Gute Reise

東大で西洋建築史の研究をしながら設計を勉強している大学院生の日々の記録です。リスボン大に1年間留学を終え、帰国しました。

伊縦断旅行14日目(ローマ→リスボン)

2017-04-27 | 伊縦断旅行 2017
昨日はザハの建築を見るのに頭を使ったのと、数日前から右足の足首から脛にかけてが痛んだので、ゆっくり起きて、支度しチェックアウト。

荷物を置き、近くのカフェで、ローマ初日に食べたチョコのパティスリーとエスプレッソ。





EURに気を取られて開館時間を逃した、サンカルロアッレクァットロフォンターネに向かう。
道中で。



まだ時間があったので、近くのパラッツォバルベリーニで雨宿り。





階段がいい感じ。






お目当の教会に戻る。



開館時間が短いとあって、見学者が集中していた。







写真でなかなか伝わらないが、この階段も、イカしてる。






続いて、Sant'Andrea al Quirinaleに行くと、中で恐らくイギリスの学生が課外授業でスケッチ。



混ぜてもらって、私も。



駆け足で描いたから、窓の数やプロポーションがおかしい、、、



ローマに来たのだから、と取り敢えずトレビの泉の前を通過。(コインは投げていない。)




イカした商業施設。





この中心の、人が一番通るところに本屋が配置されている。なるほど。

近くで、凄いデモが起こっていた。



リスボンではデモに遭遇したことがないので、ちょっとビックリする。



そして最後は、お待ちかね、この間夕食に行こうとしたら予約でいっぱいで入れなかった、カルボナーラのお店へ。

ランチの開店前から待つ。
待っているのは、やっぱり日本人カップルばかり、、、笑

左隣は日本人カップル、右隣はイタリア在住らしい日本人男性、そのさらに右隣には韓国人の親子と、やたらアジア人が多かった。
旅行本やテレビで話題なのだろうか。



そこまで好んでカルボナーラを食して来たわけではないけれど、私の知ってるカルボナーラはカルボナーラではなかったんだな、と思う絶品だった。
赤ワインと一緒がよさそう。今度来たらきっと、、

エスプレッソを頼んだのだが、チョコとクッキーがついて来た。

高いけど、その価値はあり。
先日失敗したなぁと思ったパスタをリベンジできて良かった。


ホステルに戻って荷物を取り、ライアンエアーの航空券を受付で印刷してもらう。
テルミニ駅のバス停から、シャトルバスでチャンピオーネ空港へ。



イタリアは、とにかくディテールへの拘りを感じる建築が多く、また、歴史的背景が如実に現れた街区や建築が平然と残っていて、なんというか、勉強しなきゃ、や、勉強したい、という気にさせられた。

カッターネオの納まり、モデナの街並み、ローマの広場、それから、スイスのメルクリとボッタも忘れちゃいけない。

そして勿論、コモのジェラートと、ローマのカルボナーラ、、、笑

また訪れたい理由は山程。
きっと将来、今度はちゃんと手に職をつけてから、ローマの休日をしに来よう。

伊縦断旅行13日目(ローマ)

2017-04-26 | 伊縦断旅行 2017
6時半に起きて、支度してから昨日の日記を更新。

492番のバスに乗って、パンテオン。



パンテオンの前では、噴水のところの階段に腰掛けてスケッチをする、アートか建築の学生と思われる集団。



中に入り、ああ、教科書で見たやつ、、、と思った。





先程外にいた学生に紛れてスケッチでもしようかと思ったけれど、戻るともう彼らの姿はなかったので、退散。


Sant'Ivo alla Sapienzaへ。向かいの建物が素敵、、、



中へ。





先程の、オレンジ色の建物が開口から見えていい感じ。



日中のナヴォナ広場。





予約しておいた、バチカン美術館へ。
バスに乗っていて、バチカンに近づくに連れて、バス停で待つシスターが増える。

お昼に?ジェラート。



イタリア語でもgraciasと言うのか、客か店員がスペイン語圏出身なのかわからないが、そう言われた。


美術館は、当日券待ちの列と、予約時間待ちの集団で凄い人だった。
エントランスから入って、予約の券と学生証を提示し、本券を受け取る。

中身はというと、グループのツアーが死ぬほど多く、正直、もう二度とくるものか、と思ったのだけど、隠れミッキーを探すようにしてバチカンマークを探していたら適度な速度で進めてよかった。

