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高橋よしあき 「日々を綴る。」

高橋よしあき 2005〜2012 ブログ履歴 (以降は更新していません) 

悪くない。

2009-10-16 22:38:00 | 「歌うたい」の私
音楽を持ち歩くこと。

何言ってんの? 今さら、
かな…
いや、自分にとっちゃ改めて、だ。
もう10年以上そういう習慣をなくしてた。
ある時から必要としなくなっていたし、
意識的に「止めた」。
あるいは「避けてた」とも言える。

自分が身を置き、行動する情景の中で、
音楽の原石たるコトバやリズムやメロディを感じる。
その感性をいつも研ぎ澄ませていたいから。
と、こんな風に自分を納得させて。

ケータイをiPhoneに機種変して2週間余、
ついに内蔵するiPodに手を染めた(笑)
インポートしたのはDOESの『The World’s Edge』。
そもそも若いバンドの新譜を買うこと自体が稀だ。
それくらい、このスリーピースにヤラレちゃってる。

現実の世界をシャットアウトするためじゃない。
よりリアルに感じ取り、
そしてLOVEを投射するためのBGM。
ソリッドで言霊の炸裂するロックが一番だ。
外界の音&声とミックスされて程よく心地イイぜ!

マイケルジャクソンのこと。

2009-07-03 22:23:00 | 「歌うたい」の私
彼の死から一週間。
正直なところビックリ(*о*)
はしなかった。
あぁ、やっぱり。来るべき時が来た。
そんな感想。

悲しいかって?
いや、彼の音楽に特に思い入れはない。
キライだったわけじゃないさ。
むしろ、根っこの部分ではリスペクトしてた。
ただ、彼は変わり過ぎてしまったんだよ。

「悲しい」としたら、その時点までさかのぼる。
何故、ジャクソン5の時のままでいられなかった?
オーティスやJBと同じ道に立てばよかったんだよ。
「ブラック」である自分がそんなに嫌だった?
誰も貴方を蔑んじゃいないって。

病気なのか、薬の力なのか、
ある時から「ホワイト」に豹変した、その美貌。
生身の人間からサイボーグに造り変えられた。
あるいは『スリラー』よろしく、ゾンビのよう。
オーディエンスが求める「夢」は、
最終的に貴方の心とカラダを蝕み再生不能にした。

追悼に一曲選ぶ。
としたら、迷わずジャクソン5だ。
オレは、子どもの頃の歌声しか聴きたくない。
嗚呼、なんて哀れなネバーランドの王子さま…
合掌。


ウォークマンの功罪。

2009-07-01 18:08:00 | 「歌うたい」の私
発売30周年、らしい。
そーかぁ、もうそんな経つのかぁ(感慨)
1979年といえば高校2年生。
すぐ手に入れ学校に持ってきた友人が羨ましくて…
お年玉貯めてステレオ買ったばかりだったから、
すぐには手が出せなかったな。

数年後、録音機能の付いた「Walkman 2」を購入。
以来、外出には欠かせないアイテムになった。
当時2局しかなかったFM番組をエアチェック。
新譜エルピー(笑)特集やスタジオライブ音源を、
通学途上の電車内でずっと聴いてたっけ。
(当時録ったRCのレア音源、生唾ものでっせ)


これで3万3千円って。
今は安くなったなぁ


と、ここまでは、
現在「iPod」を手放せない方々と同じ感覚だろう。
でも、自分の場合ある時からそれを止めた。
カラダが求めなくなった、と書いた方が正確かな。
既存の音楽を「持ち歩く」必要性を感じなくなった。
ジャンル、カテゴリー、アーティスト数々あれど、
最も「大切」な音楽は自分の心の内にあるから。

この感覚、ずぅーっとフツーだと思ってました。
でも一般消費社会から見れば極めて少数、
という事実に気付かされたのはわずか数年前。
10代終わりから30代初めの交遊人脈が、
音楽の作り手・送り手ばかりだったからかな?
愕然としたよ(☆。☆)
それと同時に反省もしました。
他人に強要してるつもりは全くなかったから。

いつでも何処でも、好きな音楽が聴ける。
そりゃぁ、ステキなことです。
でも、「耳を塞ぐ」ことで失うモノも確実にある。
こっちへの危機感の方がずっとデカイのです。
クウキを読み、コミュニケーションを図るのは、
開かれた五感があってこそできること。
人混みの中にいても、周りが見えてない奴ばかり。
それで「孤独」だの「ストレス」だの、
チャンチャラ可笑しい、笑わせるな!

