

先週は、日頃運動不足な

市内運動会の観戦のため、自転車で片道30分の小学校まで往復したり、
山の上にある高校のグランドで、1日中体育祭の写真撮ったり。(広報委員なので)
そして、疲れ切った金曜日は、母と日本橋まで遊びに行きました。 そういうときは元気。

チラシをアップしましたが、日本橋三井本館5階で開かれている、
『懐かしの家電展』 に行ってきました。
展示数はあまり多くなかったけど、懐かしい気分に浸りました。
とくに電気釜は記憶アリ。 たしかにこれと同じのを使ってました。




ところで、以前から母は時々、妙なことを言います。
「午前中は病院行ったんだけど、待合室で隣に座った人は○○の生まれで、戦後こっちに来たけど、どうのこうの…」
また、あるとき駅のホームで待ち合わせたときも、見ず知らずのおばさんと立って話してる。
知り合いかと思って会釈して、あとで誰? と聞いたら、
「自販機でお茶買ってたら、そっちは美味しくないから こっちがいいって教えてくれたのよ。 これから娘さんのとこに行くんだって。それからその後…」
なんで赤の他人の事情を細かく知ってる

家電展に行くとき、そのあたりの様子がよくわかる出来事がありました。
母と電車に乗ったら、3人掛けのシルバーシートがひとつだけ空いてました。
母が座り、私がその前に立っていたら、隣に座っていた60代後半~70代前半と思われる御婦人が、母に話し掛けて来ました。
「これから90いくつの母親のいる施設に行くこと」
「母の性格から、施設で周りとうまくいってないこと」
から始まり、どこそこの生まれ、若い頃のご近所の人情話、ご主人の話、エトセトラ エトセトラ……。
母は相槌打って聞き役に徹し、降りる駅に着くまでの30分間、御婦人はその人生を語ってくれました。
なるほどね~。
こうして、通りすがりの人の 事情通になるわけね~。

そしてそれは「肌にふれて」ワカルものでした。(アナログ、というのかも知れないけど…)
今は、どうなんだろう…?(そういえば、最新の家電というものを、ここ10年ほど、買ってないなあ)
あ。半年前、洗濯機を買い換えて、奥様のこだわりで、温風乾燥機能が付いていたけど、それも、もう型としては、古いらしい。
どうも我が家は、時代に取り残されてるらしい…。
深夜に、UFOのように、青い輪の光が回る、操作盤の洗濯機を横目で見ながら、20年も壊れない、省電力じゃない、冷蔵庫のビールを取りに行く…。
「俺が生きてる時代は、どこなんだろう??」
*********
義姉からTEL有り。
義母が風邪をひいて、看病のために、大阪から岡山に帰ってるらしい…。
その母が「大女が、寄って来る…」と、幻覚を語るという。義姉は心細いのだ…。
妹に言う「いつまで、こんなことが、続くのかねえ…?」と。
(お姉さん、それは命が、続く限りだよ…。というセリフを、僕は呑み込む…しかない)
「僕はどんな時代を、生きているのか?」
この時代は、どんな時代なんだろう…。
昔はそんなことが一家の大イベントでした。
今はその種の祭り感覚はないですね。
思えば我家に電子レンジが来たのは、世間からかなり遅れたころだったけど、
(兄が、「えっ、まだ電子レンジないの!?」と人に驚かれたのをキッカケに買ったような気がする)
でも、電子レンジが家に来たときは それほど感激しませんでした。
家族中、「ホントに必要なの?」 くらいの気持ちだったような。
幻覚の現れる認知症もあるようですが、
(http://www.pref.shiga.jp/e/seijin/kakuka/03/files3n/tihou3.htm)
本人も家族も、その病とどう付き合ったらいいのか…。
難しいです…。
するのですが、どうでしょうか?
