昨日、熊本より帰る折、田原坂を通過しました。
田原坂は明治十年の「西南の役」の激戦地。昨年四月、講演のためこのあたりに出張した際に、田原坂史跡を巡ったのを思い出しました。
先日行った赤煉瓦de偉人伝で取り上げた人物は乃木希典大将でしたが、乃木大将が連隊長(階級は少佐)として参戦したのがこの西南の役でした。
この場所で数に勝る敵の薩摩軍と遭遇し奮戦しますが孤軍奮闘、一進一退を続けます。そして、その課程で薩摩軍に連隊旗を奪われてしまいます。
今日は詳しくは記しませんが、それから後、乃木さんは軍の要職を歴任されますが、常に「軍旗喪失」における自責の念をもっておられたそうです。
明治三十五年、ロシアの南下という野心が露骨になり、戦いにそなえるための軍事演習が熊本で行われた際、明治天皇と重鎮を乗せた列車がこの付近を通過します。
そのとき明治天皇は
もののふのせめたたかひし田原坂松も老木となりにけるかな
という御製を詠まれ、「乃木に与えよ」と、列車に同乗していた乃木さんに侍従を通じて下されたそうです。
二十五年前、この場所ですさまじい戦いがあったこと、そして、今は松も老木になったようだ、私の大切な臣下である乃木も年をとっただろうが、今なにをしている?まだまだ私は乃木を必要としているぞ。
と、天皇が乃木さんに問いかけておられるような気がします。
和歌を通じて臣下と対話できるなんて、不思議だなと思いませんか?こんな国は日本以外ないと思います。
私も車窓から、このエピソードを思いだし、この御製を口ずさみました。
(文責:横畑雄基)
田原坂は明治十年の「西南の役」の激戦地。昨年四月、講演のためこのあたりに出張した際に、田原坂史跡を巡ったのを思い出しました。
先日行った赤煉瓦de偉人伝で取り上げた人物は乃木希典大将でしたが、乃木大将が連隊長(階級は少佐)として参戦したのがこの西南の役でした。
この場所で数に勝る敵の薩摩軍と遭遇し奮戦しますが孤軍奮闘、一進一退を続けます。そして、その課程で薩摩軍に連隊旗を奪われてしまいます。
今日は詳しくは記しませんが、それから後、乃木さんは軍の要職を歴任されますが、常に「軍旗喪失」における自責の念をもっておられたそうです。
明治三十五年、ロシアの南下という野心が露骨になり、戦いにそなえるための軍事演習が熊本で行われた際、明治天皇と重鎮を乗せた列車がこの付近を通過します。
そのとき明治天皇は
もののふのせめたたかひし田原坂松も老木となりにけるかな
という御製を詠まれ、「乃木に与えよ」と、列車に同乗していた乃木さんに侍従を通じて下されたそうです。
二十五年前、この場所ですさまじい戦いがあったこと、そして、今は松も老木になったようだ、私の大切な臣下である乃木も年をとっただろうが、今なにをしている?まだまだ私は乃木を必要としているぞ。
と、天皇が乃木さんに問いかけておられるような気がします。
和歌を通じて臣下と対話できるなんて、不思議だなと思いませんか?こんな国は日本以外ないと思います。
私も車窓から、このエピソードを思いだし、この御製を口ずさみました。
(文責:横畑雄基)
田原坂には一昨年行って来ました。何ともびっくりしたのは、双方で撃ち合った弾丸が、空中で正面衝突して、2つの弾丸が
くっついたまま地上に落下した・・それが展示してありました。正に双方が死力を尽くした激戦であったと証明していましたね。
明治天皇と乃木大将の和歌を通じての交流、いいお話でした。
4月の田原坂は、大変有名な桜の名所だということで、お花見をする人もたくさんいるんだそうです。
おそらく、寺尾さんも御覧になった資料館一帯がそうだと思います。
美しい桜も最後は見事に散りますが、国家のために様々な思いを抱きつつ、戦死された先人たちの雄志と共に、はかなさも感じますね。
三井甲之先生の
ますらをのかなしきいのちつみかさねつみかさねまもる大和島根を
という和歌を感じる瞬間です。
(よこはた)