首相サハリン訪問、「ロシアの領土主権が保証された」露メディア

2009年02月20日 | news
首相サハリン訪問、「ロシアの領土主権が保証された」露メディア
2009.2.18 19:33
 【モスクワ=佐藤貴生】麻生太郎首相のサハリン訪問について、ロシアの有力紙コメルサントは18日付で、イタル・タス通信のゴロブニン東京特派員の寄稿を掲載した。
 記事は「日本の首相がサハリンのロシアの領土主権を保証した」という見出しで、日本政府が帰属未確定としている南樺太を含むサハリンを、麻生首相が訪問することで「ロシアがサハリンに主権を有することをはっきりと、最終的に確認することになる」と、日本外務省当局者が語ったとしている。
 記事はサハリンをめぐる日露間の交渉の経緯を振り返った上で、2001年、ユジノサハリンスクで日本の総領事館が活動を開始したことを踏まえ、「日本政府はサハリンも、その行政区内にあるクリール(千島列島)も、ロシアに帰属していることを言外に認めた」としている。
 また、出入国カードの提出をめぐり、今年1月に日本側の北方四島支援事業が中止された件については、ロシア外務省には日本側の要望を聞き入れる用意があるものの、ロシア側の移民や国境警備関連の部局がビザ(査証)なしでの国後島上陸に反対している可能性を示唆した。

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090218/erp0902181934006-n1.htm







【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 樺太を露領と認めたのはいつか
2009.2.17 03:24
 ≪首相の決意もむなしく≫
 米国に史上初の異色の大統領が登場し、その政治がいよいよ開始されたことから、報道界や論壇の耳目はそちらに集中し、我が国内の重要な問題に向かふべき注意が疎(おろそ)かになつてゐる嫌ひがある。
 2月7日の北方領土の日に開催された北方領土返還要求全国大会に麻生首相が出席し、領土問題の最終解決に向けての決意表明をされたのは結構だつたが、その姿勢を支持乃至(ないし)批判する様な論壇の関心が特に紙上に見受けられたわけでもない事に、或(あ)る淋(さび)しさを覚える。

 建国記念の日の祝賀式典について、政府が此事に寄せる公的な祝意が数年来次第に稀薄(きはく)になつてゆく現状に対しては当日の本紙「主張」が憂慮を表明してゐるし、筆者も昨年のその日付の本欄で「国民的団結」と「主権の尊厳」といふ契機を焦点としてこの祝日の意義を再考し、それを実践的な行動に反映させる事を訴へた。この二つの契機を殊に本年北方領土問題を考へるための踏台として再認識することを再度訴へたい。

 麻生首相はメドべージェフ大統領の招待に応じて、領土問題についての会談のためサハリン(樺太)を訪問するといふ。その積極的姿勢は一応評価に値するが、然(しか)しそれには、本紙2月7日付の主張が述べてゐる如(ごと)く〈日本は戦後、サハリンを放棄はしたが、その帰属がロシアにあるとは認めていない。首相訪問はそれを自ら認めることになる〉との危惧(きぐ)の声が生ずるのも当然である。
 ところで、筆者の本日の意見はそこに関はつてくるのだが、本紙の翌8日付第2面の記事にも見えてゐるこの危惧の念と警告は、もはや手遅れといふべきではないか。

 ≪「実効支配」で片づける≫
 何故ならば、平成13年1月の事、日本時代の豊原市、現在サハリン州の州都になつてゐるユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置してゐる。領事館を開設したといふことは、日本政府がその地をロシア領であると認めての上であると解されるのだから、日本外務省は麻生氏の訪問に俟(ま)つまでもなく、サハリンがロシア領である事を既に認めてしまつてゐるのである。〈その帰属がロシアにあるとは認めていない〉といふ本紙の主張は、他ならぬ我が外務省によつて夙(つと)に否定されてゐる事になる。

