今日で4日連続のブログアップだよ~。
よっぽど暇なんだべが~。
んな訳で、昨年「石森章太郎ふるさと記念館」で開催された「シュガー佐藤展」の、シュガー佐藤先生・・・・・(?)、同級生なので「先生」はやめよう。
10月に行われた「オープニングセレモニー」、その日の夜の「シュガー佐藤を囲む会」(プチ同級会)、さらに伸君の店「草庵」での2次会。
また思い出しました。
元気でやってるみたいです。
囲む会では、茨城からファンの親子も同席。
後日、mixiに記事を書いたら、お母さんからコメントをいただきました。
全文紹介しますね。
25日に茨城県つくば市から同窓会にお邪魔させていただいた母のほうでございます。
シュガー佐藤先生をはじめ同窓会の皆様には温かく迎えていただき、
どうもありがとうございました。
私(千鳥)の日記にも「シュガー佐藤展」のことを書きましたので、
よろしければ見に来てください。
同窓会でのことも書いてあります。
さらに、その方の日記を追跡。(まるで刑事・・・?)
宮城県登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館にて、第28回特別企画展「シュガー佐藤展」。
郷土が生んだマンガ家シリーズ第1弾として
10/25(土)~12/14(日)まで。
25日は9:15からオープニングセレモニーがあり登米市内に泊まって参加。
10:30から記念館副館長の質問により、30分ほどミニトークショーがありポスターにサイン会。
シュガー佐藤先生は、
1953年、宮城県登米郡中田町に生まれる。
幼年より絵を描き始め、石森章太郎先生の「マンガ家入門」に出会いマンガを描き始める。
映画の看板のような絵が描きたいと、いったん仙台の看板屋に勤めるが、文字看板が多かったとか。
それでやはりマンガ家になりたいと、知り合いの伝で石森先生の実家でご両親に会い、
東京の石森先生に連絡を取ってもらってマンガ原稿を見てもらうために1970年に上京。
見せた作品は「尾のない奴ら」。
石森先生は原稿をパラパラと見て、扉絵についてはじっくり見たとか。
そして即日でアシスタントとして採用される。
「尾のない奴ら」は扉絵を凝った作品で、タイトル文字は縦書き、点描で飛び出して見えるレタリングで、文字のバックがアミかけ。
しかし、すぐにアシスタントの空きがあったわけではなく、石森先生のレストランで出前運びをして空きが出るのを待つ。
1971年、アシスタントになる。
1977年、グロテスク佐藤の名でこっそり応募した「ゴトンゴトン」が、小学館コミック大賞に入賞。これが実質デビュー作になる。
「ゴトンゴトン」のタイトルは回る水車の音を表す。
閉鎖された村空間を巡る人間同士の因縁を水車にシンボライズして描かれた作品。
6年間の石森プロでのアシスタント時代に培われたテクニックで、背景の描写も精緻であり、扉絵の水車小屋の絵一枚を見ても堪能。
この作品はグロテスク佐藤名義のほうがあっているように思うが、
石森先生にシュガー佐藤と命名されて独立。
ギャグや時代劇などによって多彩なタッチを使い分ける。
1998年、石ノ森先生没後、「HOTEL」など石ノ森作品を数多く手がける。
現在、ビックコミックにて「HOTEL」、ゴルフレッスンコミックにて連載中。
石ノ森作品継承の第一人者。
シュガー佐藤先生ご本人は、口数の少ない物静かな方です。
まさか故郷で自分だけの展示会をやってもらえるとは思わなかったそうで、
サイン会は無料でした。
(サイン会のときは「シュガー佐藤展」ポスターに宛名とサインだけ。)
25日の夜にシュガー佐藤先生を囲む同窓会があったのですが、
小学校時代から高校時代までの同窓生が集まって、シュガー佐藤先生の郷土での企画展を祝い、エールを送り、シュガー先生と楽しく歓談しました。
同窓会の席では限定5枚で東堂さんの絵を色紙に描いてもらえました。
私たちはスケッチブックを持って行ったので東党さんと銭形平次の絵入りサインです。
千鳥とシリンは特別に遠方から駆けつけたファンということで同窓会に参加させていただいたのですが、私たちにも同窓生の方々から声をかけていただき、中田の人々の温かさを再認識しました。
石ノ森先生とシュガー佐藤先生の作品に共通した温かい雰囲気は、きっと登米郡中田の風土の影響が強いのでしょうね。
10/17~19に登米市・(角館・横手市増田)石巻に行って帰って、すぐ10/23~26まで鳴子・登米市に行ってくると言うハードな旅行でしたがとても充実した旅行でした。
中田に行くたびにだんだん知り合いが増えてうれしいです。
