土曜日はFAIの企画でÉvoraへ。
朝7時45分にTécnico集合だったのだが、例によって人の集まりは△。
AUSMIP生たちと久々に会い、イタリア人のLauraやSaraもいた。
引率は今回も2人で、BeatrizとSara。
Portoの時の2人と比べるとちょっと頼りないけど、でもフレンドリーな感じ。
バスの中で毎日いそいそと英訳している論文を読みながら、2時間ほどでÉvora郊外のシザの集合住宅Junta de Freguesia de Malagueiraへ。
各住戸の屋上にはそれぞれテラスがあり、プランターを置いたりして、それぞれにカスタマイズされているのが素敵だった。
スケッチしたりしながら歩いていたら、住人のおじさんがBoa tarde.と挨拶してくれたのだが、人に会ったら挨拶するような距離感の集合住宅なのだろうか。
屋上のテラスも、互いに視線が分断されているわけではないし、晴れた日にはランチやお茶でもしながら会話するのかも。
続いて訪れたのは、Universidade de Évoraのアート・建築学部。
LOBOというポルトガル人女性の事務所のリノベーション。
完全に古いまま残されている劇場は演劇系の学科の学生が使っていて、工場をリノベーションした棟は建築の学生が使っている。
通っている建築の学生が製図室など、案内してくれた。
製図室の机の並びは工場当時のままなんです、と説明されたが、なんだかそれって考えさせられるな、、、笑
案内してくれた現地の学生と別れ、市内へ。
まずは皆でランチしたのだが、Bacalhauか肉か選べるということだったので、私はBacalhauにした。
私のいたテーブルは、ブラジル人のRafaelaとイタリア人のSaraとMic。
Sara以外の2人は今学期から来ているので、簡単に自己紹介。
Rafaelaはファッションデザインを勉強していて、Micはエンジニアリングを勉強しているそう。
Saraや、隣のテーブルのLauraは今学期Miguel先生のプロジェクトを取っているらしく、どうだった?と聞かれたので、いい先生だし、いっぱい参考事例を教えてくれるよ。、、、ちょっと時間にルーズだけど。と言うと、2人に、あ~~。という顔をされた笑
もう既にMiguelスタジオの洗礼を受けている模様でおかしかった。
続いて訪れたのは、Évora大聖堂、Sé。
屋上で、気になったのでBeatrizに、この白い壁に黄色い縁取りっていうのは特有なの?と聞くと、やはりÉvora地方の特色なんだそう。
黄色が地方カラー?なのか、上手く写真に撮れていないが、大聖堂のステンドグラスも綺麗な黄色だった。
回廊の装飾が、Jeronimos修道院のように綺麗だったのだが、どことなく家紋ぽいデザイン。
建築単体として面白かったのこのあたりまでで、後は街を歩いたり、エボラ大の文学部など見学して、公園でビールを片手に話したりするのが楽しかった。
オーストリア人のSebastianに、オーストリアのどこの都市出身なのかと聞くと、グラーツだよと言っていて、ああ、まだ行ったことないんだよね、行ってみたいんだけど、と応える。
こちらの学生は、自分の出身地を言って、行ったことがあると応えた人に対して、Did you like it?と尋ねたり、自分が行ったことのない相手の出身地を、まだ行ったことないけど、いつか行ってみたいと思ってる、とポジティブな切り返しをするところがいいなと思って真似してみる。
グラーツ知ってるの?珍しいね、と言われたので、先学期いたオーストリア人の友達が、グラーツで年越しするって言ってたから。とVerenaとFlorianの話をした。
それから、Sebastianとドイツ語で話していたLajz(リーボックのスニーカーを履いていて、自分もリーボック派なので注目していた)に、ドイツ出身なの?と尋ねると、実はアルバニア出身で、TUMに留学中、TUMからのエラスムスでリスボンに来ているということらしい。
TUMでは、リスボンほど親切な授業ばかりではなく、留学生用の英語で行われる授業と、ドイツ語で行われる授業とが完全に分かれているらしいのだ。
つまり、ドイツ語で授業を聞いているということか。凄い。
しかも、帰りのバスでは、実はイタリア語もちょっとできるんだよね、と言い、MicやSaraとイタリア語で会話し出して凄かった。
ポルトガル人も、人によってはフランス語の方が英語より得意よ、というような場合もあって、得意不得意はあるにせよ、3言語以上できる、というような学生に会うことが多い。
私も、文献を読むのに使うし、ポルトガル語が出来ないに越したことはないわけで、ちょっとずつ練習しようかなという気にさせられた。
