つらつら日暮らし

7月14日 仏教的には色々と言いたい日

明日は7月15日、仏教的には色々と重なっている。ただ、明日は「海の日」らしく、そのための記事も書いているので、今日は「色々と言いたい日」ということで記事を書いていきたい。まず、明日は解夏の日である。解夏の日は、旧暦で4月15日に始まる夏安居が90日間過ぎて終わる日となる。

それはさておき、当然に夏安居が始まれば、終わる時も来るわけで、終わる時について道元禅師は以下の様に示されている。

  解夏。七月十三日、衆寮煎点諷経、またその月の寮主、これをつとむ。
 十四日晩の念誦、来日の陞堂・人事・巡寮・煎点、並んで結夏に同じ。
   『正法眼蔵』「安居」巻


諷経と念誦くらい?始める時ほど、大変では無い印象。そこで、瑩山紹瑾禅師の時代になると夏中楞厳会を行うようになり(道元禅師の時代に行っていたかどうかは不明。「していない」という断定が出来ない)、安居の期間中は修行の無事なるを願って『楞厳咒』を唱えていた。それが7月15日で満散になり、そのことを示した「疏」には次のような一節がある。

七月十五日。法歳周円の辰に当たる。是れ衆僧自恣の日なり。
    『瑩山清規(上)』「年中行事」


法歳周円は、僧侶としての年齢(僧臘・法臘)に関わる。いわゆる世俗的な年数で数える「世寿」と、出家し、そして安居をした年数で数える「僧臘・法臘」がある(最近では、出家してからの年数になる)が、これは、安居をした年数として数えられ、しかも、両祖さまの時代は冬安居が無かったため、夏安居の終了時に「1歳」、僧臘が加算される。よって、夏安居終了時に法の上での「歳」がめぐり円かになったという意味で「法歳周円」とはいわれる。

解夏の上堂、護生禁足三月なると雖も、法歳周円今日来る。
    『永平広録』巻6-442上堂


以上のように、道元禅師も「法歳周円」という用語を使われる。そして、安居中に禁足するのは、「護生」とある通り、雨季の中で世に増える様々な生き物を履み殺さないためとされる。

また、『瑩山清規』に話を戻すが、衆僧による「自恣の日」とは、夏安居に集まっていた僧侶たちが、遠慮なく自他の罪を申し述べることで、それを徹底的に発露して懺悔するという一種の反省会である。この日を過ぎてから、僧侶たちは安居を解いて、そしてまた師を求め、或いは信者への布教などを行うために行脚した。

更に、この日に先祖供養を行うと大きな功徳があるという教えも出て来た。『盂蘭盆経』には、目連尊者は生母が死後に大きな苦しみに遭っていることを神通力で知るや、それを救済するために、自恣の日に衆僧を供養した。更に特に餓鬼を供養する「施食会」を行って、その功徳によって父母の菩提を弔った。

七月十五日、仏の歓喜の日、僧の自恣の日に於いて、百味飲食を以て盂蘭盆中に安んじ、十方の自恣僧に施す。乞い願うのは便ち、現在父母をして寿命百年に病無く、一切の苦悩の患無く、乃至、七世の父母をして、餓鬼の苦を離れ、天人中に生まれることを得て、福楽極まり無からしむ。
    『仏説盂蘭盆経』


以上の通りだが、この辺がいわゆる「お盆」の原型である。新暦では一ヶ月遅れて8月15日が正しいが、現在でも東京や神奈川の一部、或いは全国の一部で7月にお盆の行事が行われる理由は、この経典の影響が強いわけです。拙僧の寺がある宮城県栗原市では8月15日をもって、お盆に充てており、全国的にはそっちの方が多い。

お盆の行事そのものは、中国では6世紀前半、日本でも7世紀中頃には行われていたとされるため、この経典の影響は古くから存在したことになる。良く、「本来の仏教では、盂蘭盆会はなかった」とかいう人もいるが、既に日本で1400年近くにわたって行われているので、これはこれで日本固有の仏教行事ってことで良いと思う。

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