 最近或る知人から工藤信彦著『わが内なる樺太』といふ論著の存在を教へられた。工藤氏は樺太生れで戦前から戦後にかけての樺太といふ島の歴史と運命を極めて着実に考察してきた人の様であるが、平成13年のサハリンでの総領事館開設(駐在事務所の昇格)事件の不条理を「樺太連盟」の機関紙で直ちに広く訴へたのに、それは政界からも学界・言論界からも何の反響も得られなかつたらしい。氏が外務省国内広報課に見解を質(ただ)したところ、返つてきた答の中に〈サハリンにおけるロシアの実効支配が長く、現在では外国人の出入りが認められ〉云々(うんぬん)との説明があつた由である。

 ≪主権感覚の無残な欠如≫
 この説明に少々注釈をつけるとすれば、この〈実効支配〉の一語こそは所謂(いわゆる)「既成事実への屈服」といふ日本の外務省に特徴的な心的機制の修辞であり、しかもそれは客観的にその実在を認めざるを得ない確たる事実についてとは限らず、相手が政治的意図を以て造り出してゐる虚構を、それと戦ふだけの努力を厭(いと)ふが故に偽善的に公正を装つて認めてゐるといふ場合が多い。竹島の不法占拠に毅然(きぜん)たる対応ができないのも、実効支配といふ擬装に怯気(おじけ)づいて、屈服といふよりは横着を決め込んでゐるだけである。

 「従軍慰安婦」問題といふ露骨な虚構による恫喝(どうかつ)に脆(もろ)くも屈服して謝罪談話を出し、国家国民全体の名誉を敵に売渡して自己一身の安泰を図つた政治家の醜行も同じ横着に発する。因(ちな)みに当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは「従軍慰安婦」問題で国民の顔に泥を塗る罪を犯した男と同一人物である。

 金持ち喧嘩(けんか)せずといふ俗諺がある。紛争の負担を避けるためには謂れなき侮辱や不利益を忍ぶ方がよいといふ選択は、私人の次元でならばそれも又宜しといふ場合があり得よう。然し、国家の名誉と尊厳とに責任を有する、外交折衝の現場の人間がその選択をするといふのは端的に売国奴の所業である。サハリン領事館開設事件が広く一般の認識に達してゐなかつたのは、当事者が己の売国的行為に対する疾(やま)しさを自ら感じてゐて、出来る限りその始終を人眼から隠す工作をしてゐた故ではなかつたか。国家主権の尊厳についての感覚の無残な欠如である。建国記念の日の意義をめぐつての深刻な憂慮のたねが又一つ増えた。(こぼり けいいちろう)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090217/plc0902170324002-n1.htm




首相の「樺太」訪問、誤ったシグナル送ることにならないか
2009.2.11 20:32
 麻生太郎首相は18日、日露首脳会談などに臨むため、戦後の首相では初めてサハリンを訪問する。サハリンは、日本では「樺太(からふと)」と呼ばれ、南部は終戦時まで日本領だったが、旧ソ連の一方的な侵攻で占領された地だ。麻生首相は資源開発への協力関係の構築を通じて北方領土問題の進展を図るためにサハリン訪問を決断したが、帰属未確定のサハリンへの首相訪問は、日本の間違った外交姿勢を伝える場にもなりかねないと危惧(きぐ)する声があがっている。(今堀守通)

 首相がサハリン訪問を決意したのは、1月24日のロシアのメドべージェフ大統領との電話会談だった。
 「サハリン2の稼働開始式典に招待したい。式典の際には日露間のすべての問題について話し合いたい」
 事務レベルでロシアから招待の打診があったのも電話会談の直前。日本外務省には当初、「首相をサハリンに呼ぶのはどういうことか。しかも招待は式典のわずか3週間前。ホイホイ行っていいのか、との意見があった」(幹部)という。
 サハリンは、日本国民にとって複雑な感情を抱かざるをえない地だ。
 明治38(1905)年の日露戦争後のポーツマス条約で、北緯50度以南のサハリンが日本領となり、日本政府は現在のユジノサハリンスクのある場所に「樺太庁」を置いた。

