Gute Reise

東大で西洋建築史の研究をしながら設計を勉強している大学院生の日々の記録です。リスボン大に1年間留学を終え、帰国しました。

エボラ

2017-03-04 | LISBOA・FAUL
土曜日はFAIの企画でÉvoraへ。

朝7時45分にTécnico集合だったのだが、例によって人の集まりは△。
AUSMIP生たちと久々に会い、イタリア人のLauraやSaraもいた。

引率は今回も2人で、BeatrizとSara。
Portoの時の2人と比べるとちょっと頼りないけど、でもフレンドリーな感じ。


バスの中で毎日いそいそと英訳している論文を読みながら、2時間ほどでÉvora郊外のシザの集合住宅Junta de Freguesia de Malagueiraへ。



各住戸の屋上にはそれぞれテラスがあり、プランターを置いたりして、それぞれにカスタマイズされているのが素敵だった。
スケッチしたりしながら歩いていたら、住人のおじさんがBoa tarde.と挨拶してくれたのだが、人に会ったら挨拶するような距離感の集合住宅なのだろうか。
屋上のテラスも、互いに視線が分断されているわけではないし、晴れた日にはランチやお茶でもしながら会話するのかも。


続いて訪れたのは、Universidade de Évoraのアート・建築学部。
LOBOというポルトガル人女性の事務所のリノベーション。



完全に古いまま残されている劇場は演劇系の学科の学生が使っていて、工場をリノベーションした棟は建築の学生が使っている。
通っている建築の学生が製図室など、案内してくれた。





製図室の机の並びは工場当時のままなんです、と説明されたが、なんだかそれって考えさせられるな、、、笑


案内してくれた現地の学生と別れ、市内へ。
まずは皆でランチしたのだが、Bacalhauか肉か選べるということだったので、私はBacalhauにした。
私のいたテーブルは、ブラジル人のRafaelaとイタリア人のSaraとMic。
Sara以外の2人は今学期から来ているので、簡単に自己紹介。
Rafaelaはファッションデザインを勉強していて、Micはエンジニアリングを勉強しているそう。

Saraや、隣のテーブルのLauraは今学期Miguel先生のプロジェクトを取っているらしく、どうだった?と聞かれたので、いい先生だし、いっぱい参考事例を教えてくれるよ。、、、ちょっと時間にルーズだけど。と言うと、2人に、あ~~。という顔をされた笑
もう既にMiguelスタジオの洗礼を受けている模様でおかしかった。


続いて訪れたのは、Évora大聖堂、Sé。



屋上で、気になったのでBeatrizに、この白い壁に黄色い縁取りっていうのは特有なの?と聞くと、やはりÉvora地方の特色なんだそう。
黄色が地方カラー?なのか、上手く写真に撮れていないが、大聖堂のステンドグラスも綺麗な黄色だった。



回廊の装飾が、Jeronimos修道院のように綺麗だったのだが、どことなく家紋ぽいデザイン。




建築単体として面白かったのこのあたりまでで、後は街を歩いたり、エボラ大の文学部など見学して、公園でビールを片手に話したりするのが楽しかった。

オーストリア人のSebastianに、オーストリアのどこの都市出身なのかと聞くと、グラーツだよと言っていて、ああ、まだ行ったことないんだよね、行ってみたいんだけど、と応える。

こちらの学生は、自分の出身地を言って、行ったことがあると応えた人に対して、Did you like it?と尋ねたり、自分が行ったことのない相手の出身地を、まだ行ったことないけど、いつか行ってみたいと思ってる、とポジティブな切り返しをするところがいいなと思って真似してみる。

グラーツ知ってるの?珍しいね、と言われたので、先学期いたオーストリア人の友達が、グラーツで年越しするって言ってたから。とVerenaとFlorianの話をした。

それから、Sebastianとドイツ語で話していたLajz(リーボックのスニーカーを履いていて、自分もリーボック派なので注目していた)に、ドイツ出身なの?と尋ねると、実はアルバニア出身で、TUMに留学中、TUMからのエラスムスでリスボンに来ているということらしい。

