昨日は気分のままにポイントに入って釣り三昧
「天川名水祭り」で放流された居残り釣りを夕刻から
行い 例年になく少なく 5匹の
「名水祭り」の親子釣り大会は小学生対象なのに
60歳の親と30歳台の息子の親子はおかしいと思う
そこまでして釣り場を取った、取られたと喧嘩しているのに
バカらしく 異なる河川に釣りに行く
その喧騒が終わった頃に この放流場に戻り
最後の楽しみを味わい 30日も午前中の釣りを終わって
街をそぞろ歩き どこからも見れる大倉山
橋の袂に地蔵さん 川に対する感謝か?
川にでると たおやかな流れが 上流の橋の工事で
随分 小石が流れてきて川の景観が変わった それに従い
禁漁区の大きな80cm大の虹鱒が腹がつかえて下流の川底が有るところに
移動して 禁漁区(橋の下)の魚の量が随分少なくなった。
旅館街は 5月3日3時30分の戸開式の準備で忙しい 2日の23時に
出発の行者さんの逗留に向けて大変
街で目に付く陀羅尼助丸
飛鳥時代の斉明天皇3年(657)のこと。内大臣の藤原鎌足が急に腹痛をおこして苦しみ、天皇は大変に心配して、百済の禅尼法明に維摩経を唱えさせた。すると験があり薄紙をはぐように鎌足の腹痛が治りました。ところが一説によると、実は役行者が鎌足の病気をなおしたとも、キハダの皮を煎じ出して煮詰め固めたもの とても苦い
街の中でアマゴの塩焼きを売る魚屋の水槽に25cm大のアマゴが
キレイな水の中で泳ぐアマゴを見るとつくづく 毎日食べているのに
よだれが
街のはずれで 川には釣師が 次は釣れるかと
つり終わると 洞川温泉に 平日11時から 連休は10時から開場
朝風呂に
入浴後はいつもの様に「みやそい」で鹿串、タラの芽の天婦羅、フキの佃煮
でビールを引っ掛け 鹿肉丼を頂き テント場に
途中 龍泉寺に寄って
池には竜泉からの湧き水が そこに虹鱒も泳ぐ
テント場への帰り道 明日1日に登る 山上ケ岳が見える
女人禁制の山 戸開式前には女性も登っているのを聞く
西覗も見える。Vの谷の渕 右側が「西の覗」と言われる 吊りおろされる
修行の場
「天川名水祭り」で放流された居残り釣りを夕刻から
行い 例年になく少なく 5匹の
「名水祭り」の親子釣り大会は小学生対象なのに
60歳の親と30歳台の息子の親子はおかしいと思う
そこまでして釣り場を取った、取られたと喧嘩しているのに
バカらしく 異なる河川に釣りに行く
その喧騒が終わった頃に この放流場に戻り
最後の楽しみを味わい 30日も午前中の釣りを終わって
街をそぞろ歩き どこからも見れる大倉山
橋の袂に地蔵さん 川に対する感謝か?
川にでると たおやかな流れが 上流の橋の工事で
随分 小石が流れてきて川の景観が変わった それに従い
禁漁区の大きな80cm大の虹鱒が腹がつかえて下流の川底が有るところに
移動して 禁漁区(橋の下)の魚の量が随分少なくなった。
旅館街は 5月3日3時30分の戸開式の準備で忙しい 2日の23時に
出発の行者さんの逗留に向けて大変
街で目に付く陀羅尼助丸
飛鳥時代の斉明天皇3年(657)のこと。内大臣の藤原鎌足が急に腹痛をおこして苦しみ、天皇は大変に心配して、百済の禅尼法明に維摩経を唱えさせた。すると験があり薄紙をはぐように鎌足の腹痛が治りました。ところが一説によると、実は役行者が鎌足の病気をなおしたとも、キハダの皮を煎じ出して煮詰め固めたもの とても苦い
街の中でアマゴの塩焼きを売る魚屋の水槽に25cm大のアマゴが
キレイな水の中で泳ぐアマゴを見るとつくづく 毎日食べているのに
よだれが
街のはずれで 川には釣師が 次は釣れるかと
つり終わると 洞川温泉に 平日11時から 連休は10時から開場
朝風呂に
入浴後はいつもの様に「みやそい」で鹿串、タラの芽の天婦羅、フキの佃煮
でビールを引っ掛け 鹿肉丼を頂き テント場に
途中 龍泉寺に寄って
池には竜泉からの湧き水が そこに虹鱒も泳ぐ
テント場への帰り道 明日1日に登る 山上ケ岳が見える
女人禁制の山 戸開式前には女性も登っているのを聞く
西覗も見える。Vの谷の渕 右側が「西の覗」と言われる 吊りおろされる
修行の場