14日の続きです。
浪人生活に入るなら、その前にきっちりした敗因の分析を ということで、この前は勉強面での分析の話をしました。今日はメンタル面での話をします。
私にもこの4月から幼稚園に通うことになっている4歳の娘がいます。仕事柄、毎日帰りが遅く、あまり遊んでやることもできない身ですが、一日家にいられる日には30分程度、二人の「お勉強の時間」を持つようにしています。市販の幼児用の知能開発のドリルで、絵の間違い探しとか、迷路ゲームのようなことをやるのですが、今のところは難しいものは一切やらせず、まず確実にできそうなものにチャレンジさせて、うまくいったら、「すごい!!えらい!!天才!!」と大袈裟にほめてやるようにしています。すると、めったにいない父親にほめられるのが嬉しいのか、今のところは、健気なくらいとても熱心に「お勉強」に取り組んでいます。
でも、これは娘がまだ4歳だから出来ること。もう少し大きくなったら、父親にほめられることよりももっと魅力的なことが彼女の中に見つかって、僕がいくら声をかけても見向きもしなくなる日が来るでしょうし、また、そうであってもらわなければ困ります(父親の本音としては少し寂しいですが・・・)。
ところが、この「誰かにほめられるために頑張る」という行動パターンを、受験の時期まで、場合によると、30近くなってもまだ持ち続ける人がいます。
もちろんそれが悪いことだと言っているのではありません。ただ、自分の人生のモチベーションの源が、ただ誰かにほめられることだけにあるのだとしたら、それは自立した大人のメンタリティーとしては、少々問題だと言わざるを得ないと思います。
小さいときから優等生で、親や周囲の期待を一身に集めて頑張ってきた子。頑張って期待されたとおりの成果を出せば、周りは喜んでくれるし、そのことで自分の自尊心も満足できて気持ちよくもある。そうやって、周りの大人たちによって作られたイメージにしたがって、自分の進路や志望校を決めてきた生徒。そんな生徒は、実は決して少なくありません。
でも、人間いつまでも、人のためだけに頑張れるものじゃありません。結果として、それが周りの期待に沿うものであるにしろないにしろ、自分の心の底からわきあがってくるような闘志ややる気がなければ、とても1年間の浪人生活なんか、やり切れるものではないのです。