中国社会では柔道は存在しない? 中国の柔道はミステリー

2008年08月22日 | メディア・芸スポ
【古森義久の北京奥運考】中国の柔道はミステリー
2008.8.11 19:10
写真柔道女子52キロで金メダルの●東妹(●は「洗」の左側がニスイ)=ロイター

 中国の柔道はミステリーのようだ。国際的には女子の強豪ぶりがつとに知られている。10日の52キロ級でもセン(ニスイに先)東妹選手が前回のアテネ大会に続いて堂々と連続優勝したように、国際大会ではいつも多数のメダルをごっそりと勝ち取っていく。
 ところが中国の社会では柔道は幻影のごとく、実在しない。一般の市民が通える柔道場はどこにもない。各種学校の体育の授業でも部活動でも柔道はない。一般国民は知らないスポーツなのだ。愛知大学から北京に留学中の残留孤児三世の加留部瑶さんは五輪前に中国の友人に柔道を話題にしたら「それ、なに?」と問われ、とまどったという。
 金メダル候補のセン選手が出るのだから中国のテレビも実況放送するだろうと思ったら、どのチャンネルも柔道の試合は報じていないので驚いた。射撃や重量挙げはたっぷり中継しているのに、である。「やはり日本のスポーツだからかもしれませんよ」と、もらした中国人の知人がいたことは付記しておこう。
 しかし普通の市民はだれも練習しないのに世界的強豪が出てくる中国女子柔道のナゾは東海大学体育学部教授の光本健次7段の説明を聞いて、初めて解けた気がした。光本教授は中国の男子選手の強化のために今年春まで8カ月ほど中国柔道連盟の特別コーチを務めた指導者である。
 やはりいかにも中国らしく国家が各省を通じ、全国規模で素質ある少数の少女たちを集め、官営の特別施設に居住させて徹底した訓練を何年も重ねた成果なのだという。

 別の柔道関係者によると、中国は国威発揚のメダル獲得作戦では他国に強者の多すぎる男子は早くからあきらめ、女子に集中して強化を進めてきたという。
 「全中国チームの選手たちは北京市内の国家柔道センターに恒常的に住み、一日中、練習を続けていますが、あくまで女子優先で、約50人の女子選手に30人ほどの男子が専属の練習相手としてつけられています。これら男子は各省から選ばれてくるけれども、女子の練習台専門で試合などには出ません」
 光本教授のこの説明は女子優遇の実態を物語る。国家柔道センターも50畳の練習場が十数面も並ぶほど広大で、施設の主体となる1階は女子、従となる2階が男子用だという。女子各選手には個別にコーチと練習台の男子選手がつき、柔道そのものよりも筋力パワーの強化に重点がおかれるそうだ。なるほど相手を持ち上げ、ひねり、ねじ伏せ、というセン選手の戦闘的な試合ぶりはそんな訓練方法を連想させる。
 だがこうして国家アマチュアとして鍛錬を受ける選手たちがどれほどの「鉄の女」なのかと思っていたら、セン選手は32歳の母親で1歳半の娘がいることがわかった。しかも五輪前には「金メダルを取るために新婚旅行も結婚式もせず、夫には本当に申し訳ない」と語っていた。そして勝利の直後には中国紙の記者に次のように述べたという。
 「いま一番したいことは1年も会っていない娘に会うことです。母親としてすまないことばかりで、これから必ず埋め合わせます」
    (編集特別委員)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080811/chn0808111920002-n1.htm
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/679297/






