NPO馬人 『荒スポ』

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ドキュメント? うつのみや競馬最後の日

2005-03-20 | ツアー
 朝からさわやかな天候のもと、いよいよ“最後”を迎えた『うつのみや競馬』。その一部始終をここに記す。

 ホテルを感慨深い足どりで後にし、JR宇都宮駅から無料バスで現地に向かう。
満員のバスの中で聞こえるのは「いつもは5、6人しか乗ってないのに……」「毎回こんだけ乗っていれば……」という定番の声。
 バスに揺られること30分、駐車場も埋め尽くされた『うつのみや競馬場』に到着。
 先着3000名に配られるオリジナルの記念ストラップを手に入れ、“最後”の予想紙を売り子さんから「当たる新聞を」と『競馬ニッポン』(赤競)を購入。前日に購入した『競馬ニュース』(青競)と合わせ、予想紙はすべて揃った。
先ずはポテト(100円:他地区では「イモフライ」とも)で小腹をなだめ、馬券を買いつつウロウロ場内見学を始めることにした。

 パドックの横に人だかりを発見、「U駿」うつのみや競馬の私設応援団のブースだ。
今まで発行した新聞(今後も出来る限り発行を続けるとのこと)を配布している。もちろん無料。
 その横を見るとどこかで見たことがあるスタンプ発見。
「鉄の女・ブンブクマーチャン(←2ページ目参照)」立て看板と新聞コピー。メインレースに登場する彼女は400キロそこそこの馬。
しかしこれまでに117戦をこなし熱烈なファンが多い。……そう、重なるのは「ハルウララ」。
 思えば高知に取材に行き100戦記念の「名前」を必死に押印したなぁ。「当たらない」という「交通安全」の御守りで。
 ただ、彼女は、ハルウララと違って勝鞍も多く掲示板も外すことが少ないことから、「落ちない」という御守りだった。
 スタンプは「無事是名馬」「航空安全」「出世祈願」「合格祈願」「交通安全」の5種類。
 こういう企画にすぐ反応してしまう編集長は早速単勝馬券を購入、ひたすらスタンプ乱打。
その光景を見てさらに野次馬が周りを囲み、一時は2番人気(結局5番人気)に支持された。

 相変わらずの馬券的中率でへこみはじめ寒さと風にもへこんできた頃、休憩をかねてヤキソバ(300円)を購入し食す。
……すると、となりに座った3人の年配者から、現実味を帯びた生々しい話し合いが耳に入ってきた。
 ひとりは足利の馬主か調教師。他ふたりは九州から買い付けにきたらしい。
馬を搬送する手筈を話し合っているが、馬運車3台でも足りないらしい。しかも買い取りが決まってない馬も一緒に。
まさか想像したくはないが、九州には馬料理で有名な地方がある。
 「いい馬もいるんだけど……」「足もと見られて……」「はっきりした返答がない……」
「県の保証もまだ正式に決まっていないから……」
発せられる言葉は未来が明るくないものばかり。とても興味深く聞いていられる内容ではない。
聞き耳を立てていたが伏せるしかなかった。
 「この馬ぁ勝つよ」それまでの寂しげなトーンが若干生気を帯びた。
どうやらメインレースのことらしい。伏せた聞き耳を再び立てた。
「ゲート? 目隠しすりゃあ大丈夫」ふむふむ気性が悪いのか、だとしたら勝つか惨敗かのあの馬か。
「次の(西川田賞)うちの馬もいいよ」おっいい情報。新聞に目を落とし『うちの馬』ってどれだ(9番枠?)と探すうちに、
3人は“最後”に再び落ち合う約束をして各々散っていった。