こちらでは、この数年のうちに、洗濯機、冷蔵庫、テレビの順に
短期間に集中して故障、という事態が発生してマイッタ。。。
~ということがありました。
どれも相当長期間使用してきたもので、耐用年数の倍以上は使ったと思います。
テレビも、この1~2年のうちに、液晶画面の、「薄型」に替えたのでしたが、
「薄い」と言っても10cm以上ありそうだし、「薄さ」が2~3cmの
製品が出来ている現在では、もはや「厚型」と言うしかないようです。
(さらに、もっと薄いのが出来つつあるようですし?)
一昔前のブラウン管画面のテレビは、まあ「箱形」ということで、
テレビに関してはその辺に時代の分かれ目があるように見えますが、
そのように解りやすいテレビのことさえ、どの時代にあるのかは特に
注意して見ない限り気づかないうちに変わっていた、ということになる
かもしれない、と思います。
(もうすぐ、デジタル放送のみの時代が来るし?)
で(?)、その他全般について、
どういう時代に生きているのか?
~というようなことについては、さらに解りにくいことなのではないか
という気がします。
第一、そういうことを考えずに生きている人が殆んどではないでしょうか?
一休さんのようにシッカリ考える人は多分少ないのでしょう。
と思ったところで、私自身が、全然解っていない人間であったと
気づかせていただくことになっています。
思えば、私達はそういう時間の流れの中を漂流しているのかもしれません。
・・・そうか! と気づくところもあったり。。。
「夢のように流れている」夕暮れ時の秋空を眺めていると、つい
そういう気分になります。
しかし、目の前には「現実」が厳しく存在している、という状況
なのですね。。。
(私めの実態は明かさないままであるのですが。)
人間って不思議ですねえ…。「幻覚」も見るし「現実」も生きる。「病」の中にも、思いがけない発見がある。
命の世界って、どれほど深く、広いのか、見当もつかないです。。。
僕は「歌」が好きですが、流行る歌には、その時代の「声」があるように思えてなりません。(亜無さまに、失礼があれば、許して下さい)
「声」は「命」に直結してる、と僕は思うのです。
「歌」には、その時代に相応しい「声」があるように思えてなりません。
そして「時代」あるいは「時の流れ」は留まることがありません。
僕の最近の「深刻な反省」は、自分の「個性」と称するものに固執して、新しい「学び」を忘れてきた、ということです。
「初心忘るべからず」という先人の教訓が痛いです。
訳のわからない事を書いて、すみません。
「どんな時代を僕は生きているのだろう?」
(どんぐりみたいな目化粧の、おねえチャン達を見てて、思うのよねェ…
・・・こういう内容の話は長くなりがちなので、某HPの掲示板に
書く方が好都合とは思いますが、多くの方々の目に触れる場と
いうことでは、ここの方が有効とも言えることになるのが、
また・・・ということでもあります。
(で、BLOGページのオーナーの某姫様(?)はそっちのけで
ページ乗っ取りということになるかも?)
・・・「姫様」とは某貧乏小藩の藩士が
さりげなく、あからさまにゴリゴリしていたのを
発見してのことです。
ええっと、また本題から外れてしまいました。
かくて非常識・亜無式コメントは形成されるものと?
(どうも、反省が足らない。。。
ま、その長さによって、ページの「乗っ取り」は早やなされているかも?
要点として
①「その時代の人間性」というものがある、ということ。
・・・そう言えば、19世紀のそれと、ハイテクのさらに発達する
であろう22世紀のそれとは多分格段に異なる面があるのだろうと思われますね。
・・・22世紀には月面に基地が出来ていて(これは今世紀中?)
