つらつら日暮らし

インド仏教の葬儀法を伝える文章?

まぁ、仏教に於ける葬儀法を研究する人達には、よく知られた文章ではあるが、とりあえず今日はこの辺を学んでおきたい。

 然るに仏教に依らば、苾芻の亡ずれば、死に決するを観知し、当日に焼処に向いて、尋いで即ち火を以てこれを焚く。
 当に焼くの時、親友、咸く萃りて一辺に在りて坐し、或いは草を結んで座と為し、或いは土を聚めて台と作し、或いは甎石を置きて以て坐物に充つ。一りの能者をして無常経の半紙・一紙を誦せしむ。疲久せしむること勿れ。
 然る後に、各おの無常を念じ、住処に還帰す。寺外の池内に衣を連ねて並びに浴す。其の池処無くんば、井に就いて身を洗う。皆、用故の衣、不損の新服、別して著けて、乾いた者は然る後に房に帰す。地、牛糞を以て浄塗し、余事、並びに皆な故の如し。衣服の儀、曾て片別無し。或いは其の設利羅を収すること有らば、亡人の為に塔を作り、名けて倶攞と為す。
    義浄『南海寄帰内法伝』、『大正蔵』巻54・216c、訓読は拙僧


以前から、インドでは亡僧喪儀の際に『無常経』を読むとは聞くが、ここが出典となっている。最初の「苾芻」とは、比丘の別音写なので、正式な出家者が亡くなった場合のことを指摘しているのである。文意から儀礼を採れば、まず亡くなったその日に焼処(火葬場)に向かって、荼毘に付す。しかし、焼く時に、その比丘と親しかった者が集まってきて、一列に坐るが、その際に坐を作ったり台を作ったり、石を置いたりして坐る場所を作ってから坐る。

そうしてから、一人、お唱え事(読経)が上手い者を選んで、『無常経』を「半紙・一紙」とあるので、半分のみ、或いは全文を読ませることがあったのだろう。疲れさせてはならないとあるので、この辺はかなり短かったと思われる。そして、『無常経』を聞いてからは、参加した者達は各自、無常を観じてから元居た場所に帰るという。

さて、問題はその後で、帰ったら池、または池が無ければ井戸の水を使って身体を洗うという。その際に、衣も洗ったようである。これは一体どういう意味だったのだろうか?しかも、地面も、牛糞でもって塗りつぶすという。これらは、比丘が死んだことに対して行われた行為というべきなのだろうか。水でもって身体や衣服を洗うというのは、或る種のお清めの感もある。まぁ、インドの人と、我々日本人とでは感覚は違うかもしれないが・・・そういえば現代語訳が出ていた気がするから、今後、それを確認してみても良いかもしれない。

なお、最後に出ている「設利羅」云々だが、これは「舎利(遺骨)」のことで、亡くなった比丘の遺骨を集めることがあったのなら、塔を作るべきだという。今風にいえば、墓を作ることである。

このように見てみると、我々が現代行っている喪儀の原型が、この段階(義浄の生没年は635~713年で、インド留学は671~695年である)で確認出来ることが分かる。具体的には、臨終・行列・火葬・告別式(読経)・観無常・収骨・埋骨(造塔)などである。本来、葬儀への関わりが否定されていたともいうが、実際に上記の通りであったとすれば、やはり、我々は僧侶の喪儀への関わり方について、原則論的なところに拘泥しない方が良いのだろう。

無論、この義浄の記述がどこまで正しいのかは、慎重に見られる必要があるが、拙僧はその詳細まで吟味することが出来ないので、今後、先行研究などをちゃんと見ておきたいと思う。

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