帰ってから、Danielaに会い、ちょっとあなたに話さなきゃいけないことがあるんだけど、、と言われて、ああ、部屋交換の話しなら昨日Beatriz(寮の隣人の方)と話したけど、、と言うと、そう、それなんだけど、あなたには私と一緒にこの部屋にこの先もいてほしいの。と言う。
どういうことかというと、BeatrizはAnaとひと悶着あったそうで、Beatrizが部屋に帰らない日に、彼女に断りなく、ベッドを人に貸したのが相当頭に来たそうなのだ。
それで、多分、日本人ならなんでもいいよと言うとでも思ったのか、私に話を持ってきたというわけ。
しかも、私以外全員合意してるんだけど、と話を持ってきたが、Daniela曰く、私はいいと言ってないし、あなたにその話するって言ったときやめてって言ったのよ?と。だって意味わかんないもんね、私この話親にもしたんだけど、親も意味わかんないって言ってたわ。あ、あと、あなたのことはいい子ねって言ってたわよ。、、、それはどうも笑
そういうわけで、私は部屋を変わる必要はないそうなのだが、Danielaがかねてから古い棚が自分の上に落ちてきそうで怖いと言っていたので、ベッドだけ交換することになった。
彼女はSetubal出身なのだが、海の写真を見せてきて、すっごい綺麗だから夏になったら行った方がいいよと言われる。
日本の海って綺麗?と聞かれたので、うーん、殆どはこんな綺麗じゃないけど、沖縄の海は超綺麗だよ、と写真を見せると、え、これSetubalより綺麗だと思うんだけど!と驚いていた。
それから、ていうか、寮母さんがあなたのことマカオ出身でポルトガル語喋れるって言ってたんだけどと謎の報告を受け、爆笑した。
いやいやいや、マカオ行ったこともないんですけど、、、笑
マカオがかつてポルトガルの植民地だったという話にこれでなったので、先程の沖縄のことも折角だから説明。
沖縄は戦時中、日本の領土内で唯一地上戦があったところで、72年までアメリカに占領下にあった。防空壕とかも残ってるんだよ。海は確かに綺麗だけど、一方でそういう悲しい歴史もあるところだから、きっと訪れてね、と話す。
その話は知らなかったと言うので、広島・長崎と同じくらい日本の戦時中の歴史を語る上で重要な場所なんだと教えた。
それから、長崎にはポルトガルのパンデローが変化したカステラがあるよ、ということも。
朝7時45分にTécnico集合だったのだが、例によって人の集まりは△。
AUSMIP生たちと久々に会い、イタリア人のLauraやSaraもいた。
引率は今回も2人で、BeatrizとSara。
Portoの時の2人と比べるとちょっと頼りないけど、でもフレンドリーな感じ。
バスの中で毎日いそいそと英訳している論文を読みながら、2時間ほどでÉvora郊外のシザの集合住宅Junta de Freguesia de Malagueiraへ。
各住戸の屋上にはそれぞれテラスがあり、プランターを置いたりして、それぞれにカスタマイズされているのが素敵だった。
スケッチしたりしながら歩いていたら、住人のおじさんがBoa tarde.と挨拶してくれたのだが、人に会ったら挨拶するような距離感の集合住宅なのだろうか。
屋上のテラスも、互いに視線が分断されているわけではないし、晴れた日にはランチやお茶でもしながら会話するのかも。
続いて訪れたのは、Universidade de Évoraのアート・建築学部。
LOBOというポルトガル人女性の事務所のリノベーション。
完全に古いまま残されている劇場は演劇系の学科の学生が使っていて、工場をリノベーションした棟は建築の学生が使っている。
通っている建築の学生が製図室など、案内してくれた。
製図室の机の並びは工場当時のままなんです、と説明されたが、なんだかそれって考えさせられるな、、、笑
案内してくれた現地の学生と別れ、市内へ。
まずは皆でランチしたのだが、Bacalhauか肉か選べるということだったので、私はBacalhauにした。
私のいたテーブルは、ブラジル人のRafaelaとイタリア人のSaraとMic。
Sara以外の2人は今学期から来ているので、簡単に自己紹介。
Rafaelaはファッションデザインを勉強していて、Micはエンジニアリングを勉強しているそう。
Saraや、隣のテーブルのLauraは今学期Miguel先生のプロジェクトを取っているらしく、どうだった?と聞かれたので、いい先生だし、いっぱい参考事例を教えてくれるよ。、、、ちょっと時間にルーズだけど。と言うと、2人に、あ~~。という顔をされた笑
もう既にMiguelスタジオの洗礼を受けている模様でおかしかった。
続いて訪れたのは、Évora大聖堂、Sé。