月面に人間の居住区も出来ているでしょうし、ひょっとしたら
すでに火星に進出して、火星の地球化計画も実行段階に入って
いるかもしれないわけですし、
そのようなことは想像すらできなかった19世紀の人々とは
人間性のどこかに異なる点も多分あるのだろうと思います。
(純粋に根本的なところは差はないものと信じたいですが。)
②「歌は世につれ・・・」のことを念頭に置かれての考えを書かれて
いるように見える点、私にも解る気がします。
その時代に流行る歌は、それぞれの時代の人間性ないしは人情
というものを反映したものになるのだろうということは、よく理解できます。
(このように、ここの方々には解りきった事柄を、いちいち書くのが
私めの愚かしいところと自覚しはするのですが。)
・・・失聴者たる私には、最近流行の歌は聞こえず知らない訳
ですが、たまにテレビで見た時にどのようなものがあるのか
一部を知ることになります。
年末の紅白も「時代」を知るために見るようにしていますが
昔とは質的にかなり異なるものがあるように感じられます。
昨年末のを見ていると、殆んどシャウトというか叫んでいる
ような歌ばかりのようでしたし、リズムがやたらと速いもの
ばかりのような気がして、「ああ、いつの間にか時代が・・・」
実に変わってしまっているのか? と思ったものでした。
・・・私の場合、「美空ひばり」で言えば『悲しい酒』が
記憶にある最後のものですが、あの頃が時代の境目であった
のではないか? というような気がします。
「ひばり」がもし生きていたら、どんな歌を歌っている
だろうか? と思うと複雑な思いも湧いてくるのですが。
(「松健サンバ」みたいなのかも?)
昔からの歌手として長命な「島倉千代子」は現在どんな歌を歌っている
のか知りませんが、昔のと較べると大分傾向が違っているのだろうと思います。
=自ずと、そこには時代の人間性の反映したものがあるのでしょう。=
③上記のようなことを話題にするのは、声が聞こえない人を前にしてでは
「はばかられる」というような気遣いを持っていただけたようで
あるのは恐縮の限りに思いますが、その辺はむしろ逆でして、こういう話題は忘れかけていたことを思い出させていただける
=それは聴覚障害者であるとないとに関わらず考えるべき事柄=
・・・のは、大変有難いことであるのです。
(ですから、むしろ「逆」です。)
そこには、根本的にさらに深い事柄に触れてくるポイントもあるし、
「手話」に係る問題点もあるのですが、「手話さえやれば聴障者福祉」
と思いこんでいる人々には是非とも立ち止まって考えってみていただきたい
ものだと、私は常々思っているのです。
が、そこにはあまりに複雑な事柄が立ちはだかることになるので、私の
力の及ばないことを痛感してしまうのです。
手話について、わずかでも否定的な意見を持つ者に対して、
そういう考え方は「思いやりや人間味に欠ける」という風にまず思う人々
が非常に多いようなのが心外な限りなのですが、この点を社会的風潮
として、まず改めてもらわねばならぬことと私は考えています。
・・・そこには「人権問題」が存在してもいます。
手話を母語としている(と、思いこんでいる)人々の立場も
考えねばならない訳ではありますが、聴覚障害者を「手話の世界」
だけに閉じこめてしまうのは、まさに「人権問題」と思えるのです。
・・・この点、「手話」を第一に考える人々は全く逆に考えるのです。
私の非力さを思うばかりです。
思うに結局は、現代のハイテク(と言っても、もはや中程度の?)が
実現してくれるであろうところが現実のものとなって初めて、
社会的に考え直してもらえる風潮が生じるものと思います。
・・・この件だけでも非常に大きな、かつ複雑な問題である訳ですが、つい非常識・亜無式になってしまいました。スミマセン。
④「自分の個性に固執」というのは否定的な意味に考える必要は
ないのではないでしょうか?
むしろ、その点は深めていかれるべき事柄かと。。。
ま、身の回りの常識的なところと一定の折り合いはつけながら
ということになるのだろうとは思いますが。
(「非常識亜無式」に言われたくない?
> 「どんな時代を僕は生きているのだろう?」
・・・とは、この1行だけで一編の詩を思ってしまいます。
> (どんぐりみたいな目化粧の、おねえチャン達を見てて、思うのよねェ…)(足長いなあ)
・・・と、さりげなくハナシの雰囲気を替えてみせるのは一休さん一流の「照れ隠し」ですね?
(足長いなあ)・・・とは実感こもっていますね。
たしかに最近は、グラビア雑誌そのままのようなスタイル・服装の子を
見かけることが多くなっているような気がします。
・・・峰猫さまあたりは内心穏やかではいられないかも?
