つらつら日暮らし

「菩薩二十四戒」の話

菩薩が受持すべき菩薩戒については、色々な組み合わせがあるのだが、その中でもかなり変わった内容なのが、以下の一節である。

仏、文殊に告ぐ、若しくは男子・女人、三自帰を受け、若しくは五戒、若しくは十戒、若しくは善信菩薩二十四戒、若しくは沙門二百五十戒、若しくは比丘尼五百戒、若しくは菩薩戒を受け、若しくは是の諸戒を破りて、若しくは能く至心に一たび懺悔するものは、復た我れの説く、薬師瑠璃光仏、終に三悪道中に堕せず、必ず解脱を得ることを聞け。
    『仏説潅頂経』


要するに、破戒をしても、薬師如来に帰依をすれば、三悪道に堕落しないということが説かれている。なお、上記経典と、どういう相互関係にあるのかは当方には判断しようがないが、上記の内容が薬師如来に関するものである時、実は、薬師如来関連の経典との繋がりをこそ、先に見るべきだったのかとも思う。

惟るに当に一心にして仏法僧に帰し、禁戒を受持すべし。若しくは五戒・十戒・菩薩二十四戒・苾芻二百五十戒・苾芻尼五百戒なり。諸戒中に於いて或いは毀犯すること有りて、悪趣に堕すことを怖るる。若しくは能く専念して彼の仏の名号を専念して恭敬供養する者は、必ず定めて三悪趣中に生ぜず。
    義浄訳『薬師琉璃光七仏本願功徳経』巻下


まぁ、同じ内容と見て良い話である。それで、先の『潅頂経』との違いだが、前者には「(善信)菩薩二十四戒」の後、もう一度「菩薩戒」が出てくるが、後者にはないことである。いや、前者で「菩薩戒」として想定しているのが、何かが非常に気になるのだが、何となく思うのは、「三聚浄戒」なのかな、とは思う。

それで、『薬師経』が参照可能になると、中国以東で関連の註釈書などが編まれてくるので、その中に「菩薩二十四戒」についての言及もあるのかな?と思い、調べてみた。

此の中、菩薩四百戒とは、良や如来の物に随いて宜しく広略の説を聞かせるに由るが故に、開合同じからず。方等経に四重二十八軽を説き、瑜伽論に四重四十五軽を説き、梵網経に十重四十八軽を説く、不同有るが故に、然も此の一本宋訳に云わく、二十四戒なり。隋訳に云わく、一百四戒なり。諸もろの梵本、不同有るが故に。
    青丘太賢『本願薬師経古迹』巻下


要するに、こちらでは、如来の元々の説法自体を理由に、菩薩戒の数え方にも種類があることを指摘している。なお、「菩薩四百戒」については、【「菩薩四百戒」について】という記事を書いたことがあって、その時に詳しく検討し、関連する文脈も挙げているので、ご覧いただきたい。

さて、この記事で検討している「二十四戒」なのだが、具体的にその内容を記している文献があったので、見てみたいと思った・・・のだが、内容にかなり人権問題が含まれていることが分かったので、その点にはくれぐれもご注意いただきつつ、閲覧等していただければと思う。

 三に、方等経の二十四戒に依る。謂わく、二種有り。第一に菩薩所受の二十四戒を明かす。
 一には飢餓の衆生、飲食臥具を求むるに与えざれば重を犯す。
 二には婬欲して度すこと無く、禽獣を択ばざれば、重を犯す。
 三には比丘の妻子を畜うること有るを見て、意に随いて過を説く者は、重を犯す。
 四には人の憂愁を見て自ら喪身せんと欲して、己意を以て他への瞋を増し、他の命根を敗る者は、重を犯す。
 五には曠路中の財宝を取る者は、重を犯す。
 六には他の命を害せんと欲するを見て、美言を以て讃え、他をして瞋恚せしむる者は、重を犯す。
 七には他の僧房を焼かんと欲するを見て、心を尽くして諫めざるは、重を犯す。
 八には他の重罪を犯すを、若しくは見、若しくは聞くに、若しくは三たび到喚して、教えて懺悔を作さざれば、重を犯す。
 九には五逆罪を作るを有るを見て、呵して捨てるを勧めざれば、重を犯す。
 十には他の大善事を興さんと欲するを見聞して、更に瞋恚して他を壊さんと起こさば、重を犯す。
 十一には他の耽食耆酒を見れば、当に己情を以て往きて呵すべし。自らの因縁を除けば、重を犯す。
 十二には人の他の婦女の婬するを見て、他の夫に語れば、重を犯す。
 十三には他の怨家を視て、怨家の想を作すものは、重を犯す。
 十四には他の怨家を見て赤子の如くす、何ぞ能く此の人の赤子を如くなると語るを視れば、重を犯す。
 十五には他の聚闘を見て、力を助けて檛打せば、重を犯す。
 十六には他の匿事を伏するを見て、他に向けて説き、他をして大瞋恚ならしめば、重を犯す。
 十七には他の善事を見聞して、都て作さざる者と云うは、重を犯す。
 十八には曠路を行くに、人の塔廟を営み、精舎を営み、而も助けざれば、重を犯す。
 十九には人の善知識を離れて悪友に親近すること有るを見聞して、好と讃えて捨てるを勧めざれば、重を犯す。
 二十には栴陀羅家の悪人の処、悪狗の家、声聞・二乗の人の処に於いて、己事を除いて急に往けば、重を犯す。
 二十一には殺作を疑うを見聞し、疑想を見聞せざるに、此の肉を食えば、重を犯す。
 二十二には殺作を疑うを見聞し、疑殺を見聞せざるに、若しくは此の肉を食せざれば、重を犯す。
 二十三には方便を解して衆生の根を知り、若しくは説かざると謂うは、重を犯す。
 二十四には或いは諸菩薩を見て、及び余の諸見、悉く人に向かいて説かざれば、現身に道法に障り、白癩病を得る。或る時は愚痴、或る時は眚盲、或る時は目眩妄想して諸法を分別すれば、要らず愚痴を得る。
    智儼『華厳経内章門等雑孔目章』巻3「第二地初三聚戒章」


一応、当初の資料の通り訓読してしまったが、正直なところ人権問題に該当する文言が多すぎて、困った印象である(今回の記事は、資料紹介を目的としており、繰り返しになるが閲覧等にはご注意いただきたい)。もしかすると、その分のご指摘があれば、この記事は削除するかもしれない。読者諸賢に於いては、問題があることをご理解いただいた上で、閲覧等していただければと思う。

なお、悩ましいのは、何とか頑張って訓読したこの「菩薩所受の二十四戒」が、薬師系経典のいう戒と一致しているかどうかが分からないということである。ただ、方等経の二十四戒という表記からすれば、「方等経」とは大乗経典全般を指すこともあれば、天台智顗の教相判釈の五時説に於ける「方等時」に説かれた経典の意味もあり、例えば浄土三部経なども「方等時」に入るので、薬師系経典もその通りなのだろう。

何となく、「菩薩二十四戒」という用語が先行して、そこに具体的内容を付記した印象が拭えないが、この内容についても、ちょっと調べた程度では、その辺の文脈と重なるのか、把握出来なかった。よって、それはまた、別の機会としたい。

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