つらつら日暮らし

道元禅師の直弟子達が語る三学論(2)

以前、【道元禅師の直弟子達が語る三学論】という記事をアップしたのだが、他にも見ておくべき文脈があるため、今日はそれを確認しておきたい。

 雖無諸法生滅而有戒定慧と云は、
 是修証はなきにあらず、染汚することゑじと云義にあたるべし、
 生滅とこそ云ねども、戒ぞ定ぞ慧ぞ云へば、是こそ生滅の法と聞ゆれどもしかにはあらず、一戒光明金剛法戒と云程にこそ戒をも心得れ、只戒と云へば制止と許心得、断悪修善とのみは不可心得、
 又、戒はふね・いかだ也と云時は生滅法に似たれども、雖無生滅の道理は今の般若と談ずる所、戒定慧等なり、敬礼これなり、
 施設可得と云は是もほどこしまうけてうべくば生滅の法に似たり、然而今施設は可得とつかふ、戒定慧にて可心得、
 戒定慧已下至度有情類、施設可得なるなり、
    『正法眼蔵抄』「摩訶般若波羅蜜」篇、カナをかなにするなど見易く改める


まず、冒頭の一段は、「摩訶般若波羅蜜」巻からの引用である。なお、元々は道元禅師が同巻で引用した玄奘三蔵訳『大般若経』巻291に見えるものである。そして、上記一節は「無諸法生滅」を重点的に解釈している。そして、「修証はなきにあらず、染汚することゑじ」の意味、つまりは不染汚の修証で捉えている。

よって、不染汚の修証として戒定慧を捉えているのだが、これを生滅の法だと思いがちであるが、「一戒光明金剛法(宝)戒」だと考えるべきだという。これは『梵網経』で説かれる菩薩戒の意義である。つまり、これは金剛であるから、無生滅の戒なのである。

そして、戒は制止として捉えたり、断悪修善とのみ心得てはならないという。何故ならば、戒は船やいかだのようだといわれるが、あくまでも「雖無生滅の道理」であり、それを般若であるという。この般若が、戒定慧として展開していくのであり、それを敬礼するという。戒を船筏に喩えるのは、『大乗本生心地観経』巻3だが、その辺の影響も見ていくべきなのだろう。

また、施設可得も、元々は『大般若経』の一節であるが、道元禅師は「この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり、いはゆる戒・定・慧、乃至度有情類等なり。これを無という。無の施設、かくのごとく可得なり」とも示されている。そして、この教えを元に、『抄』では以上のように示された。

つまり、施設可得としての般若現成が、戒定慧に展開するのであるが、把握の仕方には注意が必要である。

雖無諸法生滅とありながら、戒定慧施設可得度有情なむどはいふべからず、然而諸法仏法の時節に迷ふとき、或大海に不宿死屍なむど云詞、をほく仏道の定れるならひとしるべし、
    『正法眼蔵聞書』「摩訶般若波羅蜜」篇


要するに、究極の理想としては、「雖無諸法生滅」であるわけだから、戒定慧や施設可得、度有情などに展開するはずが無いというのである。これは、般若の一法究尽であることを示す。だが、一法究尽であるからこそ、仏法の時節に迷ったり、大海に不宿死屍等のように把握される時があるという。

一法究尽の道理を通して、現実の戒定慧のみに行くのか?般若の側に行くのか?その違いが、これらの文脈の違いである。

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コメント一覧

tenjin95
> イエスちゃん さん

> 高校三年生の時から、いろいろ、学んでおります。それで、判明したことです。

・・・いや、ハッキリ申し上げますが、貴殿のコメントは誤解と妄想とに支配された内容で、酷いものです。永年の学びは、何一つ事実にたどり着けなかったようですね。

そろそろ、日本達磨宗悪玉論は、かなり力を入れて否定しなければならないようだと自覚しました。かつての大久保道舟師、今枝愛真師など、やはり問題がありますね。

この悪説のせいで、初期曹洞宗教団史がここまで曲解されるとは、残念を通り越してあきれます。
イエスちゃん
感謝です。

高校三年生の時から、いろいろ、学んでおります。
それで、判明したことです。

道元・和尚から「嗣書」を授かった人は、少ない。
「懐奘」さんは「日本達磨宗」だから、「嗣書」を
授かっていない。

「僧海」さんは「嗣書」を授かったので、
「首座」に就いた。「懐奘」さんは「首座」から、降ろされた。

「義尹」和尚は「日本達磨宗」でないから「嗣書」を授けられた。

だから、如浄禅師の回忌供養に、道元和尚の代理に、2回も中国に派遣された。
2回目は、道元和尚の死の年、1253年だった。

「義介」さんは、「懐鑒」禅師から「日本達磨宗」の印可上を授かった。

それを、瑩山禅師が、継承した。

瑩山禅師は「日本達磨宗」だから、
如浄禅師を「高祖」に据えて、五老峰の神学、
「如浄禅師・道元和尚・懐奘禅師・義介禅師・瑩山」
を創り上げて、「証拠の品々」を、地中に埋めて、「無」にした。

要は、
「懐奘」禅師は、永平寺という寺の運営を任された「首座」に就いた。

「三代相論」は「懐奘」「義介」禅師、お二人の
「日本達磨宗」の復興であった。
その為に「義介」さんを中国に送って、儀式を調査させた。

葬式仏教は中国輸入であり、この「義介」から始まっていた。
修行の途中で亡くなった僧の葬式を、在家にも拡大した。

その為に、死者に「戒」を授け、戒名を与え、仏弟子にして、
その上で、本来の「葬儀」を行った。

道元和尚は、在家の葬儀は行わなかった。

信仰が異なっているのです。
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