つらつら日暮らし

仏教徒から見たキリスト教「復活祭」について

今日3月31日(日)は、2024年のイースター(復活祭)である。キリスト教に於けるイースターの定義は、我々の暦に密接に関連しており、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」が該当する。いうまでもなく、今年の春分の日は3月20日(金)であり、その後の最初の満月は4月8日(水)であった。よって、イースターはその次の日曜日=今日12日となる。

さて、明治時代に入り、キリスト教の再宣教が行われたが、当時の仏教界は、江戸時代までの状況を引きつつ、神道国教化を目指す日本政府の意向と合して、反耶蘇の立場を取った。そうなると、反耶蘇のテキストが次々と発表されることになるわけだが、今日はその一つから、明治時代の仏教者によるイースター批判を見ておきたい。

元来キリストが死より甦へりて復死なずにある者ならば、此の人間世界に存在して居らねば成らぬ、天に上りてあるとか、神の傍らに在るとか云ふのは理談的の者で、決して現実的の肉体の蘇生したと云ふ証拠には成らぬ、若し此の肉体が蘇生して天に上ぼりしと云はゞ、之に要する機関組織からして仕直さねば出来ぬ訳である、烏すや鳶の様に羽が有て飛ぶ仕組も無くして、容易に空に昇ぼるとか天に昇ぼるとか云ふも、三尺の童子も承知の出来ぬ話しで、全く空談に極まりてある訳じや、若し復活と云ふ事が理談上の話しであらば、ヤソの霊魂は或は天にも生るべし地獄にも行くものと仮り定めて置くも可なれども、ソレさへも貴殿の話しは丸る切り妄誕なる証拠がある、然るに天上でエホバの右に坐して居るとか、左りに坐りて居るとか云ふは益々分らぬ話しであらう、況んやその理談上の霊魂の上天ならば蘇生と云ふべき者では無ひ、蘇生とは此の肉体が一旦死したるに再び息を吹返して元の通り活動して生息する事である、ヤソの復活とか蘇生とか云ふのは全く左様な事実でなくして妄想の夢物語じや、
    揖東正彦『仏耶討論会―内地雑居―』国母社・明治31年、55~56頁


著者の揖東正彦について、ネット上の情報のみでは少し心許ないが、天理教や修験道など、いわゆる宗教学の研究を行っていた人だったようである。そして、本書はその名前の通り、仏教と耶蘇教(キリスト教)の討論を行ったものであり、本書も、反耶蘇的ではあるが、どこか理性的に論じようとする傾向がある。

それで、揖東の指摘であるが、もし本当にキリストが復活したのであれば、その証拠として人間世界に存在していなくてはならないとする。これは、拙僧自身も『新約聖書』を見ながら思うところであるが、復活したイエスは、イエスの弟子の前に姿を現し、そして昇天してしまうことに、ちょっとした違和感を持っていた。つまり、イエスの弟子達で、「復活したことにしよう」と申し合わせたのではないか?ということである。また、意地悪くいえば、キリスト教の信仰とは、「イエスが復活したこと」ではなくて、「イエスを復活したことにしようとした弟子達」への信仰なのではないか?とすら思えるのである。

また、上記一節について見てみると、神の左右に坐しているというのも、誰か見たことなのか?という話をしている。確かに、この辺も後代の者としては、『旧約聖書』に因む記述を鵜呑みにするしかない。しかも、その最初の記述がどのようになされたものか?ということまで思いを回らせると、不可思議な点だけが際立つ。

そして、興味深いのが、「蘇生」の定義づけであり、これは確かに揖東の指摘の方が説得力がある。仏教でも、インド古来の輪廻の思想を受容しているが、イエスの「蘇生」のようにはなっていない。この世界を前提にすることなく、肉体も心も死んで、別の世界に輪廻するのである。

しかも、そんな仏教も江戸時代後期になると、国学者などから、その不合理的世界観を批判されていた。よって、この『仏耶討論会』を見ていると、国学に追われている仏教が、キリスト教に咬みつこうとしているような印象も受ける。それに、各自の信仰なんて、合理的なものばかりではない。それこそ信教の自由であるから、復活したことを信じている人は、今日お祝いすれば良い。

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