(と、つい余計なことを書いてしまう。。。
非常識亜無式の最高記録になったかもしれないと思いつつ、この辺で
キーボードを触るのはヤメにして。。。と思います。
(こんな長文、読んでくれる人いるかなあぁぁ。。。
海坂藩士さまは1行だけでツボを押さえて見せられているのに。。。
申し訳ありません。(「乗っ取る」とかの意図は毛頭ありませんが。)
・・・それどころか、自分のHPの掲示板にこれほど熱心に
書いておけば、それなりのこともあったろうにとも。)
で(?)肝腎の「親記事」についてですが、
(・・・「親記事」というのだろうと思っていますが?
つまり掲示した記事を元にして、それに関して意見を書いてもらって・・・とするものであろうから・・・と。)
・・・今回は(も)母御前様・親のことを書いているから、文字通り?
で、今回、昼食も後回しにして1つ前の非常識長文を書いた後、
遅い昼食後に、ここを改めて見直していまして、その親記事を改めて再読、
「スゴイお母さんであるなあ。。。
と、改めて思った次第です。
・・・初対面であっても気安く話しかけることができる雰囲気を
持っているだけでなく、いろいろ聞いてもらいたいと思われて
しまうような何かを持っている、そういう人柄のお方なのだ、
~ということなのでありましょう。
大分以前に拝見した若い頃のお写真、
(=峰猫さまのではない、峰猫さまなら、現在若い。=)
・・・それとなく、さりげなくゴリゴリ(ゴマをたっぷり入れて)
(私めも腕を上げた? =と書くと帳消し?)
その若い頃のお写真では、
♪清らかに咲いた、可憐な花を緑の髪にかざして・・・
の雰囲気を持たれたるお方とお見受けしたのでしたが、その上品なところ(故に安心して話すこともできる)に、
さらに「何か」が加わってのことなのでありましょう。
その辺、私めには考え及ばないところです。
なお、肝腎の(?)昔の家電製品については、画像にあるチラシに
出ている最旧式のテレビも、そのしばらく後年のやや洗練された型式
のテレビも昔使っていた記憶そのままのものです。
「電気釜」も見覚えあります。
・・・こうして見ると時代の流れを感じますね、実に。
あの当時(?)「将来、壁掛け型のテレビも出来るであろう」
というようなハナシも聞いた記憶がありますが、
その時は、「そんな夢みたいなハナシ・・・」と思っていた
のでしたが、そうでもなかった訳か、と今さらながらに思う
ことになっています。
・・・当時、「IC」(集積回路)のことも聞いても「ハナシ半分」
に聞いていたのでしたが、当時先端技術知識のあった人
の予測した通りの時代になってきているということのようで?
その辺、「工業技術」の進歩はプラス面を見れば、すばらしいこと
に違いないとは思うのですが、それと引き替えに失ってきた
何かも多分あるのでしょう。
(それは多分、人間の根幹に触れる何か)
だからこそ、懐古展が何か大切なものを思い起こさせる力
を持っていて~ということではないかと思ったりします。
(遅い昼食後の腹ごなし、この程度にしとこ? って? エッ?
メイワクというものも考えねば、と改めて思うのですが?・・・?
どうも反省が足らない?
←べつに風邪ひいている訳ではありません。
(バカは風邪ひかないそうですし?
→その点、皆様方には、せいぜいご注意ください。
バカでなくても、風邪はひかない方が快適でしょうから。
また長々とかいて、シカシ。。。と思うところもありますが。いやスミマセン
>こんな長文、読んでくれる人いるかなあぁぁ。。。
ちゃんと読んでおります。
ただ、最後まで読み終えたときは、最初の方を忘れてしまっています。
ま、いっか~。
親記事の副題(内容的)にマッチしたコメント、ありがとうございます。
ゴマスリ文は嬉しく読ませて戴きましたが、
>(グラビア雑誌そのままのようなスタイル・服装の子)峰猫さまあたりは内心穏やかではいられないかも?