イヤフォーン文化?
周囲を遮断するライフスタイル?
コイツが無くなるなんて期待していない。
これらに支えられたビジネスがあまりに巨大だから。
でも、マズイと思うよ、このままじゃ…
ヒトが「生き物」として生来もってたはずの知覚。
音楽の作り手・送り手はその復権を願ってるはず。

コワシタノハダレダ?!

何故アピアなのか?

2009-06-24 17:14:00 | 「歌うたい」の私
日曜のライブ話のつづきを。

この日の出演者は公式には6人(6組)。
3週間にわたるラストイベントの大トリだけに、
実に「らしい」メンツばかり

1.耕時
2.青木マリ
3.チバ大三
4.牲捜
5.小池真司
6.遠藤ミチロウ&石塚俊明



実はもう一人大物ゲストが歌いました
そのハナシは後日あらためて…


と記したところで、サポ読者の多いこのブログ、
「一人も知らん」って方が大多数でしょう?
最も知名度のあるミチロウさんでさえ、
世間的には「元スターリン」=過去の人だろう。
ま、そーゆー小屋です。

知る人ぞ知る、通好み弾き語りシンガーの拠点。
とはいえ「表現者」としての才能と評価は、
必ずしも「商品価値」とは一致しない。
どれほど聴き手の心を揺さぶる唄を歌おうと、
メディアには絶対にのれない者たち…
ミチロウさん曰く、
「今日歌う人は何故みなドロドロしてんだろ?」
それが良いか悪いかは別問題(笑)

で、ひょっとしたらココに、
私=高橋よしあきも名を列ねてたかも知れない。
(実際、牲捜を除き競演したことあり)
その場合、同じようにドロドロのステージを務め、
きっと「アピア愛」を叫んでたことだろう。
それはそれで、幸せな展開だったか(^^;

でも、この小屋は自分にとって制約が多過ぎたね。
ノルマや演奏時間といった条件面の話じゃない。
40年という歳月が育んだクウキ感や慣習、
そしてステージマナー。
4年チョッとの期間では、
この空間と「愛し愛される」関係になれなかった。
こんな風に捉えてるんだけど、
どうかなぁ、アピア仲間の皆さん?

最後に。
こんだけ文句ツラツラ綴りながらも、
アピアにこだわった理由をひとつ悟ってます。
火取ゆき
この夜は小池真司枠で1曲歌っただけだったが、
その歌声に気付かされたんだよね。
店のスタッフでもある彼女に魅せられちゃった。
イロんな意味で(爆)

実に単純でわかりやすいオチでした。

さらば、渋谷アピア。

2009-06-22 23:09:00 | 「歌うたい」の私
世話になったライブハウスのひとつ、
「弾き語り道場」渋谷アピアが昨日幕を下ろした。
といっても閉店じゃなく移転だからね。
過剰にセンチメンタルになる理由はないよ。
と、こんな風にドライに書けるのは、
オレ自身がこの店に馴染めなかったからだな。
結局、最後まで。

ブッキングは2006年の暮れで止めた。
4年チョッとで15回ほど。
せいぜいこんなモンだろう、アピアで歌ったのは。
40年という店の歴史の中じゃ、
「ある時期出入りした」有象無象の一人に過ぎん。
ってことを、昨夜のライブに立ち合って痛感した。
えっ、卑屈な物言いだって?
かもね(^^;

正直なハナシ、アピアに限らず、
実は「ライブハウス」ってもんが好きじゃない。
自分の半生を語るのに無くてはならない場所。
であるはずなんだけどね…
現在の自分は「負」の部分ばかり感じてます。
ま、だからライブ活動止めてるんだろうよ。
ハハハ(醒めた笑い)

オッと、
何だかやたらシミッたれた文を綴ってるな。
誰に文句があるわけじゃないです。
ゆうべのラストライブだって、
居合わせられたことにスゴく感謝してる。
ただね、その上でこう感じてます。
「あぁ、此処は自分の“場所”じゃなかった」
だから、彼・彼女のように涙ぐむことはない。

あ! これジェラシーだ(自爆)


渋谷アピアのことはまた改めて