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第60回日経新春杯

2013-01-13 | ひとりごと
思い出されるのはテンポイント。デビュー当時は東高西低の競馬界だった。阪神3歳Sで7馬身差をつけて圧勝し、西の刺客としてクラシックを迎えた。最大のライバルトであるウショウボーイとは皐月賞で初対決を向かえる。コンディションが整わず2着に完敗、続くダービーでもレース中の骨折により7着と敗れた。再起を期した菊花賞でトウショウボーイに先着したが、伏兵グリーングラスの決め手に屈し2着。有馬記念もトウショウボーイの2着に破れ無冠に終わった。古馬になり打倒トウショウボーイを掲げていたが、天皇賞春ではトウショウボーイが出走せず独壇場で圧勝した。再選が叶ったのは宝塚記念。しかしトウショウボーイのスピードに圧倒され2着に敗れている。当時の天皇賞馬は再び天皇賞に出走する権利がなかったので、ライバルとの再戦は有馬記念と決めて調整されたいた。京都大賞典では63キロ、続くオープン競走でも60キロで勝利を収め本番に備えた。有馬記念を引退レースとしたトウショウボーイも万全な状態でレースを向かえた最終戦、事実上2頭のマッチレースであった。直線半ばでトウショウボーイを捕らえたテンポイントが勝利し、国内では敵なし海外遠征のプランが持ち上がった。ファンに愛されたテンポイント。海外挑戦の前にもう一度勇姿を見せたのが日経新春杯であった。小雪舞う中背負わされた重量は66・5キロ、多くのファンが見守る中レース半ばで骨折し競走中止。競馬関係者、ファンの要望もあり安楽死させず手術を試みるも衰弱し蹄葉炎も発症。42日間の闘病生活はいろいろな物議をかもしだし幕を閉じた。合掌。

23戦5勝。成績は大したこと無いかもしれないが、京都コースでは10戦して掲示板を外したのは1回だけで信頼できる。飯田明厩舎に飯田祐騎手の親子鷹も信頼がおける。飯田祐騎手の調教師試験合格に花を添える。

◎メイショウウズシオ


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