TUMでは、リスボンほど親切な授業ばかりではなく、留学生用の英語で行われる授業と、ドイツ語で行われる授業とが完全に分かれているらしいのだ。
つまり、ドイツ語で授業を聞いているということか。凄い。
しかも、帰りのバスでは、実はイタリア語もちょっとできるんだよね、と言い、MicやSaraとイタリア語で会話し出して凄かった。

ポルトガル人も、人によってはフランス語の方が英語より得意よ、というような場合もあって、得意不得意はあるにせよ、3言語以上できる、というような学生に会うことが多い。
私も、文献を読むのに使うし、ポルトガル語が出来ないに越したことはないわけで、ちょっとずつ練習しようかなという気にさせられた。



帰ってから、Danielaに会い、ちょっとあなたに話さなきゃいけないことがあるんだけど、、と言われて、ああ、部屋交換の話しなら昨日Beatriz(寮の隣人の方)と話したけど、、と言うと、そう、それなんだけど、あなたには私と一緒にこの部屋にこの先もいてほしいの。と言う。

どういうことかというと、BeatrizはAnaとひと悶着あったそうで、Beatrizが部屋に帰らない日に、彼女に断りなく、ベッドを人に貸したのが相当頭に来たそうなのだ。
それで、多分、日本人ならなんでもいいよと言うとでも思ったのか、私に話を持ってきたというわけ。

しかも、私以外全員合意してるんだけど、と話を持ってきたが、Daniela曰く、私はいいと言ってないし、あなたにその話するって言ったときやめてって言ったのよ?と。だって意味わかんないもんね、私この話親にもしたんだけど、親も意味わかんないって言ってたわ。あ、あと、あなたのことはいい子ねって言ってたわよ。、、、それはどうも笑

そういうわけで、私は部屋を変わる必要はないそうなのだが、Danielaがかねてから古い棚が自分の上に落ちてきそうで怖いと言っていたので、ベッドだけ交換することになった。

彼女はSetubal出身なのだが、海の写真を見せてきて、すっごい綺麗だから夏になったら行った方がいいよと言われる。
日本の海って綺麗?と聞かれたので、うーん、殆どはこんな綺麗じゃないけど、沖縄の海は超綺麗だよ、と写真を見せると、え、これSetubalより綺麗だと思うんだけど!と驚いていた。

それから、ていうか、寮母さんがあなたのことマカオ出身でポルトガル語喋れるって言ってたんだけどと謎の報告を受け、爆笑した。
いやいやいや、マカオ行ったこともないんですけど、、、笑

マカオがかつてポルトガルの植民地だったという話にこれでなったので、先程の沖縄のことも折角だから説明。
沖縄は戦時中、日本の領土内で唯一地上戦があったところで、72年までアメリカに占領下にあった。防空壕とかも残ってるんだよ。海は確かに綺麗だけど、一方でそういう悲しい歴史もあるところだから、きっと訪れてね、と話す。
その話は知らなかったと言うので、広島・長崎と同じくらい日本の戦時中の歴史を語る上で重要な場所なんだと教えた。

それから、長崎にはポルトガルのパンデローが変化したカステラがあるよ、ということも。

モンサント

2017-03-03 | LISBOA・FAUL
木曜日


Marquês de Pombal でとりちゃんと待ち合わせて、モンサントという村へ小旅行。

まずは、Jardim Zoológico まで青ラインで移動し、Rede社のバスターミナルまで。
Castelo Branco までのチケットを買って、9:50分にバスに乗る。
リスボンとCastelo Brancoを結ぶ路線は33番。

すっかり見落としていたが、チケットには座席番号も書いてあった。
年末の旅行の時も見落としがちだったが、バスのチケットにはわかりにくく座席番号が記されていることが多い。

Castelo Branco まで3時間弱乗り、ターミナルの受付でMonsantoまでのチケットを購入して乗り込む。
後から聞くと、リスボンのターミナルでMonsantoまでのチケットをまとめて購入出来たらしい。


着くと、村というより、ゴツゴツとした岩の中に家が飲み込まれているような、不思議な光景。
バス停までホステルのお使いのおばあちゃんが迎えに来てくれていた。

ポウサーダのホステルも素敵だったが、Wi-Fiが上手く繋がらず、ホステルの番号にかけててっきり受付に繋がるのかと思いきや、リスボンにいるオーナーに繋がった。
結局Wi-Fiは繋がらないままだったが、一泊くらいなんとかなるだろうということで散策しに出かける。







