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9月14日の記事に寄せられたコメントに反論する

2005年10月17日 | エジプト 沙漠とピラミッド
9月14日のblogに対して
ちょっと違います(あれっ?)
というコメントが寄せられましたので反論しよう。

まず、

「添乗員の親が訴えたのはエジプト政府。また観光客は旅行会社JTBに対し6億5千万余りを賠償請求しています。
よく調べてから書かれた方がよろしいかと思います。」

という内容については、事実をきちんと調べていない。添乗員の親がエジプト政府を訴えたのは4月のことである。その後、添乗員の親は添乗員である娘が業務を請け負った旅行会社JTBを訴えた。これが第二段階になる。そしてこの第二段階はコメントの投書者は調べておらず、サイトのなかの「ご参考までに」に書いてある情報を鵜呑みにしている。
はっきり言ってインターネットの記事は非常に主観的なものが多く、参考するに値しない。それを絶対のようにあつかう投書者の頭の程度は......
人を調べ不足と非難しながら自分のほうが調べ不足ではないのか。それは次の記事から自明であろう。


1998年6月15日の朝日新聞によると、
「ルクソールテロ事件遺族 JTBなど提訴
-エジプトの観光地ルクソールで昨年11月、日本人10人を含む62人の犠牲者を出した武装グループによる観光客襲撃事件で、死亡した新婚カップルと添乗員の遺族が15日、「エジプトでは外国人観光客を狙ったテロ事件が頻発するなどしていたのに、安全に配慮する義務を怠った」として、ツアーを企画した日本交通公社(JTB)とその子会社などを相手に6億5000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
 昨年9月に結婚して現地で犠牲になった歯科医(当時32)とその妻(同26)のそれぞれの両親が約5億3600万円、殺された添乗員(同47)の母親が約1億1500万円の賠償を求めている。」
となっている。

つまりよく調べると観光客と添乗員の遺族が訴訟を起こしている。ただしほかの遺族については訴訟は起こしていない、とこの記事からは読み取れる。

コメント投書者は6億5000万あまりが観光客のみと間違った読み方をしている。これは事実を調べず、たまたまあったサイトの記事内容のみを信用し、裏づけを取っていないからこんなトンチンカンな批判をしてしまうのである。

人を批判するのであれば、もっとちゃんと調べてからコメントをいただきたいものだ。まるで小学生が闇雲に人を攻撃するのと同じような、児戯的行為はやめていただきたい。また、一部の記事のみ引用し絶対視するのは、科学的とはいえない。トンデモさん?

ただし、当方の思い違いで観光客の遺族からは訴訟が起きていないようなblogを書いたことは間違っていたので訂正します。被害者の観光客の遺族の大部分は訴訟を起こしておらず、当方の印象では「添乗員の家族が訴訟を起こした」ことが頭にあり、家族も一緒に訴訟を起こしたことが抜けてしまったことによる。

当方の真意としては、観光客の遺族にとっては旅行を催行した会社に賠償責任があるとの思いは理解できるが、
添乗員の親が会社を相手取って訴訟を起こすこと自体、自分の子供の判断を信用せず、47歳であっても子ども扱いである印象を受ける。子供をプロとして扱おうという認識にかける行為といえるのだろう。添乗員というのは観光客から言えば加害者側であり、旅行会社と同じ責任を持つべき存在なのではなかろうか。

添乗員が現地事情を知らなければ、その添乗員についてゆく観光客はまさに、ハメルンの笛についてゆく子供たちではないか。添乗員は会社を代表して観光客を案内する存在だ。その添乗員は受け取る情報量も単なる観光客とは違っていなければならない。持っている情報が観光客と同じであれば、その人は添乗員としてはなりえないであろう。

漠然とかはわからないが、危険を知りながらテロ現場へと連れて行ったのは添乗員なのだ。
あるいは危険の認識がなければ、信頼に足る添乗員といえるのだろうか。

この訴訟については続報がないのでどういう司法判断になったのかわからないが、今までの例では催行した旅行会社には賠償責任が無いというのが一般的だ。

なお、主催旅行の場合には保険がかけられており、遺族は最高3000万円まで死亡補償金が支払われることになったいる。

エジプトヒント交通 その5

2005年10月01日 | エジプト 沙漠とピラミッド
エジプトには信号があまりない。
カイロ市内でも、観光客は新都市の繁華街以外では見ることはできないのではないだろうか。そのかわりに犇きあった車が少しずつ前進し合流したり曲がったりしている。また英国風に言えばラウンドアバウトが多く、信号を設置しないのだろうか。そのためドライバーはすぐクラクションを鳴らしまわりに警告を発する。だから、カイロの街は深夜となってもクラクションの音が途切れることがない。

空港から市内ホテルまではほとんど信号を通らず行くことができた。幹線道路(日本で言えば高速)と2階建てになっているバイパス(首都高)への出入りはもちろん信号はないし、これらの道路にも信号はない。とまったラムセス・ヒルトン前はバスのターミナルとなっているが、この前の道路がいつも込んでいて常にクラクションを鳴らす車で充満している。

