四国お遍路・小さな旅

 霊場巡礼と自然・花巡り、小さな旅の気まぐれブログ。

第10回 逆川王子~河瀬王子

2019年05月20日 | 熊野古道(紀伊路)散歩

 



 糸我峠から下り道を進むと蜜柑畑、竹藪と紀ノ国の風景が続いてくる。行者石を過ぎた先に四つ角があり、石標が立っている。



宮の辻の石碑「道六路」

 糸我峠よりこの宮の辻に至る八丁ほどの道のりを「道六路」という。仏語「六道」「六地蔵」に関連すると思われ、天明・天保の大飢饉には多数の行き倒れ、餓死者がこの道に溢れたたという。名称はこれに由来するそうだ。




逆川王子跡


宮の辻を右に進むと古社が現れる。これが逆川王子社である。

 山田川の支流の川があるが東向きに流れている。この辺の川は西向きが多いなかで逆さまに流れるので、この王子社の名となったそうだ。




方津戸峠の石地蔵

 熊野詣での旅人の喉を潤した弘法井戸を古道脇に見ながら進むと方津戸峠に至る

 江戸時代湯浅醤油の盛況の頃、大阪方面で売上げた代金を、湯浅から出向いた受取人に紀州藩の役人が付き添いこの峠まで帰る。正装した湯浅の醤油業者代表が出迎えに来ており、礼を述べるのが慣わしであり、湯浅の玄関口であったといわれる。



立石の道標

 方津戸峠を下り湯浅の町に入る。北栄橋を渡り古道を南へ進む。いかにも熊野街道らしい道筋が残っている。 途中、寺町通りとの交わる角に大きい道標が立っている。立石の道標である。




久米崎王子跡


 久米崎王子社は勝楽寺から国道42号線を横断した小高い小道の脇にあった。紀伊続風土記には徳川頼宣公により小社を建立したと記されているが、廃絶しているようだ。





津兼(井関)王子跡


 湯浅御坊道路、広川ICの専用車道の下をくぐる。 料金所脇に津兼王子跡があった。高速道路開通に伴い、ここに遺跡が安置されているが、あった場所は、遥か地中の下であるそうだ。


 津兼王子跡から高速道をくぐり42号線に出る。この辺りに井関王子があったとされている。現在はそれらしいものはない。また津兼王子は井関王子に先行して存在していたとの説もあるそうだ。



熊野古道絵巻と丹賀大権現

 津兼(井関)王子跡から42号線と並行に古道を進む。路傍の石垣に旅籠や村の様子を描いた江戸時代末期の熊野古道(井関村)の絵巻が掲げていた。


古道を河瀬に向けて進むと朱塗りの鳥居の目立つ丹賀大権現が現れる。

 白河法皇が熊野詣での途上この地で体調を崩された。白髪の翁が現れ、難儀を救った。その霊験を知り、丹賀権現として祀ったのが創祀とされるそうだ。




河瀬王子跡


 丹賀大権現を過ぎれば広川にかかる河瀬橋がある。これを渡る。すぐに河瀬王子跡の磐座である。

 藤原定家は「井関王子」についで「ツノセ王子」に参拝したと記し、また、藤原頼資は「白原王子」についで「角瀬川王子」に参拝したと記す。江戸時代の熊野道中記には「津の瀬王子」と記してあるそうだ。

 また河瀬橋北詰側の山麓に「白原王子」があって、川向かいのこの地に遷されて村名が河瀬であったことから、「ごのせ王子」とも呼ばれるようになったといわれる。




汗かき地蔵(地蔵寺)

 地蔵寺は熊野参詣道最大の難所、鹿ヶ瀬峠の麓にあり、本尊は寺号のとおり地蔵菩薩。

 地蔵菩薩は「汗かき地蔵」と呼ばれ、鹿ヶ瀬峠を越える旅人が、弱ると背中を押して助けたので額に汗をかいているのだという。地蔵菩薩が、このお堂から抜け出して弱った熊野参詣者を助けていたのだろう。





次回は東の馬留王子から



 

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