皆様こんにちは。相模原市緑区「洋品・呉服・寝具の(資)奈良呉服店」の
相模原・津久井情報・お元気ブログです。
天明8年(1788)、今から232年前のお話です。
川和縞の歴史をひもときますと、江戸時代の天明の頃、中野村に住む成瀬もと
さんが、たて糸に生糸を使い、横糸に玉糸(真綿をつむいだもの)を使って
新しい織物が創作され、これが川和縞の始まりといわれています。
時が流れ明治の終わり頃(明治40年頃)になると、この織物を大阪大丸が
日本全国に販売することになり、ついに「川和縞」は日本中にその名が知れ渡った
ようです。
(この時代、津久井では養蚕で生計を立てる家も多くあり、この織物を織って
物々交換をする定期市も開かれ、たいへん賑わったようです。)
ではまた。
☆津久井で始まった川和縞は日本全国で大評判となり、相模原、八王子あたりでも織られたようです。
相模原・津久井情報・お元気ブログです。
天明8年(1788)、今から232年前のお話です。
川和縞の歴史をひもときますと、江戸時代の天明の頃、中野村に住む成瀬もと
さんが、たて糸に生糸を使い、横糸に玉糸(真綿をつむいだもの)を使って
新しい織物が創作され、これが川和縞の始まりといわれています。
時が流れ明治の終わり頃(明治40年頃)になると、この織物を大阪大丸が
日本全国に販売することになり、ついに「川和縞」は日本中にその名が知れ渡った
ようです。
(この時代、津久井では養蚕で生計を立てる家も多くあり、この織物を織って
物々交換をする定期市も開かれ、たいへん賑わったようです。)
ではまた。
☆津久井で始まった川和縞は日本全国で大評判となり、相模原、八王子あたりでも織られたようです。
《ブログ執筆・運営ポリシー》☆ 皆様にとってお役に立つ情報を発信致します。
☆ 地元地域の活性化、皆様と共に発展する思いで執筆します。
☆ お客様など守秘義務のある特定情報は執筆しません。