ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧六郷町六郷東根を往く-2(その6、終)

2021年07月04日 | 旧六郷町を往く

<歩いたところのH28年の航空写真>

●歩いた日:2021年5月16日(日)

●歩いた所

 ・六郷東根:南紀の国、上中村、下中村、北明田地、東明田地

 ・金沢(旧仙南村):西明田地

●歩いたログ(足跡)(道のり4.3km)

 
(以上の地図:国土地理院)

 停めてある車のすぐ近くから南西方面を望む。

(「野荒町」方面を望む)


 奥に見えるこんもりした山は、右が「飯詰山」、左が「鞍掛山」のようだ。これらの山を目にするたびに、一面平地のところにどうしてこんな山ができたのだろう、と思ってしまう。

 右手「飯詰山」の手前に赤茶色の大きな建物が見える。「国道13号」沿いに建つ「ヤマダフーズ」の社屋である。

 「ヤマダフーズ」のHPによるとS29年に「金澤納豆製造所」としてスタートしている。「おはよう納豆」がヒット商品となって急成長をとげ、今では、納豆の本場、「茨城」にも工場を持ち、「東京」、「大阪」に営業所を設けるなどして全国に販売網を広げている。

 歩くスピードが遅いので、我が家に着いた時は正午を少し過ぎてしまった。

 最後にいつものように航空写真をご覧いただく。H28年の写真があるので、それから。


 稲が盛んに分げつ(枝分かれ)して葉の数が多くなった時節で、田んぼの緑が美しい。

 上端を東西に「県道12号」が走り、左手の方に「田沢疎水」の幹線用水路が写る。

 県道から南少し入ったところ、左上に車を停めた古い社の木立が見える。歩いた道筋を橙色の線でたどった。この後の古い航空写真と照らし合わせるため、📷01の交差点を印してみた。

 田んぼに中に島のような「明田地」の集落がある。道で正方形に区切られ、正方形の四つの隅に入植者の家・作業舎を建てたようだ。

 青い屋根の「明田地会館」を確認できる。拡大すると、その敷地の道端に「佐藤 章 郷土訪問飛行機発着の地」の石碑が見える。

 中央に「美郷町野球場」、その隣に木立に囲まれたグランドがある。

 今回は立ち寄らなかったが、「旧六郷東根小学校」と、飛行機離発着の障害になるために途中から伐られたという「小西家の松」の位置も印した。

 蛇足ながら、「ライラック」を見つけた場所も印してみた。

 次にS51年の写真。


 H28年と同じ場所を印したが、当時、グランド隣に野球場はない。

 全体を見ると、「明田地」集落の周りの田んぼは区画整理されている一方、県道に近いところにある田んぼはほとんどが未整備である。これは、「明田地」周辺の田んぼがいち早く整備されたというより、戦後、「田沢疎水」が開通した時に整然とした区画で開田されたのに対して、県道に近いところは戦前に拓かれた田んぼで、S51年以降まで区画整理が持ち越されたことによるものであろう。

 「明田地」の集落をみると、H28年と異なって正方形に走る道沿いに多くの木立が写っている。防風林として植えられたものと思われるが、住宅事情などが良くなって次第に伐採されてしまったと思われる。📷08に写っていた道沿いの切り株のところも、鬱蒼と木立が連なっている(「木立」と印したところ)。「佐藤 章」の石碑の両側にも、拡大して見ると木立が写っている。

 「六郷東根小学校」をご覧いただきたい。H28年の校舎とは異なってロの字型になっており、中庭?に大きな木立があることに留意しておいてほしい。

 橙色の線は、田んぼの区画整理が行われた後の、現在の道筋である。

 最後にS23年の写真。


 S51年のところで書いたように、県道に近いところはすでに田んぼが拓かれている。「丸子川」から水を引くことができるからであろう。また、右端、山の麓も田んぼとなっている。これは沢水を利用していると思われるが、水が乏しいことから西側の「明田地」の方までは開田できなかったようだ。

 「田沢疎水」の水路が見えるが、北側と南側はまだ掘削されていない。工事の最中のようだ。

 水路は未整備であるが、「明田地」にはすでに入植者が入っている。周辺は区画されたような線が見えるので、入植当初は畑を作り、水路の完成後に開田されて稲作に移行したことがわかる

 「明田地神明社」はまだ建っていない。

 中央にグランドが見える。しかし、S51年のグランドとは方向が異なり、位置も少し違うようだ。周辺の開田に伴って場所を移して整備されたのだろう。

 「六郷東根小学校」を見ると、コの字型の校舎に挟まれて大きな木立が写っている。明らかにS51年に写る木立と同じ木である。H28年には見えないので、校舎の建て替えによって伐採されたのだろう。古い校舎を知る人にとっては非常に懐かしく感じる木ではないだろうか。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:505.9km)

 右下が今回のログで、緑色にしてみました。

 次回からは、「佐藤 章」の生誕地」である「下菻沢(ガツギザワ)」(旧仙南村金沢西根)とその近辺を歩いた記事を掲載していく予定です。


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