ほんっとに余計だわよっ。
あの足の長さは。
実物を見るように幻覚を見た体験が、一度だけあります。
あれが日常的に起るようだと、不安だろうな~と思います。
それとも霊能力が付いたと思うかも。
思えば、豊かになっていくことしか知らなかった世代でした。
これからはそうはいかないから…。
時代に対応できるのかな。
見栄えのよい女の子が峰猫さま自身のように感じられて、
「あれ? あそこに私がいる?」というような幻覚?
・・・は、ともかくとして、マジメな話、「幻覚を見た」というのは、
胆のうの手術で入院の時(それも初期段階)のことではありませんか?
・・・胆のうの痛みを抑えるために強い鎮静剤を使うことがある
らしく、そのような場合、幻覚が見えることになりそうです。
・・・私の場合がそうでした。その幻覚を見た時は、
あまりにもハッキリ見えたので幻覚だとは思わず、
医師や看護婦さんにも告げずでした。
・・・後になって、論理的に考えて、あれは幻覚だったのだ、
と確信できたものでした。
(その1)天井板の穴あきボードの点々が、多数の文字に見えたり、
ボード1枚ごとに4文字熟語漢字に見えたりした。
(その2)隣りのカーテン越しに甲子園球場のスタンドが見えたり、多数の見舞客が来て全員がトラキチの応援スタイル(法被など着用)しているように見えた。
(一緒に野球をテレビ観戦?)
(その3)壁の汚れが一群の仏像(12神将風の)のように見えた。
(その4)夜中に点滴注射中に周囲に不思議な光線が走り、
空中その他に広告文のような文字が見えたりした。
などなど。
なお、
> 思えば、豊かになっていくことしか知らなかった世代でした。
・・・とのこと、そう言えば、確かにそうでした。
周囲にモノがあふれ過ぎですもんねえ。。。
今回また、つい非常識亜無式になってしまいました。
さて、書き出しの文章を、今ここで思い出せるでせうか?
スミマセン・・・
(そりゃあ覚えてますわよ。峰猫さまはスタイルがよくて云々?
・・・って?
私は手術前後は幻覚は見ませんでした。
見たのは、三男がまだ赤ん坊のとき、自宅ででした。
床の間の横に寝てたのですが、夜中にふと目を覚ましたら、
床の間の上の空間に、何重にも輪になった縄が浮いてました。
白っぽい透明の、ビニール製の子供用縄跳びが一番似てるかな。
ぼんやりと、じゃなくて、ハッキリ実物として見えたから、信じられない気持ちで見つめました。
しばらくしたら見えなくなりましたけど。
たぶん、「寝ぼけた」 という状態でしょう。
睡眠中の脳は 起きてるときとは違うんでしょうね。
前にテレビで、脳のどこかを人工的に刺激したら、ハッキリとした幻覚を見た、という実験の話がありました。
これ、使いようによっては人の洗脳が容易になるんじゃないかしらん。(怖)
面白いけど・・・
今にしてみれば、昔の家電には、どこか現場の匂いがあったような気がします。
(バカな例を挙げれば、父などは、ラジオの調子が悪い時には叩いたりしてました…。
それで、直ったりして、二度ビックリ!!
パソコンの調子が悪いので、叩いていたら「父ちゃん!!何やってんの?」「エッ?昔はこれで直ったものさ…
「バッカじゃない。パソコンは精密機械なんだから、壊れて当然なんだよ!!」
「何言ってるんだよ。壊れて当然なんて器械があるもんかよ…」「話にならない…」(息子)
「何で、俺が、バカ息子に怒られるんだよ!」
(この後、収拾つかず…
それはともかく、この頃の家電には「現場の匂い」がしない…。
先日、古い型のウオシュレットが壊れたので、熟慮の結果、TOTOサービスセンターに修理を依頼した。(その前に、隅々まで、奥様の指示で、掃除してさ…
我が家の狭いトイレで、30代の下請け技術者さんが、作業する事30分ほど。
「あ、モーターが壊れてます」「そうですか」「交換します」「お願いします」(事前に型番を言ってある)(8000円です)
以来、我が家のウオシュレットは絶好調です。
これが、ムーブを使う時、僕のオケツを直撃しながら、モーター音が「ゼンシン!ゼンシン!!前進!!!」と聞こえるのだ。
ありがとう、ウオシュレット!!