エジプトではまだまだ、動物を動力源として利用することも多い。カイロでもロバが引く荷馬車を見かけることができる。ルクソールなどの地方の大きな町でも、タクシー代わりか、観光馬車が街を走っている。そのほかにピラミッドに行けば、らくだ、馬に乗ることができる。動物といえば、エジプトではガリガリにやせた野良犬がいる。また、カイロ市内でも羊、ヤギをよく見る。

エジプトのタクシーは白と青のツートンカラーに塗られた、かなり古い車両だ。多分旧ソ連または東欧の車だろう。日本で言うと20年前のサニーかカローラといったタイプだ。この車にエジプト人は何人でも乗ってしまう。運転手を含めて8人なんていうのもざらにみかけることができる。屋根に荷物が満載というケースもよく見かける。料金は乗っていないないのでわからない。道を歩いているとタクシーがクラクションを鳴らし、運転手が「タクシー?」と聞いてくる。そのとき言う値段が1ドルとか2ドルなので、交渉で1ポンドか2ポンドになるのではないかと思われる。

さすがに観光バスはベンツが多い。路線バスはやはり東欧ものか。お金を持っている人はいいものに乗れるということか。

日本ではどこでもあるというか、あふれかえっているのにエジプトでは見かけないものに自転車がある。基本的に男も女も長い服を着ているので自転車には合わないのであろう。しかし、エジプトの近代化は自転車が普及するかどうかにかかってくると私は思う。

エジプトヒント その4 トイレ

2005年09月24日 | エジプト 沙漠とピラミッド
  エジプトのトイレでは不思議なことにシャワーがついている。最初はビデかもと思っていたが、これはどこのトイレにも付いている。空港の男子トイレにも付いてる。実は小生は痔持ちである。20年前くらいからシャワートイレを使用しており、これが付いていないトイレで大便をすることは非常な苦痛を感じる。だから海外に行ってホテルでの大便をした後は必ずシャワーで尻を洗うことにしている。

  エジプトではこの面倒くささがない。シャワートイレがなくとも付属シャワーを使えばよいのだ。

  イスラム国では左手は不浄の手で、左手で食事をすることはない。なぜかというと大便後お尻を洗うのが左手だからだ。エジプトのトイレに付いているシャワーはこのお尻洗いの水代わりだろうか。

  痔持ちにとってとてもよい慣習だ。

エジプトヒント その3 クルーズ

2005年09月23日 | エジプト 沙漠とピラミッド
  エジプトにナイル川やナーセル湖などでのクルーズは多い。カイロではディナークルーズもやっている。

  ここではナイル川クルーズを紹介しよう。

  今回乗ったのはオランダ系の船だったが、船によって特徴があるようだ。それはなんといっても船で使う第一言語による。ロンドンからカイロまで2187マイルで、東京からバンコクの2868マイルより近い。ローマからは1800マイルぐらいで東京から香港とほぼ同じ距離だ。ローマ時代のカエサルがクレオパトラと親密になったのも、この近さによる。
  だから、ナイル川クルーズにはイタリア船が多いという。

  船の中では英語はどこでも通じる。だが第一言語がどこかによって、楽しみは違ってくるだろう。なぜかというと船籍によって乗客の国籍がほぼ決まってくるので、もちろんラテン系の船のほうがノリがよいという。

  船の大きさはほぼどの船でも同じだ。これはナイル川をクルーズするに当たって途中に水門があり、その水門を通れる幅かどうかという問題。次に係留地があるのはほぼナイル川の東側に集中していることが上げられる。船は基本的に左舷を接舷するので、下流に下る場合には停泊するときに方向転換せざるを得ない。だから船の幅、長さはほぼ決定してしてしまう。
  船の特徴を決めるのはその内装や、装備による。今回乗ったのはオランダ船だ。だからなのか内部は質素だった。

  次に船は1週間のサイクルで上流に上り帰ってくる。だからいつ出帆するかによって予約も一定する。日本人が乗れるのはエジプト航空の直行便が週2回しかないので、ほぼクルーズの出発日が限れられてしまい、船も決まってきそうだ。

  さて、ナイル川クルーズは一般的なクルーズとは違うので、食事のドレスコードはほとんどない(オランダ船だけかもしれない)。また、乗った船は食事も全食ブッフェタイプだった。だからあまり服装を気にすることはないだろう。現に短パン、ゴムゾーリでもなんら問題がなかった。食事中の酒については、エジプトはイスラム国であるがほぼ何でも飲むことができる。これらは別チャージになるのでチェックアウト時に精算となる。
  精算は船によって受け取る金種が違う。オランダ船はユーロが基本。でもエジプトポンドでも受け取ってくれた。船によってはドルしか受け取らないところもあるという。

  ナイルクルーズでは2日目の夜にガラベイヤナイトを行うのが通例となっている。そのため船内にガラベイヤを貸す店もあるし、観光途中でも結構ガラベイヤを売っている店がある。ガラベイヤを借りるのは50ポンドから100ポンド程度なので、船に乗ったらガラベイヤを着て、ダンスに興じるのも一興だ。

