中国の狙いは日本属国化

2006年03月12日 | 支那朝鮮関連
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中国の狙いは日本属国化
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              渡部亮次郎

<それにしても中国は図体だけは大きくなりましたが、国際常識の欠落した未熟児ですね。こういう相手にカリカリ怒っても仕方がない。少しずつマナーを覚えさせていくしかありませんね。その中国の尻馬に乗って国会論戦をする仙谷とかいう民主党の政調会長(2005・5月当時)もお粗末。>

先輩ジャーナリストの嘆きである。野党もマスコミも中国の大謀略に気付かずに国会論議をやったり、戦術論に終始するからカリカリしたくなるのである。問題は腰を落ちつけ、じっくり中国の壮大な意図を分析するところから始めなくてはならない。

おかしいのは政治家だけではない。学者にも相当おかしい人がいる。それもいわくつきの朝日新聞に載った論文なら読まないが、立派以上の主筆が統括する読売新聞の5月29日の朝刊に載ったのだから読まされてしまった。

政策研究大学院大学副学長と言うのだから立派な肩書きなのだろうが、言っていることは矛盾している。読んだら小泉首相も首を傾げたに違いない。「地球を読む」という有名なコラムでキッシンジャー氏とか中曽根元首相らが執筆している。

2005年5月29日号では副学長の白石隆という人が「日中関係」について論じて「靖国」「教科書」決断の時、とタイトルを掲げ、要するに中国の言うことを聞いて小泉首相は「靖国参拝を止めろ」、「教科書検定は第三者機関の審査に代えろ」と諭しているつもりだ。

白石氏は「日中は相互不信の関係を相互信頼の関係に変えなければならない。この相互依存の時代、敵を外に求めるナショナリズムは危険である」と教え、「そういったナショナリズムを抑え、相互信頼を築いていくことこそ政治指導者のしごとである」と結んでいる。まさにそのとおりだろう。

ところが白石学者は「中国の現体制はその正当性をナショナリズムと社会主義市場経済の実績によっている」と初めに述べているのである。それなのに胡錦濤体制が日中関係の安定のためにナショナリズムを抑えたらどういうことになるか。国家は支えを失って崩壊するだろう。

つまり中国は日本との関係を改善する気など寸毫も無いことがはっきりしている。日本を敵として叩き、いじめ続けることこそがナショナリズムを高揚させることなのだから、日本が自分たちの主張を全面的に受け入れたりしたら、ナショナリズムは途端に萎んで体制崩壊に繋がりかねないではないか。

そうである以上、中国は日本をいじめることで体制を維持することが国家目的になっているのである。日本を戦略的に非難し続けることが戦略的に必要不可欠のものなのである。

日本政府の中にはこの際、国連の常任理事国入りを達成するため、とういう戦術上の立場から、小泉首相の靖国神社参拝を止めるべきだと考えている役人が大勢いるはずだ。

しかしそれでも中国は日本の常任理事国入りを絶対認めない。体制を維持するには常に日本を非難していなければならないのだから、次々に無理難題を探してぶつけてくることは火を見るより明らかである。譲歩しても退却しても非難の声も高らかに日本を追及し続けるであろう。

早い話、中国としては、首相に参拝を止められたら、困るのである。当面の攻撃先を失ってしまうからである。アジアいな世界に覇権を唱えようとする中華人民共和国。人民とか共和を除いて「中華」だけが戦略の国家なのである。

それが証拠に畏友屋山太郎氏が2005年5月26日号の「夕刊フジ」で指摘する如く、日中戦争の死傷者を東京裁判では600万人だったものを今や何千万と言っている。やがて1億人に増やしてきても驚いてはいけない。

私は中国に格別な興味を持った事はなかった。敗戦時(1945年)に小学4年であり、1949年10月1日の中華人民共和国成立のときは中学生だから、何の関心も持たなかった。大学を出てすぐ、長崎国旗事件が起こったが、関心は無かった。
それなのにやがてNHKで政治記者になり、無理やり中国問題を勉強させられ、昭和47(1972)年9月、田中角栄首相が国交回復を目的に北京に特別機で乗り込むことになり、あろうことか私が同行、同乗して、生まれて初めて中国の地を踏んだのである。

滞在中、万里の長城の経緯にも惹かれたが、最もショックだったのは、明(みん)の十三陵(墓地)の発掘跡で金むくの金盥(洗面器)を見せられたときである。明の時代の王族が顔を洗うのに金無垢の洗面器を使っていた・・・死んで埋葬するに際して、その洗面器はじめ財宝のすべてを副葬した。庶民は見澄まして盗掘を図るから村人を全員を殺してしまった・・・

これでは王制は長く続かないだろうし、富が偏在すれば革命的な世直しはいつでも試みられるし、毛沢東による共産主義革命もまた必然だったのかも知れないと思った。

地主や特権階級だけがコメのメシを喰い、贅沢の限りを尽くす一方で、餓死したり凍死したりする国民が日に何千人も出るような国は国家とは到底言えないのだから、共産主義革命もむべなるかなと思ったわけだ。硬いメシを粥に変えてみんなで等しく食べるのだ。ロマンティックではないか。

しかし人民公社で農民に無理やり共同生活をさせても、そこらへんに散らばっている燃料を頼りに畑で製鉄しようなどと言う自力更生政策は失敗するだろうし、人民公社も旨く行かないと感じた。

共産主義と中国共産党は異なる存在である。外相秘書官になって1978年の1月にモスクワを訪問した。クレムリンに入ろうとして雪にまみれながら立ち尽くす何千という人々の列に気がついた、破れた靴、擦り切れたオーバーコート。トルストイのいう農奴とはこれかと問えば、これぞモスクワ市民。生涯の思い出に初めてクレムリンとやらを見学に来たのだと言う。

一方、ソビエトを模範と考えた毛沢東の共産中国。革命で何千万人も殺して足りず農業政策の失敗でこれまた何千万と言う人民を飢え死にさせて責任を取らない。田中訪中は文化大革命の終盤期(1972年9月)だったが、この権力闘争でも何千万人を殺した末に、北京市内では人民が肥えたごを担いでいた。

毛沢東の死後、3度目の失脚からよみがえった!)小平が「4つの現代化」を掲げて社会主義市場経済という、経済は資本主義、政治は依然として共産党独裁体制という矛盾した体制を布いたことから国家の矛盾が始まり、ついに政治体制つまり共産党幹部の独裁を維持するためにはナショナリズムを高揚させるしか方法がなく、その一環としての日本批判が始まったのである。

日本非難が体制維持の必要不可欠な手段と解った以上、中国の言いなりになったら困るのは中国である。まして謝罪すれば、「日本はほら見ろ、属国になったではないか」と取り敢えずは凱歌を挙げるに決まっている。

当面、我々はどう対処すべきか。本質的に矛盾を包括した国家は必然的に破綻しか待っていない。少数民族の反乱、貧困農民の反乱、国営企業の破綻など中国がごく近い将来に抱えた爆弾は数え切れない。したがって日中両国のためにも小泉参拝は中止すべきではない。舐められてそれだけである。2005.05.29執筆(再掲)

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