座ってみかんを食べてちょっと休憩。

只管歩き続けると、どんどん町というより岩ばかりになってきて大変だったが、最後にたどり着く城跡が凄かった。

下って、道中にあるはずのレストランを探したが、見つからず、見つかったレストランも開いてるかわからなかったのだが、店の前にいるおばさんたちが、amanhã(明日)と言っていたので、週末しか開いていないんですか?と聞くとそうだと言っていた。

19時まで開いていたカフェでひとまず翌朝のサンドイッチを確保し、店にいた英語の話せる客のおじさんに、レストランで開いてるところ知らないですか?と尋ねると、バス停から下ったところにあるレストランは確実に開いているよ、19:30開店だからと教えてもらう。

時間になるまでふらふら散策。





やはり猫は坂道が好きなのか、昼も夜もよく猫を見かけた。


19時半になって教えてもらったレストランへ。



言ってしまえば、ふっつーのステーキなんだけど、凄く景色の綺麗なレストランだったので、満足。



金曜日


迎えにきてくれたおばあちゃんがsete quinze(7:15)と教えてくれたバスの時間に合わせて宿を後にし、バスへ。
行きと同じようにして帰る。

リスボンのターミナルでとりちゃんと別れ、私は寮に帰る。

暫くしてから、建築図書館に出かけ、読む必要のある文献を只管翻訳にかける作業の続き。
もはや受付や担当のおばさんに顔を覚えられている、、、

閉館時刻に出て、pingo doceで買い物をして帰宅。


夕飯を食べて部屋で過ごしていると、隣人のBeatrizがノックしてきて、どうやら彼女は私の新しいルームメイトのDanielaと元々友達らしく、もう寮母さんやBeatrizのルームメイトのAnaとは話をつけているんだけど、私と部屋を交換してほしいというのだ。

話がついてるならAnaが移動すればいいのに、だとか、あとたった半年しかいない私が、私にはなんの得もないのになんでわざわざ部屋を変えなきゃならないんだとムッとした。
考えとくねと返したけど、NOの意なのは伝わっていないだろうな、、、

リスボンのベルサイユ/モンサント前夜

2017-03-01 | LISBOA・FAUL
ゆっくりと起きてしまったが、一昨日入り口がわからなかったんですけどこれってアポ必要ってことですか?と情けないメールを打ったCIULの職員から、入り口の場所であったり、古い図録などの資料を見るならArquivo Municipal do Lisboaという機関がいいかもしれないですと返信が来ていたので、早速行ってみる。

出て来た職員の方は、綺麗なブリティッシュイングリッシュで対応してくれた。

Alfama地区の資料が見たいのですが、と言うと、どの建物がいいですか?と聞かれる。
どの建物というか、、、地域の資料が見たいのですが。と話すと、ああ、なるほど、ここで資料を見るなら建物を決めて来てもらわないとだめなんです、そういうことなら別の機関に行った方がいいです、と言って電話番号などをメモして戻って来てくれた。

古い写真の資料を手に入れるには、だとか、リノベーションを調べたくて、と事情を説明する度、随分丁寧にアドバイスをくれて、結局この機関では、リスボンの殆ど全ての建物ひとつひとつの図面を収録しているのだということがわかった。

試しにひとつ分持って来て見せてくれたのだが、青焼きの平・立・断面図が収められた分厚ーい図集に44Aと住所を表す文字が記されている。
これが全建物分あるということか。

こんなにきちんと図録が残っているとは思ってもみなかったので、全部まるっと見て面白そうなものをピックアップしようだなんて思っていたが、私も職員さんも、それは到底無理だねと頷き合って、先に写真や現調で良さそうな物件をピックアップしてから歴史を遡るのが賢そうだと合意した。


また後日改めて来ますと伝え、グッドラック!なんて言われながらアーカイブを後にし、教えて頂いた、そして以前開館曜日を間違えて土曜日に突撃し不発に終わった写真アーカイブへ。

受付には多分前土曜日に来た時にもいた警備の男性と別の女性職員の方。
どちらもポルトガル語が通じなかったので、またもグーグル翻訳で、ここで古い写真のアーカイブが見られると聞いたのですが、と尋ねると、ああわかったと2階に案内される。



