六、ホノルゝの戒会
さうして布哇の巡回を了つて、最後にホノルル市に於て授戒会を勤めました。受戒は皆様の中にもお付きになつて御経験のあらつしゃる片が多数であらうと思ひますが、どうしても随喜僧侶が四十人も五十人も集まらんければ、十分の式を勤めることが出来ぬのを、総体で十五人ばかりで勤めたのであります。一人でもつて三役も四役も兼役をしてやりました。併し何分忙しい土地でありますから、昼は殆ど一寸の隙も無い、夜分でなければ外出も出来ぬといふやうな土地である。然るにも拘らずよく日本人の方々が熱心に授戒に付かれて、自分の仕事を休み、職業を休んでお勤めになるといふやうな事でありまして、さうして三百人ほどの戒弟でありましたが、お寺が狭いからギツシリ一パイ、併し洵に内地に於ても多く見ることの出来ない程の熱心な勤め振りであつて、私について居つた随行の人々も殆ど涙を流して感じたやうな事である。幸にして授戒も成績よく円満に勤まりまして、さうして又弟子になりたいといふやうな人が沢山出来て、かれこれ五六十人ほど得度の式を勤めたやうなことであります。
新井石禅禅師『米国視察談』(青山書院・大正10年)9~10頁、漢字を現在通用のものに改める
本書は、大本山總持寺独住第五世の新井石禅禅師(1865~1927)が大正10年(1921)6月9日から11月3日までの日程でアメリカ合衆国を訪問・視察してきたときの記録である。なお、本書末尾には随行者(記録者は新井石龍老師)による詳細な日鑑も収録されているので、それもご覧いただくと良いと思う。
簡単に述べておくと、合衆国訪問の途中、6月18日にハワイへ寄られた。まずは「曹洞宗別院」に入られたとある。これは、既に建立されていたホノルルの曹洞宗両大本山ハワイ別院正法寺のことである。続いて、ワイパフ布教所(現在のワイパフ大陽寺)やアイエア布教所(現在のアイエア太平寺)で親化されるなど、オアフ島を中心にハワイ島・マウイ島などを約1ヶ月かけて親化されたという。
そして7月15日、ホノルルのモアナホテルで新井禅師御一行の歓迎晩餐会が行われたが、この日集まったのは、現在のホノルル市郡知事(県知事と記載)に相当する人とホノルル市長などであり、宗侶では、別院を開いた磯部峰仙師などだったらしい。食事のコースが終わりにさしかかると、新井禅師は演説を行われ、日本人はとにかく、平和を愛する民族であると主張し、当時のアメリカ社会にあった日本人への差別などが解消されることを願ったという。
また、その後も1ヶ月ほどハワイで親化され、いよいよ8月19日からハワイ別院正法寺での授戒会が始まった。完戒上堂は8月23日で、全5日間の授戒会であった。それが上記のお話しであった。その最中、ハワイにいたらしい姉崎正治博士が新井禅師を訪ねたという。
9月7日にはハワイを出発し、13日にサンフランシスコに入港。ソルトレークまで、恐らくは汽車で移動(モルモン教本山についての話が印象深い)。その後は東に向かって更に汽車で移動し、シカゴやニューヨークなどを訪問された。ニューヨークでは、「自由の塔」を見たと仰っている。いわゆる「自由の女神」のことであろう。9月27日にはフィラデルフィアを通過し、同日中にワシントンDCに入られた。そして、翌28日に「白堊館(ホワイトハウス)」に於いて大統領と謁見されたのであった。当時の合衆国大統領は第21代ハーディング(1921~23年、在職中に病死)である(本書には、大統領との謁見に関する記録も収録されている)。
その後また西に向かい、サンフランシスコで10月17日に乗船された。そして途中にハワイに寄りつつ、11月3日には無事、横浜港にご到着なさったのであった。
それで、先の授戒会である。今も当時も随喜衆は4~50人程度を要するものであったが、当時のハワイでは15人が限界で、一人3~4役を兼ねたとある。しかも300人も戒弟として就いたとあるから、相当に大変だったとは思うのだが、無事に勤められたとあるから、おそらく新井禅師に随行された方々が、かなりの手練れだったことがあるのだろう。
また、新井禅師は各地に於いて弟子になりたいと希望される方には、得度作法を修行された。先に引いた文章でも50人という数字が見えているが、日鑑を見ていくと、各地で数名ずつ弟子にされたとある。よって、合計するとこの時だけで100名近い方が新井禅師の弟子になられたことになる。その扱いが、最終的にどうなったのか?よく分からない。そして、北米での曹洞宗は、第二次世界大戦の最中、当時の合衆国政府が日系移民への差別的扱いを公然と行ったことにより、ほぼ一度絶えてしまったような状況であった。しかし、現地のメンバーと開教師とが手を携えて復興され、その様子は徐々に変化しながらも、現在にまで至るのである。
新井禅師の記録を見ると、どこでも大歓迎されたようで、しかも、1893・1906年に渡米した釈宗演老師の関係者なども、歓迎してくれたようで、当時の北米の一部には、明確に禅ブームと呼ぶべきものがあった様子も示している。
拙僧的には、最初はこの授戒会の記事のみを扱おうと思っていたのだが、日鑑などが非常に興味深い内容であったため、少し拡大して論じてしまった。しかし、かつて斯様に海外へ布教しようとした情熱があったことを忘れないために、必要なことであるとも思った。
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