余談が過ぎました…。
最近、設計の世界でも「バーチャル」だけで仕事をしてる世代が殆どの気がしてならない。
僕らの頃は、現場に見聞きに行った。「おめえ、そんな事も知らねえのか」と言われながら、職人が、どこに愛情を抱いて仕事をしてるか、問わず語りに学んできたように思う。それが少しずつ、自分の線に、滲み出る…、ように思う。それが、今は。
「バーチャル」な才能。そこから産み出される「バーチャル」な製品群。綺麗です。美しいです。ノッペリです。手わざの匂いがしない。モノを言わない美女のようです。(喋るなよ。お里がしれるからね…忠告)
だんだん、何書いてんだか、解らなくなってきた…
お許しを。
※ところで…
「猫」は、ほとんど「A型」だそうです。
O型の「猫」は存在しない。
まとまりのない話だなあ…。(照れ隠しではありません)
>私、とてもこのやりとりに参加出来ません!
うんこ話から逸脱してしまって、申し訳ありません。
m(__)m
昔は不具合の生じたテレビの、チャンネルの隙間にキャラメル箱を折りたたんで詰め込んだものでした。
今もゲーム機との接続コードのところに、ムヒのチューブがはさんであります。
ウォシュレットは使い始めたらやめられません。
うちの犬は何型でしょう。
(O型のような気がする)
従来「暇な」であった、かわうそ様をして、
「あ、もっとヒマなのがここにいたのだ」と思わせしめ、
しこうして(?)「忙しい・・・」と名乗らせしめたる理由の
第一のものが、もし、むータン・みータンの間で「幻覚」云々と
ヒマそうなハナシをしていると思われてのことであるなら、それは
非常に大きな間違いであると思います。
客観的事実として「幻覚」は誰でも特定の条件が揃った場合に
見ることになる、実際にあり得る事柄であるからです。
それを、もし、「現実にあり得ないことを云々している」
と思われているとしたら、根本的なところで食い違い、行き違い
をお互いの間で生じることになりそうですし、かわうそ様の
身辺・周辺においても、そういう行き違いを生じるオソレさえある
のではないかと思えてきます。
・・・もっとも、「幻覚を見る」というようなことは、通常の人が
通常の健康的な生活を送っている限りは、まずあり得ない
ことであるのは間違いないことだろうと、思います。
が、事実として幻覚を経験している人間は多数存在していること
及び、理論的に考え得ることであるということは知識として
明確に押さえておく方が、より正しいと思います。
なによりもまず、その人がどのような人であれ、博学・博識
の人であれ、自分の知識や経験が、この世の全てであるという
ような思いこみを持つのは大きな誤りであるという、至極当然の
ことにも繋がって来ると思う次第です。
ついハナシがそれましたが、病院でごく一般に使用される鎮痛剤等
によって幻覚が見えたりすることは、少なくとも医師の間では
=古い内科医などで最近の勉強をしていない人は別としても?=
常識であるようです。
そして、その場合の幻覚の生じる仕組みというか理論とかも
すでに存在していて定説であるように思えます。
一番解りやすいのは脳の視覚的記憶領域からの記憶の漏洩(脳の知覚領域への?)=電気配線に見立てれば漏電?=
・・・というような考え方になると思います。
そんな風に考えなくても、視覚(眼)から脳までの間で何等かの
ノイズが発生すれば、それは即、一種の幻覚である訳でしょうから、
そう考えれば(拡張解釈的に)、例えば強い光を見た直後に
眼が眩んで、その後しばらく残像が見えることは誰でも経験
することですから、実際には誰でも幻覚に近いものは経験している
ということになりそうです。
(つい、長々と講釈をたれてしまいました。お許しを。。。
なお、私の場合、幻覚を見たのは手術後ではなくて、その前の段階です。
・・・外科的療法の前に内科的治療として24時間連続の点滴注射
を何日間も受けたことになりましたが、その期間でのことでした。
手術を終わった後は急に幻覚は見えなくなりました。
それまでは「幻覚」だとは思っていなかったので不思議に思った
のでしたが、落ち着いて考えてみて、「幻覚だったのだ」と
気がついたようなことになったのでした。
・・・初め、天井のボードに文字が見えるのは、患者を退屈させない
ための特別なものになっているのだな、と思って感心していた
のでした・・・
・・・後になって考えてみて、「そんなハズもない」
と気がついた次第のことにて。。。
また非常な、というか異常な(?)チョーブンになってしまいました。
これを、かわうそ様が見て、「自分はこれほどヒマではない」と
思われるのは至極正しいことと思います。
(いつから、私はこんなにヒマな人間になってしまったのでありましょうか?)