こちらの建物もリノベだったのかと感心した。

アーカイブの受付の女性は英語が少しできる方だったのだが、どうやら古い写真の資料は、公開されているものは全てネットで見られるようになっていて、論文で必要な場合に著作権料を支払って使用する手続きをすればよいらしい。

手取り足取りホームページの使い方を教えてもらったのだが、Alfamaの写真はなんと890枚にも及ぶ。
この中から使えそうなものを探し出し、現在の街と照合する作業はなかなか大変だな、、と思いつつ、白黒写真の中で笑顔で映る子供の写真を見ていたら、楽しいかもと思い始めた。


写真アーカイブを出て、わざわざMartin Moniz(治安が悪いと噂のチャイナタウン)まで来たので、チャイニーズスーパーでみりんと味噌を買い、16時に待ち合わせしていたので、PADARIA PORTUGUESAで時間を潰してから、アンドレさんとお茶。

Pastelaria Versaillesというカフェで、リスボンにしては(失礼)随分とファンシーだった。



行きたい国の話など暫くして、私はCIULへ。
ここでも、手取り足取りホームページの使い方を教えてもらい、どうやら古地図はこの機関では手に入らないということが発覚した。
学校で来週問い合わせてみよう。

しかし、この機関はヨーロッパではかなり珍しく夜20時まで開いていて、多くの学生や研究員と思しき人たちがいっぱい作業していていい自習空間だと思った。
職員の方も親切だったし、きっとまた来よう。


20時にHAGISOのワークショップでばったり出会い、卒制のヘルパーもしてくれた高校の後輩のとりちゃんと待ち合わせる。
バルセロナでのワークショップ前にポルトガルに来ていて、明日は2人でモンサントに行く。

アレンテージョ地方の料理が食べられるレストランで、カウンターで頼むスタイルだったので並んでいると、後ろのご夫婦が私のメニューを覗き込んでいたので、お見せする。
すぐに観光客だとわかったのだが、ドイツ語で会話されていたので、ドイツから来られたんですか?と尋ねると、驚いた様子で、はい、そうです!と。

知らない都市だったが、デュッセルドルフとかの近くみたい。
あなたはここにどのくらい来てるの?だとか、建築の勉強には魅力的な街でしょうね、だとか色々言って頂いて、あなたドイツ住んでたの?と、めちゃくちゃな文法で最初質問した私なんかに勿体無い言葉を掛けてくれたのだが、いや、第二外国語ですと言うと、あ〜なるほどね、と。
お互いにいい時間過ごしてねと言い合って、私は注文を終えて席に戻る。

先程も書いた通り、とりちゃんとは中高が一緒なので、去年の春卒業旅行で同期と京都に行った時もそうだったが、高校の思い出話は本当に尽きない。

ふと、高3の頃、お昼を早弁してまで昼休み勉強していた同級生に触発されて自分も同じようにして早弁して昼休みは自習室に篭っていたことを思い出した。

大学受験より院試の方が何倍も勉強した、と院試が終わった時は思っていたけれど、やっぱり受験の頃の方が何に対しても直向きで努力することの意味を問う前に努力していたんじゃないかなと思い返して、今の自分の怠惰を恥じた、、、

建築図書館/好きなものが見つかる街

2017-02-25 | LISBOA・FAUL
金曜日


Cais do SodréのLivraria A+Aの隣にある建築図書館へ。
アルファマ地区に関する資料を片っ端から調べてかき集め中。

昼は近くの広場で持ってきたサンドイッチを食べて、それからBaixa-Chiadoの辺りを散策して戻る。

17時に閉めるからと追い出されるようにして出て帰宅。



土曜日


日中は部屋で来週リスボンに来る高校の後輩用にリスボンガイドを編集し直したり、イタリア旅行のバスを取ったり時刻表を調べたり。


夜はかねてからお会いしてみたかったアンドレさんと飲む。

アンドレさんは元々早稲田に留学されていて、日本語もペラペラ。
4月からは新潟に留学されるらしい。

色々と聞いてみたかったことを聞いたり、日本人の外国人を相手にした時の対応の話から始まり観光業の話や、政治の話に至るまで色々なことをお話しした。


年末にフランクフルトで会った、日本に一度仕事で行ったというドイツ人の設備屋さんに、東京は緑が少ないし窮屈な街だよね、君の手でなんとかしてくれよと言われたんですけど、と投げ掛ける。