 だが、昭和20(1945)年の第二次大戦終戦直前の8月9日に旧ソ連が侵攻し占領。26(1951)年のサンフランシスコ講和条約で日本はすべての権利や請求権などを放棄した。とはいえ、旧ソ連が講和条約に不参加だったため、日本政府は北方四島を除く千島列島と南樺太の国際法上の帰属は「今も決まっていない」という立場だ。

 一方、サハリン沖での石油・天然ガス開発に対する日本側の協力が本格化するにつれ、日本への渡航者のために査証(ビザ)発給手続きが増加。日本政府は平成9(1997)年にユジノサハリンスクに出張駐在官事務所を新設した。さらに、サハリンでの邦人保護の必要性が高まったとして、13(2001)年に総領事館に格上げした。
 こうした複雑な事情を抱えるサハリンだが、「帰属の決まっていないサハリンを首相が訪れることで、ロシアや日本国民に誤ったメッセージを送ることになりかねない」という外務省内の懸念を押し切る形で、首相は訪問を決断した。

 麻生首相は就任以来、中国や韓国と、経済分野を中心とする「実利」の関係構築に努め、ロシアに対しても1月28日の施政方針演説で「アジア太平洋地域の重要なパートナー」と位置付けている。式典の舞台となるサハリン2の稼働を契機に、資源・エネルギー分野を中心に関係強化を図り、北方領土問題も進展させたいとしている。5日の衆院予算委員会では「外交を政争の具にするつもりはない。常に国益を考えてやるものだ」と強調した。
 しかし、日本国際フォーラムの伊藤憲一理事長は「北方領土問題が全く動いていないときに、日本の首脳がサハリンを訪問すべきタイミングなのか。旧ソ連の軍事行動を承認することにはならないか」としている。
  ◇
 サハリン2 ロシアがサハリン周辺地域で進めてきた石油・天然ガス開発事業のひとつ。推定可採埋蔵量は石油11億バレル、天然ガス5000億立方メートル。国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルや三井物産、三菱商事が出資して平成11(1999)年に生産を開始したが、ロシアが「環境破壊」を名目に国で管理する政策を強めたため、途中から政府系企業ガスプロムが経営権を握った。天然ガスをいったん零下約160度に冷却して液化天然ガス(LNG)に加工し、タンカーで輸出する。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090211/plc0902112036013-n1.htm





【一筆多論】内藤泰朗 ロシアの罠に注意せよ
2009.2.2 06:18
 「サハリン(樺太)を処女探検したのは、疑いもなく日本人であり、日本人が最初に南サハリンを領有したのだ」
 これは、ロシアを代表する文豪、アントン・チェーホフ(1860~1904年)が、100年以上も前に新聞記者としてサハリンを旅行してまとめたルポ「サハリン島」に出てくる一節である。チェーホフは「日本人の測量家、間宮林蔵が、サハリンが島であることを最初に証明した」とたたえた。

 「サハリン島」のことが頭に浮かんだのは、ロシアのメドベージェフ大統領が先日、麻生太郎首相に電話をかけ、日本企業が参画する国際的な天然ガス・石油開発事業「サハリン2」の生産開始を記念する祝賀式典に麻生首相を招待したとのニュースを聞いたからだ。式典は2月中旬にサハリンで行われる。
 ロシア側は、日本のほか、同事業を主導してきた英国とオランダの首相たちも招待した。オランダは、首相が参加する予定だが、英国は代理が出席するという。ロシアは、英国、オランダ、日本の外資主導で始まった同事業を、「環境破壊」を理由に中断させるなどして脅し、完成間近だった事業の経営権を強引に譲渡させた経緯がある。
 英国は、政治亡命してきたロシア連邦保安局(FSB)の元幹部、リトビネンコ氏毒殺事件をきっかけにロシアとの政治的な関係が悪化している事情や、目下の緊急課題である経済危機への対応もあり、代理出席に留(とど)めたのかもしれない。