カフェで軽食とたまらずビールを買って、休憩。

このカフェのカウンター周りの動線が酷くて、接客のアルバイトを思い出しながら、もっとこうしたらいいのに、と心の中で思う。

席に着き、一瞬眠ってしまったのだが、掃除のおばさんに、空いたカップを下げていいかと起こされる。


本当は、サン・ピエトロも当然見たかったのだけど、凄い列で、疲れていたしまたの機会にする。



メトロとトラムで、ザハのMXXIへ。

次の展示準備などで、見られる展示室は通常より少ないですが、と断りを入れられたが、無料だし、問題ない。



照明の芸が細かい。







1本の照明で2本の光の筋を生み出す。





照明が見切れない位置に少し下げられているのだろうか。



影が綺麗。



このコンクリが切ってあるところ、階段だろうと予想して反対側にまわると、確かに階段。



手前の水色は多分、企画展用の仮設のものだろう。



入ることができなかった展示室を外から。



ザハの建築は、Vitraで説明されたように機能とデザインが隣り合わせになっていて、こうして謎解きのようにして見学する必要があるため、疲れた。



トラムとメトロでテルミニ駅に戻り、近くの韓国料理屋へ。

リスボンには、韓国料理屋というものが、存在しない。
存在しないというのは嘘だが、唯一あるお店は、韓国人の方のコメントを読むと酷評されていて、これは韓国料理ではない、中華だということだったので、実質存在しないも同然。

店内に入ると、殆ど韓国人の方で、私の隣のテーブルのカップルだけ、中国語話者だった。

本当は、サムギョプサルが食べたかったのだけど、2人以上からだったので、断念。
ユケジャンを頼む。



8ヶ月以上ぶりのキムチ、、、

支払う時、店のおばさんに、私今留学してて久しぶりに食べたので、と少し感想を伝えて出る。


ホステルの近くのスーパーで、キノコやトリュフの香りがついたオリーブオイルや明日用の水を購入して、ホステルに戻る。

伊縦断旅行12日目(ローマ)

2017-04-26 | 伊縦断旅行 2017
7時過ぎに起きて支度、昨日の朝行ったカフェに行こうと思ったけど、祝日で閉まっていたので、テルミニ駅の地下鉄にあるコーヒーの自販機でエスプレッソを購入、朝ごはんがわりにする。
それから、水も、中心部で買うと倍くらいするけど、1€だったので、念のため購入。



まずは、ファシズム建築の集まるエリア、EURへ。

EURホニャララとつく駅が多く、間違えて降りたかった駅より前に降りて閉まったのだけど、公園があって、中を通って行けたのが却ってよかったかも。



歩き進めると、お目当のこちらが見えてくる。



綺麗すぎて、気持ち悪い感じ。

公園というか、ほぼ森を出ると、これまたそれっぽいカフェ。



手前にいるお兄さんたちに、これって何時オープンです?と聞くと、10時と言うことだったので、先に会議場などを見ることに。



EUR本部。











うわぁ、、、



CRAL INPS DG(とグーグルマップには書いてある)







これって、なんの建物ですか?





最初この赤と黄色の旗が、ドイツ国旗に見えて、え、ドイツ大使館?マジかよ、と思った、、、





リベラの、EUR会議場









掃除のおばさんに、no entrato?と聞いて、首を振られてしまったので、例によって窓にスマホを当てて。







会議場前の広場に、このような地図。



道中




10時をすぎた、満を持して、マルチェッロ・ピアンチェンティーニのPalazzo della Civilta Italiana。



一階は美術館になっている。













せっかく、開口のいっぱい開いた建物なのに、多分、展示スペースの照明が強すぎて、やや台無しだった。

ロビーに戻る。









天板が鏡なんだな。



外観。









軽くスケッチ。



バス停で暫くバスを待ったが、多分祝日のせいか(祝日のダイヤも書いてあるんだけど)来ないので、まぁいいやと地下鉄で戻ることにする。


なんだか、祝日のせいか街中で殆ど人を見かけなかったのもあって、本当に2017年にいるのか、不安になる街だった。
1930年代に戻ってしまったような、はたまた未来に飛んでしまったような、、、
前者に関しては、これを見て、そうだよな、現代だよな、と確認する始末。