屋上で、気になったのでBeatrizに、この白い壁に黄色い縁取りっていうのは特有なの?と聞くと、やはりÉvora地方の特色なんだそう。
黄色が地方カラー?なのか、上手く写真に撮れていないが、大聖堂のステンドグラスも綺麗な黄色だった。
回廊の装飾が、Jeronimos修道院のように綺麗だったのだが、どことなく家紋ぽいデザイン。
建築単体として面白かったのこのあたりまでで、後は街を歩いたり、エボラ大の文学部など見学して、公園でビールを片手に話したりするのが楽しかった。
オーストリア人のSebastianに、オーストリアのどこの都市出身なのかと聞くと、グラーツだよと言っていて、ああ、まだ行ったことないんだよね、行ってみたいんだけど、と応える。
こちらの学生は、自分の出身地を言って、行ったことがあると応えた人に対して、Did you like it?と尋ねたり、自分が行ったことのない相手の出身地を、まだ行ったことないけど、いつか行ってみたいと思ってる、とポジティブな切り返しをするところがいいなと思って真似してみる。
グラーツ知ってるの?珍しいね、と言われたので、先学期いたオーストリア人の友達が、グラーツで年越しするって言ってたから。とVerenaとFlorianの話をした。
それから、Sebastianとドイツ語で話していたLajz(リーボックのスニーカーを履いていて、自分もリーボック派なので注目していた)に、ドイツ出身なの?と尋ねると、実はアルバニア出身で、TUMに留学中、TUMからのエラスムスでリスボンに来ているということらしい。
TUMでは、リスボンほど親切な授業ばかりではなく、留学生用の英語で行われる授業と、ドイツ語で行われる授業とが完全に分かれているらしいのだ。
つまり、ドイツ語で授業を聞いているということか。凄い。
しかも、帰りのバスでは、実はイタリア語もちょっとできるんだよね、と言い、MicやSaraとイタリア語で会話し出して凄かった。
ポルトガル人も、人によってはフランス語の方が英語より得意よ、というような場合もあって、得意不得意はあるにせよ、3言語以上できる、というような学生に会うことが多い。
私も、文献を読むのに使うし、ポルトガル語が出来ないに越したことはないわけで、ちょっとずつ練習しようかなという気にさせられた。
帰ってから、Danielaに会い、ちょっとあなたに話さなきゃいけないことがあるんだけど、、と言われて、ああ、部屋交換の話しなら昨日Beatriz(寮の隣人の方)と話したけど、、と言うと、そう、それなんだけど、あなたには私と一緒にこの部屋にこの先もいてほしいの。と言う。
どういうことかというと、BeatrizはAnaとひと悶着あったそうで、Beatrizが部屋に帰らない日に、彼女に断りなく、ベッドを人に貸したのが相当頭に来たそうなのだ。
それで、多分、日本人ならなんでもいいよと言うとでも思ったのか、私に話を持ってきたというわけ。
しかも、私以外全員合意してるんだけど、と話を持ってきたが、Daniela曰く、私はいいと言ってないし、あなたにその話するって言ったときやめてって言ったのよ?と。だって意味わかんないもんね、私この話親にもしたんだけど、親も意味わかんないって言ってたわ。あ、あと、あなたのことはいい子ねって言ってたわよ。、、、それはどうも笑
そういうわけで、私は部屋を変わる必要はないそうなのだが、Danielaがかねてから古い棚が自分の上に落ちてきそうで怖いと言っていたので、ベッドだけ交換することになった。
彼女はSetubal出身なのだが、海の写真を見せてきて、すっごい綺麗だから夏になったら行った方がいいよと言われる。
日本の海って綺麗?と聞かれたので、うーん、殆どはこんな綺麗じゃないけど、沖縄の海は超綺麗だよ、と写真を見せると、え、これSetubalより綺麗だと思うんだけど!と驚いていた。
それから、ていうか、寮母さんがあなたのことマカオ出身でポルトガル語喋れるって言ってたんだけどと謎の報告を受け、爆笑した。
いやいやいや、マカオ行ったこともないんですけど、、、笑
マカオがかつてポルトガルの植民地だったという話にこれでなったので、先程の沖縄のことも折角だから説明。
沖縄は戦時中、日本の領土内で唯一地上戦があったところで、72年までアメリカに占領下にあった。防空壕とかも残ってるんだよ。海は確かに綺麗だけど、一方でそういう悲しい歴史もあるところだから、きっと訪れてね、と話す。
その話は知らなかったと言うので、広島・長崎と同じくらい日本の戦時中の歴史を語る上で重要な場所なんだと教えた。
それから、長崎にはポルトガルのパンデローが変化したカステラがあるよ、ということも。