つらつら日暮らし

洞門寺院に於ける年始行持について

令和6年も2日目となる。昨日の元旦に、石川県北部周辺を震源とする令和6年能登半島地震が発災し、多くに被災者も出ておられる。当該地域は、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)以来の古刹も多く、心からお見舞い申し上げる。

ところで、今日は瑩山禅師の『瑩山清規』から「年始の行持」を見ておきたい。

・粥時必五味粥
・歎仏如常
・粥次点茶行礼
・次恒例上堂
・祝聖修正(三朝)


以上である。この段階で、後の年分行持に見られる内容が調っている。それで、改めて江戸時代の面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』「年分行法」の様子を見ておきたい。

・修正礼賀(祝聖上堂または祝聖諷経、了而大衆礼賀)
・禺中行法(転大般若または礼三千仏)
・賀客接待
・三寮祝茶


それで、3日になると修正の法会は満散となる。ところで、拙僧的に気になるのは、「修正」の法会の内容である。「修正」については、「正月の修法」の意味であるとされているが、瑩山禅師は「祝聖修正は、天下の叢林の一大事なり。一衆、必ず出仕すべし」(『瑩山清規』)としている。つまり、祝聖の法会全体を、「修正」だとしていることになる。

その意味で面山禅師の指摘を確認してみると、以下のようなことが書いてある。

修正ハ、朔日ノ粥前ニ啓建ノ宣疏アリ、三日ニ満散ス、知殿預メ修正牌ヲ殿前ニカケ、〈中略〉次ニ或ハ祝聖上堂、或ハ祝聖諷経、住持ノ意ニヨル、諷経ナレバ、直ニ恒規ノ課誦アリ、上堂ナレバ、下座ノ次ニ礼賀ニテ、恒規ノ課誦ハ粥後ナリ、
    面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻3「年分行法」、『曹洞宗全書』「清規」巻・90頁上段


つまり、修正というのは、先ほどに挙げた定義の通りで、正月に行う法会のことを指すのであり、上堂か諷経か、住持の意志によるという。面山禅師の語録を見ると、「歳朝上堂」が複数収録されているので、道元禅師以来の伝統として、上堂でもって祝聖修正の法会とされたのだろう。

なお、正式な名称ではないのだが、この時期の法会について「三朝祈祷会」などとも称して、曹洞宗寺院で、正月のご祈祷について案内される檀信徒の方もあると思うが、それについて瑩山禅師『瑩山清規』では読むべき経典や「疏」なども収録されているため、確認しておきたい。なお、この法要は、「祝聖」「修正」の法要として大殿(仏殿)で行われているが、詳細は「疏」で確認したい。

 南閻浮提大日本国北陸道加賀国○○郡○○庄○○山○○寺
 開闢釈迦牟尼仏五十四世伝灯沙門〈某甲〉等、
 今、三朝の佳節に遇いて、恭しく奉為聖寿の祝延の為に奉り、三ケ日の際、現前の大衆を率いて、覚皇宝殿上に就いて、当塗王経三巻を諷誦し、以て修正満散するものなり。
 右、集むる所の鴻福は、
 日本開闢天照大神、
 天神七代、
 地神五代、
 人皇百一代今上皇帝、本命元辰、当年属星、
 七曜九曜二十八宿、
 王城鎮守諸大明神、
 五畿七道大小神祇、
 仏法大統領白山妙理權現、
 当道前後鎮守両社大菩薩、
 当郡当保の諸社、
 当山の土地、当山の竜王、
 今年の歳分主執陰陽権衡造化善悪身聡明、
 南方火徳火部星衆、
 護伽藍神一十八所、
 当国一宮〈某神〉、部類眷属、
 招宝七郎大権修利菩薩、部類眷属、
 多門天、
 迦羅天、
 打給青面使者、
 随逐白衣天子、
 旧鎮守稲荷大明神、
 新羅擁護八幡大菩薩の殊勲に祝献す。
 本寺の檀那、諸堂の檀越、捨田の諸檀、結縁の道俗、
 合山の清衆の本命元辰、当年属星に回向し、威光を増加し、佳徳を円満せんことを。
 冀う所は、聖寿無疆、椿松の秀老質し難く、皇徳普く有りて、海嶽残恵せられず、普天、風雨の調適なることを得て、率土全てが豊饒慶祐し、仏日増輝し、法輪常転し、伽藍土地、護法安人せんことを。
 謹んで疏、
 陛下容納・三宝炳鑒
 元亨二二年正月三日〈某甲〉等謹白
【穀漏子】
 恭敬疏上・皇天容納 
 南閻浮提日本国○○庄○○山○○寺〈某甲〉等謹封
    『瑩山清規』「年中行事」


以上である。ここから、瑩山禅師(開闢釈迦牟尼仏五十四世伝灯沙門)が行われていた三朝祈祷では、『当途王経』を用いていたことが明らかとなった。この経典だが、「従前観音経を当途王経と称せり、右は天台法華文句巻十の注に曰く、此の品は是れ当途王経なり、講ずる者甚だ衆し」(『洞上行持軌範』巻上)とあって、『観音経』のことを指している。ただ、『瑩山清規』の写本によっては、「大般若経壹部六百」ともあって、後には『大般若経』も用いるようになったのかもしれないが、当初は『観音経』であったことが分かる。

その経典を三度読み、天照大神など多くの神祇に祝献し、更には本寺の檀那などや、「合山の清衆の本命元辰、当年属星」などに回向している。その上で、天皇の聖寿無窮や国土の豊作などを願い、寺院では法輪が常に転じ、護法安人などが祈られている。このような修行が、「三日此の如し」とある通り、3日間は同じ祈祷を行ったのである。それから、以下の一節にも注目しておきたい。

円鏡菓子等、兼ねて堂前に安排し、一衆坐定の後、知事上りて入堂し焼香し、四所に問訊の後、円鏡菓子等を遍く行いた後、点心等、若しくは之を行く。或いは若しくは此の山林に、点心は畧すも妨げ無し。三日以後、打鈑坐禅す。三日の念誦、怠たるべからず。
    同上


この「円鏡」だが、「円鏡―つらつら日暮らしWiki」の記事の通り、餅を意味する可能性もあるため、それを考えると餅や菓子などを修行僧達に配っていた可能性がある。

よって、ここからは、年始に於いて修行僧同士が礼賀し、祈祷をして国家や人々の安寧を祈ったということになる。それらが、古来よりの清規や後の時代の法要で行われている、曹洞宗寺院の年始行持の内容である。

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