南京に日中の柔道場…五輪元代表が計画、山下さんも動く

南京に日中友好の柔道場整備計画を進める劉俊林さん=大野博昭撮影
 あの戦争が終わってから63年。いまも日中戦争のつめ跡が残る中国・南京で、日中の柔道家の協力で柔道場の整備計画が進められている。
 ロサンゼルス五輪の中国代表だった劉俊林さん(45)が、同じくロス五輪代表の山下泰裕さん(51)に働きかけた。南京大虐殺という過去を持つ南京は、両国にとって特別な場所。北京五輪に沸く中国で、劉さんは「あの歴史があるからこそ、南京発の柔道交流を」と意欲を燃やしている。(南京で、梅村雅裕)
 中国相撲の選手だった劉さんは1979年、16歳の時に柔道に転向した。中国が柔道選手の育成に乗り出した時の1期生。中国が五輪に本格参戦した84年ロス、88年ソウルと連続出場し、引退後は後進の指導にあたっている。
 南京大虐殺を巡っては犠牲者数などの論争が絶えないが、「事実は事実。歴史は認めなければならない」と劉さんは語る。小中学校では、社会科見学などでことあるごとに市内の南京大虐殺記念館を訪れる。劉さんは「過去を知らない市民はいない」と言う。その南京に道場を整備しようと思ったのは、中国柔道のレベルアップを図るとともに、両国間のしこりを少しでも取り除きたいと考えたからだ。
 中国男子の五輪でのメダルはこれまでゼロ。29年間、柔道を見てきた劉さんは「技やパワーで勝ち進んでも、最後に勝つのは真の柔道精神を身につけた選手。中国を強化するにはそれを身につけるしかない」と痛感していた。
 もう一つ気になっていたのが、選手層の薄さだ。南京市の柔道人口はわずか100人。しかもスポーツエリートを目指す選手ばかりで、市民になじみがない。
 礼に始まり、礼に終わる柔道精神が子供たちに広まれば、日本への理解にもつながるはず。そんな思いを実現したいと、3年前に話を持ちかけたのが山下さんだった。山下さんとは国際合宿で1回練習していたが、「組んだ瞬間、とてもかなわないと思った」と劉さんは振り返る。
 一方の山下さんは北京五輪開催が決まった後、中国柔道協会から選手強化の要請を受けていた。その後、柔道の父・嘉納治五郎(1860~1938)が明治期、東京に中国人のための学校を設立し、7000人の留学生を受け入れていたことを知り、「目の前に敷かれたレールが見えた気がした」という。
 今年6月に南京市政府の了承が得られ、2人は数年以内の開館を目指している。計画がまとまれば老朽化した市内の柔道場を全面改装し、地域の子供たちに開放する。日本人コーチも招請し、柔道家の心の部分から教えていくという。
 劉さんは「現役時代は雲の上の存在だった山下さんに協力してもらってありがたい。北京五輪には間に合わなかったけど、いつか南京柔道場から金メダリストを育てたい」と夢見る。山下さんは「癒えない心の傷を持つ場所に道場ができることで、お互いが理解しあえるようになればうれしい」と話している。
(2008年8月15日14時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/news/martialarts/judo/news/20080815-OYT1T00437.htm






【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久
2008.3.24 03:23
 ■「日本の継承」にも希望
 柔道の山下泰裕さんが2月下旬、ワシントンを訪れた際、「ワシントン日本語継承センター」に招かれた。小講堂のマットでまず同行した東海大学柔道部出身の一流選手3人が実技を披露した。鋭い投げ技に受け手の体が宙に舞う。ぎっしりと床に座った50人ほどの子供たちがそのたびに、「おっ!」とどよめく。
 この日本語学校は日本に必ず帰る駐在員たちの子弟用とは異なり、米国定住の日本人や両親の一方が日本人の子供たちが主対象である。
 山下さんはそんな生徒たちに「柔道の心」にからめて「日本の礼節や思いやり」を平易な日本語で語った。「オリンピックで優勝し、君が代を聞き、日の丸をみたときが一番うれしかった」という結びの講演だった。そして質問を求めると、いかにも米国らしく数本の手がすぐ上がった。
 「柔道は合気道や剣道とはどう違うんですか」
 指さされた少女がよどみのない日本語で問うた。ポニーテールの金髪、外見に「日本」の形跡はいささかもない子だった。山下さんもびっくりしたらしく、「ウーン、いい質問ですね」と数瞬、詰まってから答え始めた。
 日本とはまったく無縁にみえる平均ふう米国人少女がなぜ完璧な日本語を話すのか。あとで本人に尋ねてみた。
 「あたしは東京の杉並区立馬橋小学校に4年まで通っていました」
 ミケラ・ブリンスリーさん、10歳だという。8歳の妹サラさんがそばにいて、同様に自然な日本語を話した。
 機会を改め、姉妹の一家から話を聞くと、このユニークな現象の由来が判明した。
 姉妹の父ジョンさんは昨年秋まで約5年、経済メディアのブルームバーグ社東京支局の次長兼記者だった。以前にも合計6年、英語教師や特派員として滞日し、日本語を学び、合気道に励んだ体験から子供たちには日本の教育を望んだ。妻のカタランさんも「子供たちが日本に何年も住みながら日本の教育を受けないのはもったいないと考えた」という。その結果、娘たちは阿佐ヶ谷幼稚園から馬橋小学校に通い、アメリカンスクールとは無縁に終わった。
 ジョンさんは「私が好きになった日本の文化や社会のすぐれた面を子供たちにも学んでほしかった」という。日本はこの米人一家にはそれほどの魅力を発揮し、しかも失望させなかったということだろう。ジョンさんにすれば、「わが内なる日本」のまさに継承だともいえる。
 「継承センター」も自らの日本へのアイデンティティーを日本語の教育で子供に受け継がせようという日本人が主体で開設された。椿谷茂校長とともに5年前に発起人となった越谷直弘、恵子夫妻は「将来、日本国民にはならないだろう子供たちにも日本語を継承させるために、まず楽しい教育に努めることが方針」と語る。とはいえ、「日本の継承」は「日本の国際化」にくらべ、まずハイライトを浴びない。
 だが山下さんらが「継承センター」を去るとき、生徒たちがさっと起立して、代表が「ではわたしたちからのプレゼントです」と述べた。そしてみんなが君が代を斉唱した。ミケラさん姉妹も山下さんもいっしょに歌っていた。日本の継承にも希望があるな、とふっと感じた。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/080324/amr0803240325001-n1.htm





