皆様こんにちは。相模原市緑区「洋品・呉服・寝具の(資)奈良呉服店」の
津久井情報・お元気ブログです。
先月行われた藤野ぐるっと陶器市の帰り道、津久井の歴史に名を残した人物の
一人である土兵治の生家前を通りましたので、写真に収めてきました。
江戸時代の天明年間(1781~1789)は、江戸幕府第10代将軍・徳川家治
~11代将軍・家斉の時代であり、日本史上に残るような、未曾有の飢饉に襲われ
ました。
特に天明3年からは浅間山の大噴火も起こり関東地方全体に大量の火山灰が降り、
大飢饉となりました。
当時の旧津久井郡を中心として起きた百姓一揆「土平治騒動」もまさにこの時期で
す。当時、津久井の農業は生産力が弱く、農民は林業や養蚕で生計を立て、米や穀類
等は購入していたようです。そして5年に渡る飢饉が続きましたので、食料は底をつき、
草の根や松の皮まで食べて、生活をつないだといわれています。
その一方で造り酒屋は米を買占め酒を造り大きな利益をあげ、農民達には高利で
貸付を行い、暴利をむさぼっていました。
こうした農民達の窮状を見かねた旧津久井郡・牧野村の土平治は、旧津久井郡・
青野原村・上原の利左衛門や青野原村・長野の伴蔵と話し合い、郡内の酒屋や高利貸し
を襲い、買い占めた米や借金の証文等を奪い取ったといわれています。
その後、三人は死罪となりましたが、土平治は処刑の前に病死したということです。
※1988年から1997年にかけて串川商和会青年部から発行された地域情報誌「はなしのおこじゅ」
より抜粋しました。
ではまた。
☆現在、相模原市緑区篠原に残る、土平治の生家です。
津久井情報・お元気ブログです。
先月行われた藤野ぐるっと陶器市の帰り道、津久井の歴史に名を残した人物の
一人である土兵治の生家前を通りましたので、写真に収めてきました。
江戸時代の天明年間(1781~1789)は、江戸幕府第10代将軍・徳川家治
~11代将軍・家斉の時代であり、日本史上に残るような、未曾有の飢饉に襲われ
ました。
特に天明3年からは浅間山の大噴火も起こり関東地方全体に大量の火山灰が降り、
大飢饉となりました。
当時の旧津久井郡を中心として起きた百姓一揆「土平治騒動」もまさにこの時期で
す。当時、津久井の農業は生産力が弱く、農民は林業や養蚕で生計を立て、米や穀類
等は購入していたようです。そして5年に渡る飢饉が続きましたので、食料は底をつき、
草の根や松の皮まで食べて、生活をつないだといわれています。
その一方で造り酒屋は米を買占め酒を造り大きな利益をあげ、農民達には高利で
貸付を行い、暴利をむさぼっていました。
こうした農民達の窮状を見かねた旧津久井郡・牧野村の土平治は、旧津久井郡・
青野原村・上原の利左衛門や青野原村・長野の伴蔵と話し合い、郡内の酒屋や高利貸し
を襲い、買い占めた米や借金の証文等を奪い取ったといわれています。
その後、三人は死罪となりましたが、土平治は処刑の前に病死したということです。
※1988年から1997年にかけて串川商和会青年部から発行された地域情報誌「はなしのおこじゅ」
より抜粋しました。
ではまた。
☆現在、相模原市緑区篠原に残る、土平治の生家です。
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