鵠沼海岸の小さな手織り工房

江ノ島のそばにある手織り教室の作品制作の話・庭の話など

https://teori-kugenuma.com/

愛を込めて赤

2020年04月26日 | Weblog
教室は休業中
外出は自粛
でも制作への気持ちと手は止めません

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やっと手縫い布マスク

2020年04月21日 | Weblog
作り始めました
自分の生地でも作りたいけど
派手過ぎるかな?と思い
大人しめの生地で






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コロナに疲れても花は咲く

2020年04月15日 | Weblog
先の見えない不安

でも
花は咲きます
















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なぜ鵠沼海岸なのか?

2020年04月13日 | Weblog
私がなぜ鵠沼海岸にアトリエを建てたのか?
それは明治生まれの祖母が鵠沼海岸に家を買ったのが始まりです

祖母の出身は川崎、姓は増島
そして親戚である祖父と結婚し鳥養に
そして横浜の間門で「大鶴堂」を開業
写真を見ると大きな問屋だったようです
そして、祖父は仲代達矢にそっくりな洒落者

ところが
祖父は母が3歳の時に腸チフスで他界
(今なら助かってますね)
祖父がやっていた商売を引き継ぎ、たくさんの店子を持ち、30から未亡人でやり手だった祖母

その後戦争

戦後も大きな土地をいくつか持っていたので、それを切り売りしながら問屋も細々と

横浜から藤沢へ来たのは母の喘息のため
横浜に住んでいる頃に別荘として藤沢の弥勒寺と東海岸に家を建て、本鵠沼の「蓮村医院」をかかりつけに

その頃の東海岸はただの松林だったようで
鵠沼海岸から東海岸まで2つの川を渡って、真っ暗な中を帰るのは怖いので
東海岸の家を売って、現在の場所へ
ここなら駅から3分ですからね

(引地川の前に、今のニューマンションとスカイマンションの間に小さい川がありました)

祖母は30から未亡人
でも商売を引き継ぎ、子供3人を大学へ行かせて、不動産売買も目の付け所が良いからかうまくいき
孫の私にアトリエを建てるだけのものを残してくれました

いったい
私は祖母の血を一滴でも受け継いでいるのだろうか?
私は私の孫に、有形無形で何か遺してあげられるのだろうか?

毎夕、まだ祖母の気配が残る母屋に心の中で語りかけます

母には強過ぎる祖母だったけど、私の事は可愛がってくれました
たぶん、今でも母屋から私を応援してくれてるとは思いますが

亡くなって、もう15年かな
もっともっと色んな事を聞きたかった


(これはある意味、自分のための備忘録、時々付け加えるかもしれません)



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ひとり制作時間

2020年04月04日 | Weblog
教室はとりあえず
中旬までお休みですが
自身の作品制作は続きます
静かにひとり時間を楽しみます
ランチどうしようかな
などと考えながら

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