 メドベージェフ大統領は麻生首相との電話会談で、サハリンでの首脳会談では「2国間のすべての問題について話し合いたい」と述べ、北方領土問題も協議する用意があることをにおわせた。日経新聞は早速、「サハリンで日ロ新時代を」と期待感あふれる主張を展開した。
 だが、ロシアの甘言にだまされてはいけない。ソ連・ロシアの歴代指導者たちは、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンといずれも同じように領土問題の解決を約束しながら、結局は何もしなかった。若き大統領が、大国意識が高まるロシア世論に逆らい、日本に譲歩し領土問題で重大な決断をするメリットは現段階ではまだない。

 ロシアは、麻生首相ら同事業参加国の首脳が式典に参加することで、外資から奪い取ったサハリン2が世界からも歓迎されるロシアの資源開発事業であると内外に印象づける狙いだ。日本と“蜜月”のフリをして、ウクライナとのガス紛争で、ロシアへのエネルギー依存からの脱却を図る欧州を牽制(けんせい)し、じらそうという戦術なのだろう。

 麻生首相に日本の首相として初めてサハリンの地を踏んでエネルギー協力を柱にした経済関係の拡大について言及してもらえれば、ロシア側の目的は達成されたことになる。それは、領土問題の解決を半ば恒久的に先送りして経済協力を発展させていくという歪(いびつ)な関係に道を開くことになろう。

 前出のチェーホフは、日本人の特徴について、当然の権利を主張できず、いざとなると引き下がってしまい、敵に対しても人間的にふるまうと紹介していた。ロシアは、1世紀以上も前から日本人の特性を見抜いていた。
 麻生首相は外相時代、北方四島の一括返還に懐疑的な言辞を弄(ろう)していた。首相は、元日本領のサハリンでロシアの罠(わな)にはまってはいけない。

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090202/erp0902020618001-n1.htm





2/18放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

●ロシアが資源価格の下落で今困った状況にあって、日本のヘルプがほしいから妥協的な姿勢を模索してるので、国内の政局と関係なく日露首脳会談やるのは正しい。タイミングはいいが、残念ながら深刻な疑問が2つある。

●1つは、総理が行ったユジノサハリンスクというのはほんとは豊原という日本の町。サハリン、サハリンとメディアでもずっとそれだけ言ってるけど、ほんとは樺太。日本は確かに豊原も含めて樺太の南半分、サンフランシスコ講和条約で放棄したが、その条約にソ連つまりロシアは加わってない。だからこれはロシアと決まってない。それなのに日本は2001年に領事館を豊原に作ってしまって、それだけでもおかしいのに、総理が行かれたので、これ決定的なんですよ。

●僕は実際に豊原も南樺太も行って、そこにいる在日朝鮮人の方が『自分は日本の樺太に来たつもりが、いつの間にかロシアになってて、戦後の日本いったいどうしたんですか?』と、すごい年配の方に言われたぐらい。その疑問はやっぱり国民の中で議論すべきだし、メディアも取り上げるべきだと思う。

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid625.html#comments






首相のサハリン訪問後の記帳、総務相「微妙な問題」 
2009.2.20 21:34
 ロシア極東サハリン州のユジノサハリンスクに到着し、歓迎を受ける麻生首相=18日午前(共同)
 「正直、実に微妙な問題だなと思う」。鳩山邦夫総務相は20日の衆院予算委員会分科会で、麻生太郎首相のサハリン(樺太)訪問の感想を漏らした。
 麻生首相は18日、戦後初めて首相としてサハリンを日帰りで訪問し、帰国直後に皇居で記帳した。これについて民主党の古本伸一郎衆院議員が、帰属が決まっていない南樺太の首相訪問に疑問を呈し、「記帳はダメを押したのではないか。『鳩山首相』なら記帳しなかったはずだ」と質問した。
 鳩山氏は祖父・一郎氏が首相時代の昭和31年、ソ連との戦争状態を終結させるため、日ソ共同宣言締結に尽力したエピソードを披露。さらに自身も過去にサハリンを訪れた経験から、「(日本統治時代の)豊原が今、ユジノサハリンスクになっている。日本国民としてはちょっと悔しい思いを常に抱いている」と述べた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090220/plc0902202136016-n1.htm






