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高橋よしあき 「日々を綴る。」

高橋よしあき 2005〜2012 ブログ履歴 (以降は更新していません) 

フジロック07。

2007-07-28 13:06:31 | 「歌うたい」の私
昼前に越後湯沢に着きました。
いまだ、会場へのシャトルバス待ちちう。
13時からの湯川潮音、間に合わないな(焦)
ま、今年はの2日間参加だ。
せっかちにならず、ゆっくりじっくり楽しもう。



実は、カイシャの後輩が体調崩したとかで、
チケットは一昨日に譲り受けたばかり。
急なことで、誰が出るのか詳しく知ったのは昨日。
ま、こうなったのも理由があるはず。
「観に来い!」
と、誰かが呼んでるんだろうな(^^)

それがの仕業か?
しかと確かめ、後日にライブレポ書きたいと思います。
しかし…
まだバス来ねぇぞぉ~


駅なかにある日本酒温泉。フェス疲れを癒すのに最適

札幌ライブ記その2。

2007-06-13 20:26:19 | 「歌うたい」の私
2007年6月4日 Live at 札幌LOG
競演/長津宏文、オマンKC、狼豊



オオカミにユタカと書いて「ロボ」。アカペラ絶叫

再び競演のオマンKC=コンササポです(^^)

LOGのマスター長津さん。世話になります

前日の千歳マラソン完走Tシャツ着て歌ったぜ

1.三月の朝
2.「戦争」になれ
3.昭和
4.カワサキ
5.ウチナー2006
6.JUSTICE
7.神様になりたい
8.がんばれニッポン

<アンコール>
9.BEYOND

この小屋で歌うのは3年連続。
移転前のススキノ時代も含むと4回目。
年1回訪れるってペースはちょうどイイね。
惰性にもならず、かといって忘れることもない。
「やぁ、また会いにきました」

札幌滞在も4日目となり、
このマチの「クウキ」は十分カラダに染み込んだ。
161倉庫での反省からギターもいくぶん触ったし、
歌の「ネタ」も仕込んだ。
それなりに演れた感はあるけど、どーだったろう?

フルマラソン4時間切ったことが1番の話題(^^)
まず、その達成感を歌ったわけだが…
同時に蘇ったのは、30キロを過ぎた苦しい時間帯、
脳裏をよぎった亡き友人たちの面影。
何故だろうな?

20代の頃、同じ夢を見て戦い、
そして、志半ばに若くして死んだ奴ら。
サヨク時代とパンク時代の「戦友」たち…
事故、病気、ドラッグ、酒、自殺、、、
原因はイロイロだけど、
そんな奴らの残像ばかり浮かんできたのよ(泪)

死んじゃったら、苦しむことさえできない。
「苦しい」を体感できるのは、生きている者のみ。
特権だぜぇ?
だから、生きてるオレらは、
もっともっと「苦しい」を楽しまなきゃいけない。
そんなことを強く思いステージを後にした、
サッポロの夜でした。

ありがとう。

札幌ライブ記その1。

2007-06-12 19:41:14 | 「歌うたい」の私
一週間以上経ってしまった(汗)
遅ればせながら、セットリスト含め記しときます。

2007年6月1日 Live at 札幌161倉庫
競演/ヌルマユ、オマンKC、鈴木高年、ほか



バックのラスタフラッグがチカラくれるって感じ

1.三月の朝
2.JUSTICE
3.カワサキ
4.神様になりたい
5.ウチナー2006
6.がんばれニッポン

<アンコール>
7.即興(こにちわサッポロ)

当日の16時に千歳空港着。
数カ月前に切れた弦がそのまんまで(呆)
札幌に着いてから楽器屋を探すという不手際ぶり。
ライブ休んでた4ケ月余の間、
ほとんどギターさわってなかったのバレバレ(^^;

んが、ステージに立つと不思議と蘇ってくる。
音、コトバ、リズムの感触、
そして、音の無い「間」の清々しさ。
店のスタッフでもあるKC氏の気づかいもありがたく、
自分の前に出たヌルマユがイイ空気つくってくれた。
なので、とってもキモチよく演れました。

で、
アスリートとしてトレーニングを続けてた分、
カラダと「こえ」は、けしてバテなかった。
けど、ギターだけはゴマかしようなかったわ…
コード進行、指が忘れてた曲あったし。
イカンね、こういうことじゃ!