昔、中井貴一がお父さんの役で出ていた単発のドラマで、平凡な一家が戦時中にタイムスリップしてしまい、戦争の結末を知っている家族は、戦中の世の流れに飲まれないようにしようと最初は試みるんだけど、次第に娘と息子は、どうしてみんな頑張ってるのに、お父さんお母さんは頑張らないんだ、歴史は変わるかもしれないんだよ、と当時の教育に洗脳されていき、そして、再びタイムスリップすると、そこには核兵器で破壊された、高層ビルの廃墟が立ち並ぶ東京の街があるのだ。
中井貴一が、血を流し倒れている人に、すいません、今って西暦何年ですか?と尋ねると、その人は、20...と言いかけ、息絶える。
そんな、ドラマがあったのを思い出す。

なんだか、あの、時代錯誤な雰囲気が、確かに、ここにファシズム時代のユートピアが造られようとしていた痕跡が、有り有りと、残る街、、、
コロッセオやスペイン広場だけが、ローマではない。
不思議で貴重な体験をした。



すっかり長居しすぎて、サンカルロアッレフォンターネの開館時間に間に合わないなぁと思ったので、予定を変更してザハの美術館に行くことに。

エスパーニャ駅で途中下車、すんごい人!!!



調べてあったカフェで優雅にティラミスとコーヒー。



ゆっこと、再び暫くやり取り。修論のことなど、相談に乗る。



私もスケッチブックを愛用している、ファブリアーノ社のブティック。



ファブリアーノの製品でないのはわかっていたけど、昨日みたいに広場のスタディするときに使おう、とローマの街の地図が表紙のノートを購入。

レジで並んでいたら、店員さんが、新しいものお持ちしますと言ってくれたのだけど、そんなこと言ってもらったの、Gulbenkianのミュージアムショップでマグカップを買って以来。
接客のアルバイトを思い出して、懐かしかった。



ポポロ広場。



門の裏に大通り、ちょっとコメルシオに似てる構成?なんて思った



それも束の間、コメルシオはアウグスタ通り、バイシャのメインの通りで賑わっているのに対し、こちらはお店がないわけではないんだけど、かなり静か。

北上するにつれ、これ、ほんとにザハの美術館に向かってるんだよな?と不安になる、住宅地になっていく。



休日なのに、人が全然いない、、、



ザハの美術館の目の前には、こうしたイベントスペースがある。
住宅地のど真ん中に作ってるんだ。面白いな。








道路を渡って、ザハの美術館。
何故皆、名建築の前で滑りたがるのか、、、



確認すると、平日なら建築学生無料らしく、明日か明後日出直すことに。
万が一、来られなかった時のためにふらふらとミュージアムショップの建築本をチェックすると、私のために用意されていたと思いかねないこちら。



シザの目から見た、イタリアの街のスケッチがいっぱい。



バスを待つのだが、やはり暫く待っても来なかったので、歩いてポポロ広場に戻る。
リスボン大の都市計画の授業で、João先生が、ポポロ広場ではないけれど、ナヴォナ広場を例に挙げて、公私の演じ分けを助けているみたいな話をしていたのだけど、それがやっとわかったという感じ。(後で加筆します)





暫く人間観察したり、みゆきちゃんとやり取りしたりしていると、隣に座っていたイタリア人のおじさんが、君、ここに座って見てるだけで広場のプランが書けるんだねなんて話し掛けてきた。
ああ、建築の学生なんで、と話す。