 
 いよいよカウントダウンが始まった。
 今日のメインそしてうつのみやの“最後”を飾るのは『とちぎ大賞典』。
パドックは黒山の人だかり。編集長らは準メインのゴール前観戦を我慢した甲斐あって、
一番前の絶好のポジション取りに成功。
ファンを掻き分けて、テレビ取材クルーも編集長らのすぐ後ろでスタンバイ。
 1番から11番の馬が順々に登場し周回を重ねる。控え室から続々と騎手が整列し、
“最後”の「礼」を終えると各々の馬へと走り寄り騎乗した。
それまで静寂につつまれ唯一シャッター音だけが響いていた所々から小さな歓声が上がった。
「ありがとう」「がんばれ」どれもこれも感謝とやさしさに包まれた言葉だった。
その声援を噛みしめる騎手もいれば笑顔で対応する騎手もいる。
 そして“最後”の本馬場入場テーマ曲に合わせ、11頭が思い思いに“最後”の返し馬に入った。
と同時に、刻一刻とせまる“最後”の瞬間を目に焼き付けようと、黒山が一斉にスタンド方向へ動き出した。
 予想屋さんの声が響き、集まる人々。馬券売り場に列ができる。
明日からも他場開催馬券が売られるが、こんなに手売り窓口は開かないだろう。
 携わってきた人々にとって全てが“最後”となる。

 編集長らはゴール板を50mくらい過ぎた本馬場入(退)場口付近で観戦することに決めた。
続々とスタンド前に集まった観衆は10000人以上(公式発表6688人)。
“最後”のファンファーレとともに“最後”の場内実況が響きわたり、各馬順調に“最後”のゲートイン。
「スタートしました!」
56年間の幕を下ろす“最後”のレースが始まった。

 スタートよく飛び出したファン投票第1位の4番トウショウゼウスが果敢に先頭に躍り出た。
勝つか負けるかの6番ハイコンプリート(「この馬ぁ勝つよ」)が2番手で続く。
直後に10番シルバーギャロップと9番レザーネックが続き、3番人気の8番ヤマニンバリーが5番手に位置取った。
1周目のスタンド前を通過していく各馬に暖かい声援と拍手が送られる。
末脚に磨きがかかった5番コウエイシャープが続き、それを交わす勢いで1番人気の3冠馬3番フジエスミリオーネと「落ちない」7番ブンブクマーチャンが中団をキープし2コーナーから向こう正面へ。11番ロイヤルサンサン1番サンエムグレン2番タイガーダンサーと人気薄ながら虎視眈々と上位を狙って追走し第3コーナーへ。トウショウゼウスの手応えが怪しくなり、スピード上位のハイコンプリートがすすっと先頭に立った。手綱をしごきながらレザーネックとヤマニンバリーが進出し、フジエスミリオーネを伴い第4コーナーから直線へ。ハイコンプリートの必死の粘りに内からヤマニンバリーが抜け出す。満を持してフジエスミリオーネが仕掛ける。後続は伸びてこない。“最後”はヤマニンバリーとフジエスミリオーネとの一騎打ち。残り50m。最高潮に達した声援に応え、“最後”の叩き合いを制し“最後”に栄光をつかんだのは3冠馬フジエスミリオーネ。これで見事4冠。うつのみや最強馬の誕生、新たなる伝説へ向けてヒーローが第一歩を踏み出した。

 ウイニングランもなく次々と引き返してくる各馬に悲しみも入り混じった声援が送られた。
第1コーナーに集まったファンの声援に応えるように、シルバーギャロップ騎乗の山田博美騎手が「ありがとう!」と一言。
と同時に、レースで使用していたゴーグル2つをファンに投げた。
ゴーグルは届かずカメラ席に落ちたが、カメラマンの人が機転を利かしファンに手渡してくれた。
そのひとつは編集長の元にまわり、興奮しシャッターをきるのも忘れた。
「写真とるの忘れた」という編集長のつぶやきに「いいじゃん。目に焼き付けただろ。」とゴーグルを逃したファンからのツッコミが入り、照れながらその場を離れた。

 『とちぎ大賞典』が確定し、ご記憶のとおり的中馬券のない編集長は、表彰式と閉場セレモニーが行なわれるゴール前(人ごみ)は避け再び元の位置に陣取った。
 まずは表彰式。優勝騎手の平沢則雄騎手が登場してきた。思わず「お疲れ様です」と声をかけ手をさしのべた。平沢騎手は快く「ありがとう」と応じ握手をしてくれた。
それを皮切りに声援と握手攻めに遭いながら表彰台へと向かっていった。