中2日後のLOGでは、こういうことナイよーに。
という教訓で締めくくりました。

つづく

1.17という日。

2007-01-17 19:23:59 | 「歌うたい」の私
神戸に来てます。
「この日」を「この場所」で過ごすのは4回目。
それで、何かが変わるわけではない。
でも、このマチの空気の中で、
この特別な日を迎える意味は大きい。
無理してでも来て正解だった。

「第12回1.17追悼・連帯・抗議の集い」
2007.1.17 神戸市役所前広場
競演/チョウバギ&パクウォン、おーまきちまき、岡本民、ほか



しんみりと歌い綴るだけじゃぁライブじゃない

ステージから飛び下りて、暴れてやったぞよ

1.神様になりたい
2.ウチナー2006
3.JUSTICE


「水曜日かぁ。キツイなぁ」
2007年のカレンダーに八つ当りしたよ(笑)
ライブツアー組むにゃあ、有給を3日連続使わなならん。
さすがに諦めかけたが、深夜バスで日帰りなら問題ない。
ライブハウスにはブッキング連絡せず、
この日のためだけに出向くことを決意。
朝7時前には「現地」に着いた。

結果的に、それがよかった。
黙祷には間に合わなかったが、
その余韻が残る追悼会場に居合わせることができた。
出勤前に立ち寄ったであろう会社員。
祈りに手を合わせ続ける老人たち。
そして、
当時まだ生命を授けられてなかった子どもら…

12年という歳月が流れても、
失われた「いのち」だけは復興しないことの重み。
これまで以上に強く、心に突き刺さった。
そう、1月17日は「特別な日」ではなかった。
365日続く「フツーの一日」のはずだった。

12年前までは。


市役所24階の展望フロアーより

だから、身構えるのをヤメた。
何かしら「特別なこと」をやりに来た意識を捨て、
このマチの1月17日に身を置くことに努めた。
あくまで「フツーの一日」として。
それこそが追悼であり、
近い将来、我が身に降りかかる「現実」への準備。

そうでなければ、首都圏で過ごす日常に戻った時、
教訓として活かすことなどできない。
でしょ?


ロウソクの炎はゆらぎ続ける。まるで「いのち」みたいだ

28ステージ。

2006-12-29 11:32:28 | 「歌うたい」の私
2006年に歌ったライブ数。
去年は40ステージなので、約4分の3。
これは意識的に減らしたわけじゃなく、
春に荻窪BOXINGLEE'S CAFEが店をたたんだ影響。
5月以降に月例1~2本プラスすれば、ほぼ同数になる。
ま、しつこく言うが数の問題じゃない(^^;

「うた」はだな、と。
1年間歌った手応えとして、今しみじみ思います。
地方遠征にチカラを入れ始めたのは2年前から。
それ以前は「呼ばれたら行く」受け身の姿勢。
東京以外のネットワークがあまりなかったしね。

しかし、一度出向いてみれば必ずこうなる。
「また歌いに来てください」
「ぜひコチラこそ」
社交辞令もあるだろう。
実際、次も足を運んでくれる保障などない。
けれど、ライブ活動とは本来こういうもの。
一期一会が基本なのじゃ。

28本のうち、12本が地方巡業。
2度の関西と、札幌、沖縄。
マラソンやサッカー観戦も兼ねていたから、
どれもが濃厚で充実した時間。
そして、ステージに立ってる間だけが「ライブ」じゃない。
旅の道中ふれるもの全てが、
その瞬間の「うた」を肉付け、再現不能な表現の源になった。

それに比べ、ここ最近の東京でのライブはどーよ?
ノルマ的になってるだろ(呆)
実際に金銭での「それ」も負いながら。
ひとつには、荻窪BLCの閉店で、
「仮の拠点」を渋谷アピアに移したことの結果。

日時の融通がきかず平日夜のブッキングが増えた。
定時で職場を後にするのもままならないのに、無理すな。
このままじゃ、小屋にも職場にも迷惑かけた上で、
集中力を欠いたステージを繰り返すだけだぞ?
原点に帰ってみろよ。

ライブハウスの「用意された舞台」に背を向けるところに、
オマエの立脚点があるはず。

そして「楽しくない」ってキモチを誤魔化すな。
まず小屋ありきの活動は似合わないって!