そして、中国人?と例によって聞かれたので、いや、日本ですと言うと、私も昔日本に住んでいた、と随分綺麗な日本語で言うので、ちょっと話す。

日本のどこ出身ですか?と言うので、東京です。と言うと、普通はここで出身地の話は終わって東京は眠らない街だよね、だの、忙しい街だよね、だのそういう話になるのだけど、東京広い、東京のどこ?私は昔練馬住んでた、と言うので、え!私も練馬です!!と驚き。

日本とイタリアの街の話を暫くした。(ここからは流石に英語)
そのPasqualeというおじさんが言うには、ローマはダメだと、小さい頃はコロッセオも無料で公開されていた。あんなにお金とって、ろくに治安も交通もよくなりゃしない。
そして、古いまんまの街なの、ほんと、意味わかんない、地震にも耐えられない、仕方のない街だというようなことを言っていた。
私は、ローマもいいところがいっぱいあったという話をしたのだけど、彼にとっては、日本の街や日本人のスタイルの方が合っていたらしい。
イタリア人にも色々あるんだな。

どこの広場がよかった?と聞かれ、まだナヴォナ広場に行っていないからわからないけど、今のところはカンピドリオ広場、いいなって思いましたと言うと、ナヴォナ広場までスクーターで行くか?と言ってくれた。
正直、この時点では全然信用していないというか、いつそうなっても大丈夫なように、どう逃げようみたいなことをずっと考えていたのだけど。



このベルニーニの噴水がお気に入りらしい。



これが本当のローマ。と連れて行ってくれた。



Pasqualeさん的には一番いい広場と言っていた、パラッツォファルネーゼの近くの、カンポディフィオーレ。



いい大きさ!

それで、夕飯食べようと、昨日の雑貨屋のある方まで行ったのだけど、混んでいて入れそうになかったので、戻る。

ベネチア広場で、多くの観光客が勘違いしてるけど、交差点を背にして左はコピーで、右がオリジナルなんだよ、だとか、これはファシズム建築だね、文字を読むと、それっぽいこと書いてあるよ、などガイド付きで。。。

入ったお店に関しては、実は、ミラノで石黒さんに連れて行って頂いたのと同じピザのお店だったんだけど、黙っておいた。
Pasqualeさんの奢り。ありがたや、、、
随分、日本的なことするんですね、と言うと、もうおじちゃんだからね、と日本語で言っていた。
君は、お嬢さん?と言うので、お嬢さんって、2つ意味があるんですよ、と教えてあげた。


その後バチカンの近くまで行って、デザート。



canoro cianoという、リコッタチーズのお菓子。


そして、至れり尽くせり、ホステルまで送ってくれた。
こんな上手い話、誰が信じるんだって感じだし、私もスクーターに乗せてもらうの自体が初めてだったし、夢の中にいるような気持ちだった。
本人にそう伝えると、君がgood girlだからだよ、と。
いい旅をこちらこそありがとう、とまで言ってくれた。

きっとローマのなんかより、いい広場作ってくれ、なんて言われ、きっとちゃんと勉強して、いい街を作ります、とPasqualeさんの後ろ姿と、ローマの空に誓った。

伊縦断旅行11日目(ローマ)

2017-04-24 | 伊縦断旅行 2017
7時に起きて、支度。受付のお兄さんに、近所の安いカフェを聞いて、カプチーノと、メロンパンみたいな生地にチョコが入っている、なんだかよくわからないけど美味いパティスリーを食べる。



地下鉄でコロッセオ駅。
開館15分前だったが、列ができていた。でも、昨日のウフィッツィ美術館に比べれば、ずっとずっとマシ!



学生料金はないそうで、通常料金のコンビチケットを購入。







こういう、鏡になっているスタッフ通用口がいくつかあって、もしかして、世界観を壊さないためかなぁ、と思ったり。



2階への入り口は、チケット売り場の奥にある。







こんなに綺麗に、開口の形が残るものなんだ。

土産物屋で、ポストカード。
あと、このキャラクターが気になる、、、笑





なんだか、ローマの植生、これまで見たことない感じ。



今まで見て来た中で、最も観光地らしい観光地、兵隊も沢山いた。



続いて、フォロ・ロマーノ。











小さな柱に座って、スケッチ。







ミラノで石黒さんとお話ししていたとき、パブリックなグリーンは△だけど、プライベートなグリーンは上手いという話になったが、それはローマもそうみたい。



絶景、、、



不思議な気持ちになる。
器は、確実に過去のものなのに、生き生き生い茂った植栽の甲斐もあって、そして何より、人々が能動的にこの遺跡群を楽しんでいるのを見ていると、そこに流れている時間は、現在のように思えた。