 大歓声の中、表彰式が行なわれている間に、後半レースでワイドが的中したこともあり馬券を換金。
 『閉場セレモニー』が始まると同時に、大歓声が大罵声に変わった。福田栃木県知事の登場で。
話の内容はよく聞き取れないが、要は「財政が厳しく苦渋の決断だった」ということらしい。
 最近6年間で約41億円の累積赤字を抱え、昨年10月に廃止が決まった。
場外馬券の発売は今年12月まで続けるが、競馬場の跡地利用については決まっていない……。

 『閉場セレモニー』が大ヒンシュクの中終わると、司会者が涙ながらに騎手ひとりひとりを紹介し全17名が表彰台に上がった。
 騎手会長の小野三夫騎手が代表して挨拶を述べたというより吠えた。その一言一言に観衆が反応し再び大歓声となった。
そして、騎手からファンへ“最後”のプレゼント。私物のほか、愛用していた勝負服・キャップ・ゴーグル・ステッキなどが一斉に宙に舞った。

 “最後”はファンへ馬場を開放。騎手がサインや記念撮影などで交流し、別れを惜しんだ。
編集長らはその光景をしばし定位置(ゴール後50m)で見守った。ココロここにあらずで。
観衆の波がひくのを見計らって、いよいよ馬場に足を踏み入れた。ココロが躍った。

 まず最初に遭遇したのは……あれ? 阿部幸太郎さん?……「穴党専科」でおなじみの評論家アベコーさんだ。
ファンに催促されポーズをとって撮影に応じていた。地方にも目を向けてくださっていたとは嬉しい限り。

 砂の感触を味わいながら、次に遭遇したのは松本大寿郎騎手(だと思うんだけど)。「お疲れ様です」と声をかけると
「すみません。もう何もないです。」とシャツとタイツになった自分をアピール。
何か貰おうというつもりもなかったので「いえいえ……」と変な相槌をし、間を作ってしまった編集長。
そこで特派員が「この後(の進路)、決まりました?」とフォロー。松本騎手は「まだ決まってません……」と寂しい返答。
「頑張ってください」としか言えなかったのは今も気にかかっている。……頑張れ! 松本騎手!

 続いては人気者、「ミスターピンク」こと内田利雄騎手。すぐ後にライヴ「内田大賞典(G1)」が控えているので、忙しい忙しいと対応しているが、そこは人気者、サインをするたびに「ライヴに間に合わなくなっちゃう。もうこれで“最後”」と言ったところで誰も帰してくれる訳がない。
しかし、特派員が色紙を差し出しつつ「私も追っかけなくちゃなんだけど」と切り返すと、ガバっと顔を上げ「あぁ! 是非来てくださいっ、待ってますっ!」と極上の笑顔で対応。
「いいひと内田騎手」の本領を発揮して、結局は“最後”のファンまでサインをしてしまったとか。

 その間に編集長はゴーグルを貰った(?)山田騎手にサインを貰いに。
サインやら取材やらで忙しく対応していた山田騎手にさらなる悲劇が……知り合いらしき人がスタンド側から山田騎手の私物を投げ入れた、その瞬間に山田騎手のもとにファンが殺到!
もみくちゃにされ山田騎手そっちのけで奪い合いを始めた。避難するのがやっとの山田騎手も苦笑い。その後は冷静にインタビューに答えていた。

 ゴール前を通り、人影も少なくなったときに鈴木正騎手を発見。うつのみやの名馬ハイコンプリート号を13連勝させた主戦ジョッキーとして有名。
色紙がなくなった編集長は手持ちのバッグにサインをしてもらうことに。
「本当にいいんですか?」の一言に「是非!」「じゃあ小さく」「いや、大きくお願いします」とねだり、編集長もご満悦。

 リーディングジョッキーの早川順一騎手には、ファンの取り巻きが解けず、さすがの編集長も諦めざるを得なかった。

 太陽も傾き、『うつのみや競馬』の終焉を待つ空。“最後”にゲート体験。
作業員のひとりひとりがオレンジ色の陽光に照らされ哀愁を帯びていたのが印象的だった。
「内田大賞典」に向かう駅への道も、どことなく寂しげで……

 '03年3月の足利、'04年12月の高崎に続く廃止で、北関東の地方競馬はすべて幕を閉じた。