さらに菅原道真公を合祀しています。応永13年(1406年、室町時代)に九州・四国が水害にあった際、長浜に住む人の夢に『豫州長濱大明神』のお告げがあり、海岸で祠を拾い、国主の大友親世が今の城址公園あたりにお祀りしたとされます。慶長元年(1596年)別府湾の瓜生島が沈没したとされる地震と津波で被害を受け、春日神社などに避難したのち延宝九年(1681年)に現在地に遷座しました。


 少彦名命(すくなびこなのみこと)は古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子とされ、常世の国からおいでになる小さな神様です。大国主命と協力して国作りをし、穀霊、酒造りの神、医薬の神、温泉の神として信仰されました。大分らしい神様ですね。海(常世の国)から流れ着いたご神体からの連想もあるのでしょう。
 大己貴命(おおなむちのみこと)は大国主命のことで、天津神の主神たる天照大神に対して国津神の頭領として頑張りますが、国譲りして出雲に祀られます。葦原醜男(あしはらのしこお)、八千矛神(やちほこのかみ)、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名があります。名前が多くあるのは、古代において広い範囲で信仰され、土着のいろいろな神様と融合したとされます。豊後の国ではこう呼ばれていたんでしょうか。
 菅原道真は平安時代の天才。宇多天皇を助け政治の要職に就き、詩歌にも秀でていました。醍醐朝では右大臣まで上り詰めますが、左大臣・藤原時平との政権争いに負け太宰府に左遷されたのは周知のとおり。その後都に起こったいろいろな災(時平自身や甥、外孫の病死や、清涼殿落雷事件、醍醐天皇の崩御)が怨霊となった道真の祟りだということで朝廷は名誉を回復させます。その後一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られます。雷神『天神さま』の誕生です!今では祟り神だけではなく、生前の道真の秀才ぶりから学問の神としても崇められています。長浜での役割は災害封じでしょうか。
『東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』は拾遺和歌集から。
最近一押しのコミック、灰原薬の『応天の門』。オタクな文章生の菅原道真と、京随一の女ったらし・在原業平が京の怪異を解決します。なんという組み合わせでしょう。これだけでワクワクしません?一度よんでみて!(新潮社 BUNCH COMICS 1~3巻)

 なかなか日本の神社って一筋縄にはいきません。だから面白い。

 風邪も少し良くなってきました。今週はチケット作り、来週にはセットリストアップです!
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