日本で保存というと、博物館的な保存が多く、あれしちゃだめ、これしちゃだめ、と、使う、ということが却ってその保存に繋がるのだという考え方が、今後定着すればいいと思った。



歩いて、カンピドリオ広場へ。



暫し座って、人間観察。
すると、この広場の優れているポイントが、見えて来た。



ヨーロピアンは、段差があると座る。
階段、川沿いの低いブロック、なんでも。
その習性が、上手く回収され、見事にみんなそこら中で座っていた。



階段を2段使うと、足を投げ出してちょうど良い感じ。



そして、外周のコラムの間と、階段の1段目双方に人が座った場合でも、間に通路ができるような幅になっている。

更に、電灯や銅像など、目印となるような場所に人がたまるのは当然として、その中腹に立ち止まりがあるのが、興味深い。

多分、段差のある外周から、銅像までの距離がちょうどいいということが一つ。
コメルシオ広場は待ち合わせに適していないというような話を先学期のスタジオでミグエル先生が言っていたが、コメルシオは広すぎて、そして、月島の公開空地も、デザインされていなさすぎて、ただの通路になっていたりする。
反対に、ハチ公前なんかは、狭すぎて、人が流れない。
この10メートルないくらいの大きさが、ちょうど良いのだろうと感じた。

それから、緩やかに、銅像に向かって給料になっているのだ。
もしかすると、この地形が、上手く外周に人を流し、例えば、歩く速度を抑えるなどして、立ち止まりを促進しているのかも?





歩いて、ローマにエラスムス中のCatarinaに教えてもらった、オレンジ庭園。



見晴らしもよし。



Gulbenkianみたいに、豊かな植栽と動線のデザインで見せる、という感じではなかったが、何だか居心地がいい。
Gulbenkianと共通する要因は、多分、この植栽を用いた日陰のデザインにあると思った。



気持ちよくて、2時間も居座ってしまった、、、
その間、2組もウエディングフォトを撮るカップルがいた。
凄い。人気スポットなんだなぁ。





オレンジ庭園からまた少し歩いたところにある小さな公園。

その更に先の、教会。







周辺の住宅は、オレンジや黄色が多かった。





リベラの、アヴェンティーノの郵便局。







ピラミッド駅から、コロッセオ駅まで移動。

ベネチア広場の、Altar of the Fatherland。



街中に突然、こうした遺構が現れる。




パラッツォ・ファルネーゼ。



加藤スタできーくんがリサーチしてたっけ。
ミケランジェロが担当したバルコニー部分







続いて、母が2度目のローマという番組を見て送ってくれた、時間、をテーマにしたという雑貨屋を覗きに対岸へ。

私の前に別のカップルが店にいて、マスター(って言いたくなる感じ)にどこ出身?と聞かれ、アジア人の女性の方が、私は台湾で、彼はトルコです。でも、住んでるのはドイツです。と言っていた。
マスターはアルゼンチン(スペイン語)の出身と言っていて、カップルが帰ってから、英語喋れる?と聞かれたので、英語と、ほんのちょっとだけポルトガル語、、、と言うと、ポルトガル語で、少し話してくれた。
こういう、ゆっくり練習させてもらえる機会にできるだけ話しておかないと、と結構頑張ったつもり。

ローマの広場をモチーフにしたピンバッジがあったので、これいいですね、私、アーキテクチャの学生なんで、と話しかけてみる。
すると、オンジ?と聞かれ、何だっけ、この疑問詞、、、と思っていたら、Onde?(オンデ、どこで?)だった!
そうか、アルゼンチンは南米、、、知ってるポルトガル語も、ブラジルポルトガル語というわけ。

リスボンです。と言って、ああ、そうなの。僕も僕の奥さんも、アーキテクトなんだ。
それで、出身は?と聞かれ、日本と応える。

最近、日本人の客が増えてるんだけど、みんな英語ダメなんだよね、と言うので、日本人にとっては英語、とっても難しいので、と伝える。
それから、きっと言われるだろうなぁと思っていた、2度目のローマの話題。
見たのか?と言うので、私は見てないけど、母にメールしてもらってここに来た、と。

記念に、カンピドリオ広場のバッジを購入、ゴムの封をするところ、初めて生で見た!





