つらつら日暮らし

「菩薩四百戒」について

菩薩戒の条数を見るために、何となく「四百戒」という語句で検索したら、以下の一節が引っかかったので、検討してみたい。

惟るに当に一心に仏法僧に帰し禁戒を受持すべし。若しくは五戒・十戒・菩薩四百戒・苾芻二百五十戒・苾芻尼五百戒なり。於所受くる所の中に於いて、或いは毀犯有れば悪趣へ堕することを怖れる。若しくは能く専念して彼の仏の名号を恭やしく供養する者は、必定して三悪趣の生を受けず。
    『薬師琉璃光如来本願功徳経』


それで、この内容としては、破戒をしてしまい、罪を得て、更には悪趣への転生が予想されるところ、薬師如来の名号を唱えるなどすれば、それらの結果を得ないという話になっている。気になるのは、この時に用いられた各戒律の条数である。

五戒:在家五戒
十戒:沙弥十戒
苾芻二百五十戒:比丘二百五十戒
苾芻尼五百戒:比丘尼五百戒


以上の点については、他の文献にも見られる条数である。もちろん、比丘尼五百戒はそれとして議論が行われたこともあり、そのための記事も既に書いてはいるが、機会を得てアップしたいところである。問題は、そこではなくて、「菩薩四百戒」である。今回、これが引っかかったので記事にしているのだが、流石に多すぎやしないか?

そう思っていたら、『薬師本願経』への註釈で、そのことを指摘する人がいた。

此の中、菩薩四百戒とは、良く如来の、物に随って宜しく広略の説を聞くに由るが故に開合、同じからず。方等経の説、四重二十八軽なり。瑜伽論、四重四十五軽なり。梵網経の説、十重四十八軽なり。同じからざること有るが故に、然るに此の一本、宋訳に云く、二十四戒なり。隋訳に云く、一百四戒なり。諸もろの梵本は、同じからざること有るが故に。
    太賢『本願薬師経古迹』巻下


『梵網経』なども研究した太賢(8世紀頃の人、新羅国)による註釈では、如来が事象に対応するような様々な説法を行うからこそ、菩薩戒の条数も様々であったとしている。その例として、『方等経(詳細不明)』や、瑜伽戒・梵網戒を挙げている。しかし、重要なのは、『薬師本願経』の訳出時期によって、戒の条数が違うことである。ただし、ここでいう「宋訳」については、当方は分かっていないが、「善信菩薩」の話をしていることになると、以下の一節のことだろうか。

 仏、文殊に告ぐ、若しくは男子・女人、三自帰を受け、若しくは五戒、若しくは十戒、若しくは善信菩薩二十四戒、若しくは沙門二百五十戒、若しくは比丘尼五百戒、若しくは菩薩戒なり。
 若しくは是の諸戒を破り、若しくは能く至心に一たび懺悔すれば、復た我が説く薬師瑠璃光仏のことを聞けば、終に三悪道中に堕せず、必ず解脱を得ん。
    『仏説灌頂抜除過罪生死得度経』巻12


ここで、「善信菩薩二十四戒」と出ているので、このことか?と思うのだが、訳出は東晋の頃という。とはいえ、おそらくはこれを指しているのだろう。ただ、気を付けねばならないのは、その「二十四戒」の後で、更に「菩薩戒」の話が出ていることである。一方で、隋訳は以下の通りである。

或いは五戒を持し、或いは十戒を持し、或いは菩薩一百四戒を持し、或いは復た出家して比丘二百五十戒を受持し、若しくは比丘尼五百戒を受持す。
    達摩笈多訳『仏説薬師如来本願経』


これが、隋代の訳出であり、上記の通り、「一百四戒」としている。つまり、この辺の混乱を、太賢は指示しているのであって、「四百戒」や、その他の表現については、元々の梵本(サンスクリット語原本)に数種類があったとしているのである。とはいえ、実際にその梵本を見ていたわけではあるまい。

そこで、この件について、更に日本でも問題にしたことがあった。

 問う、薬師経に言わく、菩薩四百戒、是れ何等の相なるや。
 答う、遁倫の薬師経疏に云く、
 菩薩四百戒と言うは、
 宋本に云く、善信菩薩二十四戒なり。
 又た云わく、若しくは菩薩戒なり。
 隋本に云く、一百四戒なり。
 義浄の翻経に亦た言わく、菩薩四百戒なり。
 宋本に云う、二十四戒とは善信菩薩経及び呪小呪経の説なり。善信菩薩、是れ在家の女人なり。
 下に云わく、若しくは菩薩戒なり、とは応に是れ出家の菩薩戒なるべきなり。
 唐・隋の二本、不別に之れ明らかならず。謂いつべし、但だ在家戒を明かすか。唐本に云く、四百戒とは、法蔵師の云わく、菩薩戒、十善を以て根本と為す。十善というは、信等の五根、無貪等の三善根、及び慚愧と合して十善と為す。十善、一毎に十を経る。合して百数と為す。此に各おの四有り、一には自持、二には他持、三には讃嘆、四には随喜なり。是の如く即ち四百戒なり。
 隋経に云わく、一百四戒とは、謬書して四字を下に置く故なり。然らば聖教に非ず。未だ実を定めるを知らず、已上の法蔵大師の計して四百相なるを。此の法蔵とは、是れ賢首師なり。応に是れ菩薩毘尼蔵文なるべし。梵網疏中、此の文無きが故に、彼の文総て諸もろの教戒を釈するが故に。梵綱疏中、多く彼を指す故に、未だ知実を定めるを知らずと言うと雖も、且く此を以て行相と為す。余師の釈中、別相無きが故に。
    凝然大徳『律宗綱要』巻上


鎌倉時代の東大寺の学僧・凝然大徳が、遁倫(道倫)の『薬師経疏』の説なども用いながら、上記の通り、「菩薩四百戒」について取り沙汰している。特に、賢首大師法蔵の見解なども用いていつつ、「四百戒」の様相について明かそうとしているのだが、結果として、その内容は他に論拠も無いことなどから、よく分からないとしている。ただし、「行相と為す」とある通りで、十善戒を元に実践することは認めていることになる。

また、「一百四戒」との関係については、「謬書」とある通り、書き間違いだとしている。結局、凝然大徳もかなり悩んだ様子が分かるが、一応の結論を出したということになるのだろう。それに、この問題は、「菩薩戒」の多様性を示すものとして評価しているようにも思われる。各部派が伝えた『律蔵』とは異なる扱いをすべきことに、中国以東の祖師方は気付いていたのだろう。

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