  船ではチップは最後に渡すようになっている。一人10ドルが標準となっていて、袋に入れフロントに渡すのが一般的だ。

エジプト7日目 その1

2005年09月22日 | エジプト 沙漠とピラミッド
  本日は8月26日(金)帰国する日だ。今日は ゆっくりとしていようかと思ったが、ツアーの同行者たちは今日も観光に行くという。昨日、ガイドにサッカラの階段ピラミッドと、ダシュールの屈折ピラミッドを見たいと話していた。皆さんこの期におよんでも元気がある。


  今日は午前中はホテルの周りで買い物だ。昼はみんなで近郊の現地レストランに行った。ブフェスタイルだったが、あまり食べられるものがなく、皆あまり食べていない様子。自分はまだ下痢がおさまらず、またもや絶食だ。レストランの周りはゆったりと布を日よけにしたカフェスタイルで、とても落ち着く雰囲気だ。ここで休憩を取り最後の観光?買い物?の地、ハン・ハリーリに出動することになった。モスクの横で説明を受け皆、それぞれに買い物に向かう。
  このモスクの前にはカフェが何軒もあり疲れたらここで休める。細い道を入り見てゆくと、何やらアラブのバザールの雰囲気がしてくる。だが客引きが多く怪しい雰囲気は濃厚だ。店を見ながら前に進む。このあたりは観光客が多いが、路地を曲がると現地の人が買い物をしている。店の分化が進んでいて、観光客専門の店は現地の人は行かないのであろう。だが、行ってみると浅草橋とか、日本橋とかの問屋街と、観光客相手の土産物屋が混じった地域のように感じる。だから現地の人も買い物をする。それがなければ観光客も集まらないであろう。


  ここで2時間ほど過ごし、空港に行く。日本も暑かったが、ほんとに熱風の吹く世界。こんな8日くらいでは何もわからない国。5千年の歴史と、現在の近代化に取り残されたような世界。

  だが、歴史が道端に転がっているこの国に来るには、もっと歴史を知ってくるべきだと感じた。ビラミッドを見ても、アブシンベルを見ても、ハトシェプストを見ても、ただ見ただけじゃつまらない。今度はいつ来れるだろう。この次来るときはガイドを教えるくらいになって来たいものだ。

エジプトヒント その2

2005年09月22日 | エジプト 沙漠とピラミッド
エジプト女性のベール

エジプトで見る女性のうち、完全にベールで顔を覆っている人、
ショールで頭を覆っている人、
まったく覆っていない人、
この3タイプがある。

  真っ黒な衣装で完全にベールで顔を覆っている人は、大体は近隣石油産出国からの観光客で、必ず付き添いが一緒に行動している。
  付き添いといっても大体は男だ。子供がいれば、子供の世話をしているのは乳母(ナニー)である。
  乳母の顔を見ると大体はフィリピン系。日本でもそうだが、フィリピン人は優しくて働き者だ。フィリピンからはるばるアラブまで出稼ぎに来ている娘たちだろう。
  ベールの人はみんなサウジアラビアか近隣のアラブ諸国から、避暑、避寒をかね、エジプトで買い物をするために来ている。

  エジプト女性は、頭の周りに布を巻いている人が多い。アラブ人のようにベールでまったく顔を隠す、のははやっていないのか、自由化が進んだ結果か、老いも若きも顔を出している人が多い。
  そして彼らの技に感心してしまう。細長い布を頭の周りにぴっちりと巻きつけるのだが、布を留めるのは縛っているわけでもなく、安全ピンでもない。彼女らは起用に「待ち針」で巻いた布をとめてゆく。よく頭や顔にささないものだ。
  若い人たちはカラフルな布をまとっているが、40代、50代を過ぎるとやはり黒い布をまとっている。

  そして、女性解放のあかしなのだろう。若い人たちではまったく頭を覆わない人も多くなっている。



エジプト6日目 その6

2005年09月20日 | エジプト 沙漠とピラミッド
  ルクソール西岸の遺跡を見終わり、ルクソール市内に戻り昼食となる。場所はメルキュールホテル。今日はエジプト名物鳩料理だ。しかし昨日からの下痢が止まらず、何とか西岸の観光を乗り切ったものの、固形物を食べる気力がない。残念ながらパスするしかない。食後船に戻り夕食まで自由時間となる。しかしすでにチェックアウトしているので、部屋は使えない。パブリックスペースのラウンジ、上甲板で時間をやり過ごすことにする。

  夜はルクソールヒルトンで中華だ。これも久しぶりの中華なのに食べることができない。コーンの卵スープだけ。春巻き、食べたいよー。ホイコーロー、酢豚、チンジャオ、よだれが出るが食べられない。

  ここで2時間ほど時間をつぶし、空港に行く、フライトはまた変更で10:30だ。ルクソールの空港は新しくて、きれいな空港だ。だが、動線をあまり気にしていない設計と見た。フランス人が作ったのだろうか。きれいだが実用的でない。これでエジプト観光のメインは終わり。明日は買い物が中心だ。