金魚鉢から…

アバターと仮想空間、ラビリンス。結論にたどりつけない思いつき。

還ろうね。

2013-04-30 03:03:18 | avatar・仮想空間

お姉ちゃんのお家に行って
お姉ちゃんの畑でできたお野菜で作った
お料理をいただきたかったわ。
お姉ちゃんはとてもお料理が上手なのよ。
(ビールだってお鍋でつくっちゃうんだから)

     ビールを鍋で作るお姉ちゃん^^;

私のことをとても可愛がってくれた。
一度、どんな風にしてでもお会いして、お別れをいいたいの。


還るのは
ほんとは少し怖いわ。
でも、お前がいるから大丈夫ね。
さびしくないわ。

またいろんなお洋服を着て
出歩くことはできるかしら
お部屋の窓辺に鉢植えを育て
お前と遊んで、
広場や部室で
みなさんと楽しくおしゃべりできる日は
来るのかしら。

さ。
もうそろそろ
おでかけに行ってくるわ。
残り少ない時間、
楽しく、楽しくね…。

                    


4月30日で
げそ天内の仮想空間”Avatar Life Beta”がサービスを終了し、
この娘もいなくなります。

小さな部屋で
この娘が最初は1人で
3月に入ってからは犬と一緒に暮らした日々を
私はPC画面のこちら側で見ていました。

着替えのコーディネイトを考え
頭を悩ませながら課金し
ガチャに一喜一憂し、
アイテムを集めて
この娘と、この娘の部屋をかざってやりました

泣いたり飛び上がったりガッツポーズしたり
洋服の裾を翻して歩き回ったり
お友達とお話
広場でタッチ
私の目を楽しませてくれました。
お別れは辛いし、とても寂しい。

このブログは
この娘を通して考えたことを書いて行こうと
始めたものでした。
撮りためたこの娘の画像を入れながら
続けられるだけ続けてみようかな、と今は思っています。

                    

この仮想空間で知り合えた方々との
繋がりも私を楽しませてくださいました。
お付き合いくださいました皆様
ありがとうございます。

最後になりましたが
とても楽しく、また新しい技術の最先端を
垣間見させていただき
Avatar Lifeを開発なさった3Di社の皆様
ありがとうございました。
心より感謝いたします。

またどこかの仮想空間で
お会いできること楽しみにしています

この娘がどうやって「お姉ちゃん」に会ったかは
下記をご覧ください^^;
http://ameblo.jp/karasuma0613
「ありがとうね。」


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お知り合いって!?

2013-04-10 09:00:01 | avatar・仮想空間

黒髪が輝子、茶髪の女の子がAvatar Life Betaでできた輝子のお友達。
Avatar Lifeサービス終了後私はげそ天から足が遠のき、
この方とはたまにコメントを交わし合う程度になりました。
しばらくぶりにログインしたら、この方は既に退会されていました。
どこかのサイトで遊んでいるのかな、もうネット上でお会いすることは
ないのかな。
それともこんなことさえ考えないのが、ネット上のお付き合いなのかな…

ある人とお話していた。
ある、ネットで知り合った人の事になって
その人のことを
「知り合いで…」と言った時。
知り合い!?だって、輝子さん、その人とは
チャットしただけなんでしょ!?


あ、そうなのか。
確かにその人とは会ってもいないし、
話してもいない
いま「話してもいない」と書いたのは
音声による会話はしていない、と言うこと。

アバターの服装、立つ位置、アクション、
吹き出しに表示される文を
お互いにPCディスプレイで見ただけでは
「知り合い」ということにはならない
ということなのか。


その人を肉眼で見て、その人の声を直接聞いて
実名と、お住まいもしくはメアド、電話番号を知っていて
年齢、出身地や出身校、家族構成、職業、趣味なんかも知っている
しかも何度かお会いしたことがあり、
食事なんかも同席したことがある。

そういう人を
「お知り合い」っていうのかな。


チャットで会話してる人間関係ってなんだろう?
チャットしただけ
これが数年その人とチャット続けてもやっぱり
「チャットしただけの(自分とは無関係な)人」なのかな?
アバターの姿形を見てもらって
自分の事柄や、
考え方を入力して読んでもらっただけでは
何もならないのかな

それじゃ
文通ってどうだろう
ハムってどうだろう


やっぱりたかが文通相手だろうか
たかが交信相手?
手塚治虫の「ブラックジャック」に
目の見えない少年と足の不自由な少年が
ハムで交信しあう
お互い会えないのをいいことに障がいを隠しあって
架空の
健常者としての毎日の活動の様子なんて教えあう
最後は
目の見えない少年は実は資産家の子供で
お互いの障がいをブラックジャックに大金払って
治してもらう
その手術前に初めて二人は
お互いの真実の姿で会う
という美しい友情物語があるけれど。

行きずりっていうことなのかな
行きずり感って強いかも知れないなーとは思う。
一度チャットして、それきりって言う人はいますものね。
そういう、つかみどころの無い
その場その時間だけの共有体験、みたいなのが
仮想空間の付き合いなのかな。
文通やハム、リアルでの出会いにそれがまったくないということも
ないですよね。

…うーん、何を考えているのか
分からなくなってきた。







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