柔道=プーチン大統領、ロシア向け教材ビデオの撮影に協力
2007年 12月 22日 14:59 JST
 [サンクトペテルブルグ(ロシア) 21日 ロイター] 柔道の黒帯を持つロシアのプーチン大統領は21日、柔道家の山下泰裕氏と一緒に、道着に黒帯という姿で柔道の教材ビデオの撮影に協力したことを明らかにした。

 プーチン大統領は、故郷サンクトペテルブルグで行われたトヨタ自動車の工場完成を祝う式典で、日本人の専門家と一緒に柔道のビデオ制作に協力したと発言。記者団に対し「われわれ2人は柔道の教材ビデオを撮影した。来年の1月か2月頃に発売されると思う」と述べた。

 同大統領は、ロシア向けの教材ビデオを作成した山下氏に対して感謝の意を示す一方、来年開催される北京五輪で同氏が中国チームを指導することを知ると、中国は開催国として有利だと述べ「(山下氏には)われわれのチームを指導してもらいましょう」と不満をもらした。

 2000年の就任以来、プーチン大統領は柔道大会やスキーの滑降競技に参加するなど、その運動能力の高さが報じられている。

 人生の規律を養う際に柔道は大きな役割を果たしたというプーチン大統領は、「柔道はお互いへの敬意を学ぶスポーツだ。相手を敬う心を持つこと、弱そうに見える相手でも集中力を欠いたりうぬぼれたりすれば、時には敗れることがあるということを教えてくれる」と語った。
http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-29489920071222


プーチン大統領からのメッセージ   山下泰裕


昨年の12月20日から25日にかけて、井上康生とサンクトペテルブルグへ行ってきました。プーチン大統領が執筆された『柔道わが人生』という本の付録のDVDの撮影のためです。
11月20日に東京でプーチン大統領とお会いしたときには「1月くらいに」と考えていましたが、ポンポンッと話が進んで、急遽??。

12月21日と22日には、井上康生とDVDのためのビデオ撮影で、柔道をしました。24日には、プーチン大統領と井上とで、ロシアのこどもたちに柔道教室を開きました。その後、さらにDVDのためのビデオ撮影をしました。その時のプーチン大統領はリラックスされていて、とてもよい映像が撮れたと思います。

ビデオ収録の合間の23日の夜、プーチン大統領にイタリアンをごちそうになりました。11月にも東京でごちそうになりました。ひと月あまりで2度目ですから、いいのかなとも思いましたが、非常に楽しい会食でした。話の内容も豊富で、ことにプーチン大統領は日本のことをよく勉強されていてとても詳しく、ビックリさせられることばかりでした。
(2006年1月24日)
http://www.yamashitayasuhiro.com/hitokoto/060124b/index.html


<柔道>プーチン大統領が子供達へ柔道を指導
2005年12月25日 04:20 
写真は山下泰裕氏と組み合うプーチン大統領。(c)AFP ALEXANDER NIKOLAYEV

【サンクトペテルブルク/ロシア 24日 AFP】ロシアのウラジミール・プーチン大統領(Vladimir Putin、右)は、出身地のサンクトペテルブルクにロサンゼルス五輪・柔道無差別級金メダリストの山下泰裕氏(Yasuhiro Yamashita)とシドニー五輪・柔道男子100キロ級金メダリストの井上康生(Kousei Inoue)を招待し、柔道を学ぶ子供たちを指導した。(c)AFP SERGEI ZHUKOV
http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/sports-others-others/2009755/219290

http://www.npo-jks.jp/press/2006/05/000036.html
http://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY200605160338.html



「柔」の人、プーチン大統領の黒帯

柔道家、プーチン大統領との邂逅
  プーチン大統領と私との間に最初の接点があったのは、2000年1月、モスクワで柔道のロシア国際大会が開かれたときのことです。当時、プーチン氏はまだ前年の暮れに大統領代行に任命されたばかりでした。私自身は残念ながら大会に同席できなかったのですが、記念品として進呈した柔道着を日本選手団の代表を通じて手渡していただきました。