お話、共感を持って興味深く読ませていただきました。
で感想・私見一筆を、と思っていたのですが、1つ前のむータン氏
のチョーブンを読むのに疲れてしまったので、また後日にでも
(書くのに疲れているハズ?
って言いたいのでしょうけど? ウン?
とさせていただきます。
思うに一言で言えば、
「現場の匂い」とは、つまり「手作り感の有無」の問題ではなかろうか?
と思ったものでしたが。
(つまり、それはバーチャルであるか否かにも共通しますね?)
あれこれ書きたかったのでしたが。。。
暇なかわうそ様が忙しいのは、幻覚の話のせいではありません。
斑尾高原でのクラフト展に出品する作品が出来ないことの言い訳ですから、お気になさいますな。
幻覚というものが存在することは、誰でも否定はしないでしょう。
しかし、幽霊やUFOをすべて幻覚としてしまうのも頷けません。
(話がこっちに来て、初めて「暇じゃない、ついていけない」人が続出する)
しかし病院には一部の人にとって退屈させないナニカがありますよね~。
私、一度、入院中に 『Xファイル』 を見て、激しく後悔しました。
/s2_sum_ball/} 亜無様
「ねんじれの里」 には現場の匂いがするでしょう。
(直線もほとんどフリーハンドだもん~。)
(ぐっと端折ったコメント=某チョーブン書く人に見せてやりたいような?=)
なお、(と書き出すと、上記に反することに?
幽霊は自然現象。UFOは人工現象(大部分が捏造?)
・・・ではなかったでしょうか?
幽霊と同時に出て来る(単独の場合も?)火の玉とかは
特に自然現象でありましょうね。
病院で退屈になる状態は病状が軽くなった段階であり、そうなる以前は
「退屈」どころではなかった、と経験的に思いますが?
・・・私めの場合、退屈になりかけた段階で、看護婦さんの名前
を覚える方法を考えたりしたことがあったり?
たとえば、漫才の「いくよ・くるよ」の一方に似ているから
(イッタイ、どんなヒト?(^_^;
・・・どうのこうのと、こじつけて覚える方法をひねり出して
みたりなどなど。
中に注射の仕方ほか処置が荒っぽい看護婦さんがいて、
「荒○さん」と、覚えたりも?
女優の戸田恵子そっくりの病棟一の美人看護婦さんの名は
えーっと、どうやって覚えたのだったか?、一番よくお世話に
なったので、そのまま自動的に覚えたことに。。。
(現在でも忘れていない名が多数。)
名前までは忘れちゃうことが多いけど。
でも、看護婦さんの方では忘れてたりします。
小・中学校の保護者の中に、昔お世話になった看護婦さんがいたから話しかけたけど、すっかり忘れ去られてました。
むこうはたくさんの入院患者相手にしてるんだし、私は1ヶ月半くらいの入院だったから、仕方ないですね。
しかし、入院すると、たいてい男は看護婦さんに。
女は医者に淡い恋心を抱くのよね~。
退屈な入院生活を乗り切るための防衛本能なのだ。
(退院すると必要なくなる)