ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市藤木・旧仙南村金沢西根を往く(その7、終)

2022年12月10日 | 旧大曲市を往く

<歩いたところのH28年の航空写真>>

●歩いた日:2022年10月16日(日)

●歩いた所

 ・藤木  :丙一本木、谷地、甲板杭、乙板杭、丙板杭、小船場、甲万願寺

 ・金沢西根:下万願寺、中万願寺

●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)

 

(以上及び以下の地図:国土地理院)

 (📷017に写る)大きな木の手前で右に折れ、集落南側の細い道を巡るように進む。細い道からやや広い道に出た角に飲み物の自販機があるので、缶コーヒーでも買おうと思って近寄ってみる。

(「丙一本木」の自販機)

 お金を入れようと投入口に目をやると、隣のレバーにカエルが乗っかっている。だいぶ寒い季節になったので、日当たりのよいこの場所で、体を温めているようだ。お釣りを出すためにこのレバーを押すには、カエルを追い払わなければならない。それも少し可哀そうな気がして、結局飲み物を買うのを諦める。

 集落の南縁の道をさらに東に進み、広い車道に出たところが車を停めた場所である。

 最後に、いつものように歩いたところを航空写真でご覧いただく。まずはH28年の写真。


 
 左上に「丙一本木」と「小船橋」からなる大きな集落が写る。その東側の道脇、「P」が車を停めた位置で、そこから「谷地」、「板杭」、「釜蓋橋」と歩いた。

 「谷地」の、今回歩いた広い道と斜めに交わる細い道は、S51年の航空写真を見ると、今回歩いた道が整備される前の主要な道筋で、当時は黄色線で描いたように、西から北寄りに延びて「丙一本木」に向かっていた。

 そのほかの「谷地」、「板杭」の黄色線も同じくS51年当時の道筋で、現在のように田んぼが区画整理される前は全く異なった道筋であったことが分かる。

 なお、「出川」の右岸(北側)の田んぼを見ると、区画の長辺が「出川」と直角方向(北東から南西方向)になっている。このことに留意しておいてほしい。

 右下に側道橋を備えた「釜蓋橋」、中央に青っぽい屋根の集落会館が写る。

 左上、「下万願寺」の橋のところの黄色線は、「出川」が改修される前のS23年の写真に写る道筋・橋の跡である。

 左上、「小船橋」に、📷017の大きな木立が写る。

 左寄り、「中万願寺」の石祠の位置を覚えておいてほしい。

 次にS51年の写真で、歩いた所の北の部分。

 左上に「丙一本木」と「小船橋」。「P」が車を停めた場所で、ピン色の線が今回歩いた道筋。

 まずこの写真で注目してほしいのは田んぼ。小区画だがきれいに整備されている。しかし、その区画の長辺は南北に統一されている。H28年の田んぼが北東-南西の区画で、長辺が「出川」と直角になっているのとは対照的である。なぜか。

 区画が小さい場合は土地の傾斜による区画ごとの段差が小さいが、区画が大きくなると段差が大きくなる。その段差をできるだけ少なくするためには、区画の短辺と傾斜の方向を一致させることが必要になってくる。この地域は全体的に見ると、「出川」が流れ下る方向、すなわち南東から北西に向かう傾斜になっているので、その方向を短辺にしたと考えられる。あくまで私の推量であるが・・。

 ピンク色の現在の道筋の東側に、その道筋と並行するように田んぼ中にうっすらと線が浮いて見える。S23年の写真と比べると古い水路跡である。

 「出川」の堤防内の河川敷には木がまったく生い茂っていない。改修して間もない時期だとわかる。「下万願寺」付近の河川敷を見ると、橋が新しく架けられる前の道の痕跡と思われる線が見え、このことも改修直後であることを示しているようだ。

 黄色で書き入れた「家無し」、「家」の場所に着目しておいてほしい。

 次にS51年の南の部分。


 
 ピンク色の線は、前の写真と同じく現在の道筋。

 「出川」の改修は下流から順次行われてきて、S51年当時はようやく「釜蓋橋」まで達したことがわかる。

 「釜蓋橋」のところの道筋が下流側にカーブしている。この後の上流部の工事に支障をきたさないように、臨時に付けられた道のようだ。

 最後にS23年の写真をご覧いただく。


 
 右下から左上へ激しく蛇行する「出川」が写る。

 車を停めた場所は、当時は道もない、集落から離れた田んぼ中に当たる。

 「小船橋」の大木がはっきり確認できる。

 S51年の写真で田んぼ中に痕跡があった水路が写っている。所々に木が生えていたようだ。

 「中万願寺」の石祠が確認できる。そのすぐ脇を通っている現在の道筋を黄色線で書き入れた。

 さて、「小船橋」の「出川」沿いに、木立に囲まれた大きな屋敷が確認できる(「⇐家」と記入したところ)。一方、そのすぐ南東の木立が連なるところ、S51年にはひと際大きな家が建っている場所には家が見当たらない(「⇐家無し」と記入したところ)。私の想像だが(調べれば分かるはずだが、想像することが楽しい)、左上の大きな屋敷が「出川」の改修で河川敷に入ってしまったので、すぐ近くに移転したのではないだろうか。

 それにしても、川は自然のままだとこれだけ蛇行するものなのか、と思ってしまう。これではしょっちゅう水害に見舞われていたことだろう。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:555.3km)

 緑線が今回歩いた道筋。

 次回からも引き続き「出川」沿いの地域で、今回のすぐ上流部を歩いた記事を掲載する予定です。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★旧大曲市藤木・旧仙南村金沢... | トップ | ★ブログ地名一覧(旧大曲市)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧大曲市を往く」カテゴリの最新記事