2011年開催の追想展「銀幕のマドンナたち」に引続き、
生誕100年目となる2012年は、戦中から戦後にかけて
の写真作品、資料を展示しました。
小西六写真工業株式会社(現コニカミノルタ)に
昭和15年まで勤務するかたわら、「写真の撮り方」
(三省堂1937年)などの解説書を刊行し職業写真家の
奔りとして活動を始めた矢先、応召されました。
戦地に赴いた尾崎三吉の作品が残るようにとの配慮から、
昭和16年「ポートレートアルバム尾崎三吉写真集」として
光画荘(現在の 写真工業出版社 )の初代社長北野邦雄氏
により刊行されました。
北野氏は、代表的月刊誌であった「光画月刊」
(後の「月刊カメラ」)の主幹も務め、「ドイツ人より
ドイツ語がうまい日本人がいる」と評されていました。
現地除隊後、終戦を中国上海で迎え帰国。
北野氏と写真家としてドイツのフォトキナなど
いち早く欧州を視察しました。
そして日本写真家協会の創立に参画し、女性を被写体に
戦後の写真業界に影響を与え、昭和30年代後半から
本格的に商業写真の分野で活動を始めました。
追想展は、女性ポートレート写真作家として広く世に知ら
れるようになった昭和13~14年代の雑誌、写真専門誌、
著書から選んだ作品と昭和20~30年代の女優ポート
レート作品が中心でした。パンフレット 表の写真の
モデルは、昭和14年に撮影された女優の原 節子さん。
このシリーズの写真は、当時の週刊朝日、光画月刊
(写真専門誌)などの表紙に掲載されました。
東京写真専門学校卒業後、戦前の小西六写真でフィ
ルターと薬品の主任を勤め、テストを繰り返すうち、最も
デリケートな色彩を持つものは女性の肌であることに
気づいたと書き残しています。
そしてそれをいかに美しくフィルムと印画紙に表現する
ことを追及するなか、女性のさまざまな表情をポート
レート作品として残しました。
戦前戦後を通じ撮影地として最も好んだ軽井沢で、
没後17年目の追想をこめて展示開催されました。
このギャラリーは、生前使用していた昭和30年代に
建てられた別荘に円形階段、ベランダを設置して
改装されました。
軽井沢に本格的な冬がやってまいりました。
氷点下マイナス9度を12月初旬に記録しました。
紅葉の季節から一転、雪景色に変り軽井沢町では2月末
までウインターフェスティバルが開催されています。
追想写真展は、12月4日(日)に終了いたしました。
ありがとうございました。
9月1日のオープンにもかかわらず建築、外溝工事が遅れ
皆様にはご迷惑をおかけいたしました。
ここにあらためてお詫び申し上げます。
財団法人大宅壮一文庫、東京都写真美術館、株式会社
写真弘社の関係者の皆様には貴重な資料の提供など
ご協力をいただきました。
また財団法人日本カメラ財団 (JCII)の関係者の皆様には
貴重な助言等をいただきました。
また見学いただいた方々ほか叱咤激励をいただきたいへん
参考になりました。
来年は、尾崎三吉生誕100年目になります。
節目の年の企画展を皆様のご協力を得ながら開催してゆく
所存でございます。
今後ともよろしくお願いいたします。