旅順大虐殺

2006年05月07日 | 支那朝鮮関連
この話は冗談だと思っていた。ところが現在の中共の歴史認識とやらでは3万人の虐殺があったとされる。
日清戦争の時、清国が東洋一と自慢していた旅順要塞を日本軍はたった一日で陥落させた。旅順市街で残敵掃討の際、軍民の虐殺があったというのだ。
南京とかぶる話で、またか・・と思うが、こんなことを盛んに流布している日本人がいるのも事実である。

当時、日本はすでに国際法を重視しており法学者を多数前線に送っていた。捕虜も慎重に扱っていた。ある前線で清国軍と捕虜の交換をしたところ、敵に返した捕虜一千数百名に対し、清軍が戻してよこした日本人はたった一人の兵と10人の人夫だった。日本軍の将兵が捕虜にならなかったのではなく、捕虜は殆ど殺されたからだ。それも、生きたまま皮を剥いだり、四肢を切り分けたり残虐極まりない方法でだった。戦死した遺体に対しても首を落としたり、腹を割いて物を詰めたり、性器を切り取り口にねじ込んだりしていた。初めて出会った異常な敵に日本兵は驚愕したに違いない。

戦友や上官の亡骸をおもちゃにされ、怒りに逆上した兵の復讐心が虐殺に至ったことも考えられるが、3万人はいくらなんでも支那勘定だろう。

白髪三千丈・支那勘定の謎
ところで、「3」といえば、南京は30万人、旅順では3万人、平頂山では3千人、731部隊でも3千人。中国人にとって「3」には「たくさん」という意味合いが含まれているらしい。それから、日本人にとっての「4」や「9」、西洋人の「13」のように縁起の悪い数字でもあるという。(三と忌が同じ発音だから)
さらに面白いのは「嘘つき」を表わす数字でもあるのだとか。

満洲どよよん紀行1 大連 旅順 関東州
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/doyoyon/doyoyo1.html




747 名前: マンセー・名無しさん Mail: 投稿日: 2006/05/07(日) 01:37:52 ID: JVlOjGOO
>>741
旅順虐殺は中国と反日左翼が騒いでいる事件ですね。
たしか民家に逃げ込んだり民衆の中にまぎれて発砲して来た便衣兵と交戦して多数
の死傷者が出た事件だったはず。
それを当時の中国が南京事件のように日本軍の虐殺として非難したもの。
その報道を確かめる為にベルギーの外交官が現地で調査をしたら、日本側の主張が
妥当として虐殺を否定していたはず。それに当時、国際的な戦争になれていなかっ
た日本はフランスの国際法学者フォーシーユを伴い、いちいちこれは国際法に適っ
た行為か説明を受けながら行動していた。それに明治天皇は日本にいる中国人に乱
暴を働いてはならないと命じて国際的に評価された。たしか日清戦争での中国側の
残虐行為が酷く、それが後の「生きて虜囚の辱しめを受けず」という言葉が生まれたそう。
その意味は生きながら清国兵の捕虜になったら、性器を切断されたり、顔の皮を剥がされ、
生きたまま切り刻まれる・焼かれる等々の残虐行為を受けるので、それならば死を覚悟し
て戦死した方が良いと言うこと。


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