母に送るのでセルフィー撮りましょうと言って写真を撮り、それからマスターをお店の前で撮って、Ciao, até já!と言って店を後にする。
ちなみに、チャオはポルトガル語にもある表現で、Tchau, até já!や、Tchau, adeus! チャウ、アディオス、などと言って店を後にする。
後者、イタリア語とスペイン語が混ざったような表現。不思議だなぁ。



この後、テンピエットが見たくて坂道を登ったのだが、開館時間が過ぎていて、見られず。

19時オープンの、母に送ってもらっていたカルボナーラのお店に行くも、予約でいっぱいで入れず。
サークルの後輩が行ってインスタにあげていたお店にも行って見たが、次入れるのは22時。

完全にカルボナーラの胃にしてきていたので、何か食べようと思ってプラプラコロッセオの近くのお店のメニューを見て歩く。
入って見たお店、まずかないけど、値段が高すぎる。



これは、帰るまでにパスタリベンジしなくちゃだな、、、予約するか、、、

伊縦断旅行10日目(フィレンツェ→ローマ)

2017-04-23 | 伊縦断旅行 2017
6時半過ぎに起きて、ラウンジで朝食、そして荷物をまとめる。

歩いて、ウフィッツィ美術館へ。



既に凄い人、出遅れた、、、
予約列の進みも、そんなに速くない。
多分、これは開館前に並び始めるのがいいかと。




最初の展示室。





こうして隙間を開けることに機能面で何か意図はあるのだろうか。









窓から。






展示内容については、もちろん、ボッティッチェリの有名な絵画なども必見だが、建築が美しく背景として用いられた作品が多く、それが面白かった。





それから、ボッティッチェリの作品がピンクとグリーンの、フィレンツェの聖堂ファサードによく用いられるカラーを含んでいて、思わず写真に収める。



こちらは、ポストカードもあったので購入。

本当は、こちらもお気に入りだったのだが、残念ながらポストカードはなかった。




何気ないところに置いてある、ラオコーン。



高校世界史で、先生がオリジナルで作成されていたプリントに描かれた微妙な(失礼)スケッチが思い出された。
今こうして、ポルトガルでスケッチ第一主義の教育を受けていると、スケッチすること、スケッチによって抽象化されたものを見ることが作品を理解して記憶するのに適している、ということだったのかも。


他に、企画展で、修復の展示や、ダヴィンチのドローイング。





皆食い入るようにして映像を見ていた。


ミュージアムショップや併設のアート系書店をプラプラ。
ポルトで購入したような、街の風景を収録した小さな写真集があれば絶対にほしいのだけど、未だ出会えていない、、、


お手洗いまでの動線に、磯崎さんの計画が。




それから、お手洗いをこちらに作るのが上手いなぁ、と。



皆、手摺から顔を出して、目線を階段下に向けていた。お見事。



お昼は、昨日Mariaに教えてもらった、人気店All'Antico Vinaioにミーハー全開で並ぶ。





サブウェイ並みの手際。戦場だった、、、笑
L'Infernoという地獄という意味のスパイシーなサンドにしたのだが、前のおじさんが、美味いよ、と教えてくれた。
5€でお腹いっぱい。



川沿いを散歩。







加藤先生の授業で、カステルヴェッキオと坂出人工土地を比較してレポートを書いたっけ。



カステルヴェッキオの近くでは、こうして路上にアート作品が。







昨日目をつけていたジェラート屋へ。



なかなか、コモのお店を超えるピスタチオに出会えない、、、



ホステルに戻って荷物を取り、18時半過ぎのFlixbusで最終目的地、ローマへ。