聞くところによると、プーチン大統領はレニングラード国立大学在学中から柔道選手としてその名を鳴らし、ナショナルチーム選抜の一歩手前までいったほどの腕前だそうです。九州・沖縄サミットが開催された2000年7月、当地を訪れたプーチン大統領は、具志川市に立ち寄って少年柔道練成大会に出席されました。中学生相手の乱取りで投げたり投げられたりの一幕は、柔道を心から愛する大統領の人となりを感じさせてくれるものでした。

「柔」の心を知る達人
そうした人間味あふれるプーチン大統領の姿を目の当たりにする機会が、それから間もなくして訪れます。その年2回目の来日となった9月、森善朗首相(当時)との首脳会談を終えた大統領を講道館で出迎えました。本人のたっての希望により、その直後にアメリカに向けて出発しなければならないという過密スケジュールを縫っての訪問でした。われわれとしては柔道着に着替えていただく余裕はないと判断していたところ、すでに道着を手にして現れたのには驚きました。ロシアからこのために持参されたのでしょう。
 しかし、何よりも強く私の心を捕えたのは、そのスピーチです。森前首相や講道館の柔道家たちを前にこう話してくれました。
「講道館に来ると、まるで我が家に帰ってきたような安らぎを覚えるのは、きっと私だけではないでしょう。世界中の柔道家にとって、講道館は第二の故郷だからです。日本の柔道が世界の柔道へと発展していくのはたいへん素晴らしいことですが、われわれにはもっと注目すべきことがあります。それは、日本人の心や考え方、そして文化が柔道を通じて世界に広まっていくことです」
 日本の柔道家が同じことをいえば、ある意味でそれは当然でしょう。しかし、ロシアの、それも大統領がこれほど深く柔道の役割を理解していることに、私は強く胸を打たれたのです。しかも、プーチン大統領は、講道館館長から送られた六段の紅白帯をその場で締めることを丁重に辞したうえ、こう言葉を続けました。「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」
 この発言はいわゆるリップサービスだと、穿った見方をする人がいるかもしれません。多忙な大統領に練習のための時間などあるはずはないと。しかし、プーチン大統領が週に2回、今でも道場に足を運んでいることを私は知っています。この言葉は、心から発せられたものでした。
『外交フォーラム』 2003年5号
http://www.yamashitayasuhiro.com/kouenroku/yawaranohito/yawara.html








【スペイン無敵艦隊の日の丸】

    9月3日、最終日をむかえた2006年FIBAバスケット
   ボール世界選手権。 

    共に初優勝を狙うギリシャとスペインの対戦と
   なった決勝戦は、スペインがギリシャを70-47と
   大差で下して世界一の栄冠を手にした。

      (さいたまスーパーアリーナ)
     http://www.fiba2006.com/index_j.html


      ★     ★     ★

 サッカーのワールドカップは日本中で盛り上がりましたが、永遠
に入賞さえ出来そうにないバスケットボールの世界選手権が、この
夏静かに、日本で行なわれておりました。期待にそぐわず日本は決
勝トーナメントにいけませんでした。まぁ、あと三百年経っても無
理でしょうな。

 スペインバルセロナで、M・ジョーダンほかマジックのドリーム
チームを送った米国は三位がやっとでした。コーチの談話によると、
世界にはNBAと国際標準とカレッジの三種類のバスケがあるとの
事。裏を返せば本気で国際標準に合わせねば、勝利も難しくなって
来ているということで、何やらイラクの混迷にも相通ずるお話であ
ります。

 試合結果は、波に乗ったスペインが欧州チャンピオン・ギリシア
を破りました。面白いのは、観覧席に陣取った両国の応援団に、
「日の丸」を描いた鉢巻をしていた人がいた事です。日本人が戦争
中に見せた敢闘精神にあやかろうという事なのでしょうか。

 さらに驚いたことが試合直後起こりました。ナント!!!優勝し
たフランシスコザビエル軍団みたいなスペインチームが、用意して
きたと思われえる「日の丸鉢巻」を、全員が頭に巻きだしたのです。
えぇぇえぇぇぇ???  ↓  
http://www.geocities.jp/mo10mo/supain.html

 これには思わず大感激をしてしまいました。朝日新聞・TBS・
NHKの諸君、ちっとは見習ったら如何かな。

 世界の人は、ちゃ~んと知っておるのです。例え戦争には負けた
とは云え、大国を相手に一歩も引かなかった我が国の姿勢をです。
ちょっと我田引水の感じがしないでもないですが、コリアなどはス
ペインチームを見習って頂きたい。

 天皇家のお世継ぎも生まれた事だし、、、そろそろ自国の歴史に
自信を持ち、栄光ある祖国の発展に向けて頑張ろうではありません
か。

     「日本万歳!」

JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル | melma!
http://www.melma.com/backnumber_256_3353829/


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