前回の留学中高田馬場で暮らしていたアンドレさんによれば、そうですか?それって住んだことない人の意見ですよね?と。

東京の中で好きなところは、御茶ノ水の楽器屋や神保町の本屋、九段下など挙げ出したらキリがないそう。

街という視点で、ヨーロッパと比べて東京をどう思いますか?と尋ねると、東京は自分の好きなものが見つかる街です、と素敵な表現を返された。


そういうことなら、と月島って行ったことありますか?と尋ねるとまだないということだったので、恐らくもうもんじゃストリートの二番街は着工しているし、あの路地たちが何十年も先まである保証はないから、きっと次の留学中行ってみてくださいとオススメする。

例えば、原宿駅も建て替わるんですよと言うと、え?外側だけ残すとかそういうことじゃなくて?と。
残念ながら、、、と話すと、あの駅は僕が原宿で唯一好きだったところですとがっかりされていた。

とても刺さったのが、日本人は外国人が思っている日本の良さを勘違いして外国人が本当に良いと思っている日本の良いところを壊してしまう傾向にありますよねという話。
はい、まさにその通り、、、なんも言えねえっす、、、



私がリスボンを好きな理由を考えてみると、アンドレさんが東京に対して仰っていたように、好きなものが毎日沢山見つかる街だからだなと思った。
街の至る所に、何気ない自分の「好き」が転がっている感じ。

リスボンも随分観光地化が進んできているとアンドレさんも危惧されていたが、リスボンのいいところもちゃんと残っていけばいいけれど。


そして東京も「自分の好きなものが見つかる街」であり続けてほしいし、そういう何気ない今日を演出していくような、些細な仕事をしていきたいと思った。

事務所見学

2017-02-23 | LISBOA・FAUL
朝は参考文献のまとめや旅行の調べ物をちょこちょこして、13時半にお願いしていた事務所の見学へ。

事務所の周辺は、自宅周辺とは異なってアズレージョがより華やかでアーティスティックだった。








時間になってみずほさんにTELし、中を案内して頂いた。
5月からインターンで来てくれるRikakoよ、と所員さんに紹介して頂きながら、、、
所員さんは皆気さくでWelcome!と声を掛けてくださった。

実は事務所が近々移転するそうで、恐らく私が働く頃には新事務所になるのだが、製図室を彷彿とさせる大空間のオフィスは魅力的だった。



大きな開口から自然光が入ってくるのだが、夏場はさすがに暑いそうで、デスクトップの裏にスチロールの壁を立てるのだとか。
また、春夏になるとテラスでお昼を食べたりするらしい、、、

それから階段のディテールが可愛かった。
最後の一段だけ飛んでいたり。



模型やスケッチや図面がいっぱいに置かれたり貼られたりしていて、みずほさんに説明してもらいながら、少し見せて頂いた。
5月が一層楽しみになる。

事務所を出て、近所のカフェでコーヒーをご馳走になり、プロジェクトの裏話なんかも伺って、お暇する。

その後、折角持って行ったポーフォリを採用担当の方にお渡しするのをすっかり忘れていたことに気づき、慌ててみずほさんにまたの機会にお渡ししますと伝える。



本当は修論調査用にCIULという組織に行こうと思っていたのだが、どうやらアポを取ってから行かなくてはならなかったような雰囲気だったので、折角行ってみたもののそのままメトロで南へ。

緑ラインに乗っていたら、ドローイングのクラスでこの前ちょっと見せてよと声を掛けてくれた女の子とばったり。


Baixa-Chiadoで、気になっていた古着屋をウィンドウショッピング、それからこちらも気になっていたPastéis de bacalhau のお店へ。
値段の割にイマイチ?やっぱりPastéis de Belémのはかなり美味しかったかも。

その後Livraria A+Aへ。
隣の図書館もチラ見したかったのだが、開いていなかったので明日出直すことに。
葛西さんに頼まれていたファンデュイセンのamagだけ購入して、帰宅。