隠岐で竹島の地図が見つかる

隠岐の島町で100年あまり前にドイツで出版された日本海周辺の地図が見つかり、竹島を日本と同じ色で示していることから、調査した島根県では、当時、ヨーロッパでは竹島を日本領とする認識があったとする貴重な資料だとしています。

見つかったのは、ドイツで1901年に出版された縦31センチ、横25センチの地図で、日本海と周辺の国々を詳しく記しています。隠岐の島町の住民が保管していたもので、島根県の竹島資料室が先月、内容を調査しました。
その結果、現在の竹島は、当時ヨーロッパで呼ばれていた「リアンクール島」という名で記され日本と同じ赤い色で塗られていました。ほぼ同じ内容の地図は1894年と1902年にもドイツで出版されたことが分かっており、版を重ねながら、当時、ドイツでは、竹島を日本領と認識していたことが、うかがえるということです。
竹島資料室では、「当時、ヨーロッパでは竹島を日本領とみていた認識が伺える大変貴重な資料だ」と話しています。
島根県は、韓国も領有権を主張している竹島について国民の理解を深めるため2月22日を「竹島の日」と定めていて、ことしも松江市で記念の式典が開かれます。

http://www.nhk.or.jp/matsue/lnews/05.html


29 :名無しさん@九周年:2009/02/17(火) 14:28:30 ID:anWrWRbx0
1894 French map of Korea and Japan
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/02/1894-french-map-of-korea-and-japan.html

1893 Andree's Allgemeiner Handatlas
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/02/1893-andrees-allgemeiner-handatlas.html

1903 Encyclopaedia Britannica Map
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/02/1903-encyclopaedia-britannica-map.html

そんな地図はいくらでも在る



291 :名無しさん@九周年:2009/02/17(火) 17:29:27 ID:if0singy0
1849年:フランスの捕鯨船 Liancourt 号が竹島(本項に詳述)を発見し、リアンクール島と名付けた
   ↓
ドイツで1901年に出版された日本海周辺の地図:竹島を日本と同じ色で示している


【結論】
ヨーロッパでは当初から、竹島(リアンクール等)は日本領として認識されていました。







建国記念の日 賛成・反対集会
2月11日 17時46分
建国記念の日の11日、これを祝う式典や反対する集会が東京で開かれました。建国記念の日を祝う式典では、政府主催で建国の日を祝う行事の実施などを求める決議を採択し、反対する集会では、歴史に学びながら憲法が生きる21世紀と戦争のない世界を目指そうという決議を採択しました。
このうち、渋谷区では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、およそ1500人が参加しました。主催者を代表して拓殖大学の前の総長の小田村四郎さんがあいさつし、「天皇陛下が即位されて、ことしで20年になり、喜ばしい年に当たる。不況や不安定な国際情勢など難問が山積するなか、国民が一体となって克服し、日本再生の決意を新たにしたい」と述べました。続いて、建国の精神を広く受け継いでいこうと、政府主催で建国の日を祝う行事の実施などを求める決議を採択しました。一方、東京・中央区では、歴史研究者や教職員組合の人たちなどおよそ300人が参加して、建国記念の日に反対する集会が開かれました。この中で、憲法学が専門の愛知大学の小林武教授は「日本の憲法は民衆から愛され、平和の防波堤としての役割を果たしてきた。雇用不安など今日のさまざまな問題も、憲法の条項を生かすことで解決の道を見いだすことができるのではないか」と述べました。このあと、集会では「歴史に学びながら憲法が生きる21世紀と戦争のない世界を目指そう」という決議を採択しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10014105231000.html

【岩手】社民党や労組が建国記念の日への反対を訴える 「紀元節を復活させ、戦前に時代を戻すもの」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1234324783/
【民主】輿石氏「(政権交代のため)私も日教組と共に戦っていく。永遠に日教組の組合員との自負ある」「教育の政治的中立ありえぬ」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1231939480/
【政治】社民・福島氏「与野党逆転で教育基本法を元に戻し、教師の免許更新制の廃止目指す」民主・鳩山氏「日教組と国を担う覚悟です」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1232028409/



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