関係者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。
郷土が生んだマンガ家シリーズ第1弾として
10/25(土)~12/14(日)まで。
25日は9:15からオープニングセレモニーがあり登米市内に泊まって参加。
10:30から記念館副館長の質問により、30分ほどミニトークショーがありポスターにサイン会。
シュガー佐藤先生は、
1953年、宮城県登米郡中田町に生まれる。
幼年より絵を描き始め、石森章太郎先生の「マンガ家入門」に出会いマンガを描き始める。
映画の看板のような絵が描きたいと、いったん仙台の看板屋に勤めるが、文字看板が多かったとか。
それでやはりマンガ家になりたいと、知り合いの伝で石森先生の実家でご両親に会い、
東京の石森先生に連絡を取ってもらってマンガ原稿を見てもらうために1970年に上京。
見せた作品は「尾のない奴ら」。
石森先生は原稿をパラパラと見て、扉絵についてはじっくり見たとか。
そして即日でアシスタントとして採用される。
「尾のない奴ら」は扉絵を凝った作品で、タイトル文字は縦書き、点描で飛び出して見えるレタリングで、文字のバックがアミかけ。
しかし、すぐにアシスタントの空きがあったわけではなく、石森先生のレストランで出前運びをして空きが出るのを待つ。
1971年、アシスタントになる。
1977年、グロテスク佐藤の名でこっそり応募した「ゴトンゴトン」が、小学館コミック大賞に入賞。これが実質デビュー作になる。
「ゴトンゴトン」のタイトルは回る水車の音を表す。
閉鎖された村空間を巡る人間同士の因縁を水車にシンボライズして描かれた作品。
6年間の石森プロでのアシスタント時代に培われたテクニックで、背景の描写も精緻であり、扉絵の水車小屋の絵一枚を見ても堪能。
この作品はグロテスク佐藤名義のほうがあっているように思うが、
石森先生にシュガー佐藤と命名されて独立。
ギャグや時代劇などによって多彩なタッチを使い分ける。
1998年、石ノ森先生没後、「HOTEL」など石ノ森作品を数多く手がける。
現在、ビックコミックにて「HOTEL」、ゴルフレッスンコミックにて連載中。
石ノ森作品継承の第一人者。
シュガー佐藤先生ご本人は、口数の少ない物静かな方です。
まさか故郷で自分だけの展示会をやってもらえるとは思わなかったそうで、
サイン会は無料でした。
(サイン会のときは「シュガー佐藤展」ポスターに宛名とサインだけ。)
25日の夜にシュガー佐藤先生を囲む同窓会があったのですが、
小学校時代から高校時代までの同窓生が集まって、シュガー佐藤先生の郷土での企画展を祝い、エールを送り、シュガー先生と楽しく歓談しました。
同窓会の席では限定5枚で東堂さんの絵を色紙に描いてもらえました。
私たちはスケッチブックを持って行ったので東党さんと銭形平次の絵入りサインです。
千鳥とシリンは特別に遠方から駆けつけたファンということで同窓会に参加させていただいたのですが、私たちにも同窓生の方々から声をかけていただき、中田の人々の温かさを再認識しました。
石ノ森先生とシュガー佐藤先生の作品に共通した温かい雰囲気は、きっと登米郡中田の風土の影響が強いのでしょうね。
10/17~19に登米市・(角館・横手市増田)石巻に行って帰って、すぐ10/23~26まで鳴子・登米市に行ってくると言うハードな旅行でしたがとても充実した旅行でした。
中田に行くたびにだんだん知り合いが増えてうれしいです。
関係者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。
かなり、長い文ですね~。
まぁ、そんな事がありました。
(話は変わって・・・・)
これも、昔の話。
Oh!バンデスの「いつか来た道、ぶ~らぶら」の映像を公開。
ファイルをサイズダウンしてあるので、画質はよくありませんが、湿布薬はいりません。(笑)
でも・・・、目薬・・・・・・必要かも・・・・・・。
我が家のテレビ、ミヤギテレビ・・・・映り悪いんです。
参考までに、ミヤギテレビのホームページも・・・・。
http://www.mmt-tv.co.jp/bandesu/teiban/burabura/060328.htm
このとき、2日前に連絡があり、急遽「ぶらりロマン横丁」を練習しました。
番組上、金曜日という設定になってますが、実はここだけの話、月曜日に収録しました。(笑)
浮ちゃん、可愛いね・・・・。
今年は何が待ってるやら・・・・・・。
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