暑さ寒さも彼岸まで・・・・
熊野古道(紀伊路)散歩を再開しました。
御坊ICを降りて日高川に沿って岩内王子方向に車を進めるとお遍路道端に三体の地蔵さんを祀った祠に出会った。
三体の地蔵さんは古の頃から旅人の安全を見守っているのだろうか。
遍路道端に咲く彼岸花
岩内王子跡
御坊大橋のたもとに岩内郵便局がある。少し進むと岩内コミュニティセンターがあり、その敷地内に王子跡の石柱が建つ。
岩内王子は焼芝(薬師場)王子とも呼ばれ、也久志波王子と書く。本来の社地は現在は日高川の中にあったとされている。河原に数基の石搭・石仏があるそうだ。
元の社地が水没したようなので新たに也久志波王子として岩内王子を祀ったと続風土記は伝えている。
塩屋王子跡(現 塩屋王子神社)
塩屋王子は、熊野九十九王子のなかで特に古く格式の高いものとされ、最初に出来た七王子(藤白、塩屋、切目、磐代、滝尻、近露、発心門の七社)の中の一社と云われているそうだ。
境内には此処にも彼岸花
盬屋王子祠前碑
塩屋王子神社
塩屋王子神社の祭神は天照大神ほか11柱であるが、主神の天照大神の神像が美しいところから、別名を美人王子と崇われてきた。
今日では美しき子が授かると言われ若い夫婦や女性の参拝が盛んであると「美人王子の由来」板が説明している。
白河上皇は十余度の熊野詣でをしている。新古今集の白河院の歌として「立ちのぼる塩屋の煙浦風になびくを神の心ともがな」とある。
「御所の芝」(白川法皇が熊野詣で行幸時に宿泊した建物の跡地)
安政地震(1854)では津波がこの石段の13段目まで来た。宝永地震 (1771)の時は3段目まで来たと、御坊市内の浄国寺に記録があるそうだ。
旧上野王子跡の仏井戸
中世、上野王子は火災にあい、本地仏であった阿弥陀如来、勢至菩薩、観世音菩薩を刻んだ一枚岩を井戸の底に据え、二度と火災で熱い思いをさせないためと言う。(三体の仏が井戸の底に沈んでいるそうだ。)
紀伊続風土記に「今の往還の東北畑中に道あるを小栗街道といふ。道の側に仏井戸といふあり、是王子の旧地にて野径といふい当たれり、その社中世回禄にかゝりて廃絶せるよし寛文記に記せり」と記載されているそうだ。
清姫腰掛け石
逃げる安珍が、追いかけてくる清姫を見て恐れ、この石に呪術を施し、不動金縛りの術で清姫を足止めにした。尻に取り付いた石を見て清姫は怒り、ここで大蛇に変身したという。
碑も生茂る夏草に埋もれていた。
次回は叶王子(津井王子)から
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