四国お遍路・小さな旅

 霊場巡礼と自然・花巡り、小さな旅の気まぐれブログ。

第12回 高家王子~海士王子

2019年06月10日 | 熊野古道(紀伊路)散歩

 

 

高家王子跡


 内ノ畑王子社から西川の西側の道を南へ進むと、JRきのくに線に直交する手前にこんもりとした杜がある。この杜が内原王子神社があり、高家王子社である。

 今に残る王子神社であり、古の各地の王子社を偲ばせるたたずまいを見せている。

 



愛子の渕

 ここより南 50mに「愛子の渕」がある。江戸時代の豪族秦政助の一子亀千代は生れつき目が見えず、嘆き、円応寺の観音様に願掛けしたが効果はなく、前途を悲嘆した末に身投げした。政助は悲しみ、村人の者も声を掛けることすら出来なかった。ところが、死したはずの亀千代の体に不思議と温味が戻り、意識を取り戻し、「今、地獄に落ちそうになったが観音様のお救いで助かった」と言った。一同はその神秘に呆然とし喜んだ。この事があってから、この渕を「愛子の渕」と呼ぶようになったそうだ。




善童子王子跡


 熊野古道は、高家王子社から県道に沿って南下。一里塚跡を過ぎて、大池を横目に下っていくと民家の裏手に「善童子王子神社」の看板が見えてきた。


 連同寺王子、田藤次王子、伝童子王子、出王子、出童子また若一王子とも呼ばれ、人間の耳のあいまいさに加え紀州の人々の発音の特徴を物語る呼び名が一番多い王子だそうだ。また、善童子神社として祀られ、「よい子の神社」と呼ばれているそうです。




愛徳山王子跡


 善童子王子から宮前橋を渡り、南へ緩やかに下る。新興住宅の脇から小さな蜜柑畑を右に見て、薄暗く生茂った竹藪を約150m抜けると愛徳山王子の案内版が見える。  



 その右奥に愛徳山王子跡があった。社名の愛徳は「アタギ」とも読み、地名の阿多木原からこの名になったとも伝えられている。

 



道成寺

 日高平野の最奧部の高台に位置する天音山道成寺は、文武天皇の妃となった宮子姫の伝説や安珍清姫の説話で名高い寺院であり、歌舞伎や能の舞台としても広く知られている。

 

山門(上)本堂(中)と三重の塔(下)

 

 





海士王子跡


 愛徳山王子社から県道を南下し、右側に吉田八幡神社がある。その山麓を回り込むようにして行くとJRきのくに線の踏切が見えるカーブのところに海士王子社があった。

 海士王子社周辺は、道成寺創建にかかわった文武天皇夫人宮子の生誕の地(九海士の里)との伝承があり、海士王子社に祀られていた御神体の木像は、道成寺に移され「宮子姫」の像として祀られているそうだ。

 海士とか九海士の表示は近世の事であり、「くわま」、「クハマ」、「クリマ」王子とも呼ばれていたらしい。



宮子姫のお話

 今から千三百年ほど昔のこと、九海士の漁師と海女の間にひとりの娘が生まれた。この娘は地元の八幡神社に祈願して、授かった子なので宮子と名づけられた。でも、どうしたことか、髪の毛が一本も生えてきません。ある時、母親が海底で金色に光る観音像を見つけ、これを持ち帰り観音様に熱心に祈ったところ、娘は見事な黒髪に恵まれて美しい姫となり、やがて文武天皇の后となったそうです。

 





次回は岩内王子から


・・・御坊から印南、南部方面への九十九王子巡りは

                  今秋以降の投稿予定です。・・・


 



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