◆左の写真はクリックで拡大します。
先回、新潟県長岡市の繁華街、殿町の話
を少ししたけど、ここは、現在、殆どと言っていい程、キャバクラ街と化している。
その昔、越後長岡藩の時代は、この繁華街に河井継之助(かわいつぐのすけ)が
日々通い詰めたんだろうな。
相当の女好き、酒好きだったらしいから。
派手にドンチャン騒ぎしてたらしいよ。
つまり、その辺はオンオフを弁えていたのさ。
何かいいよね。
歴史に名を残す人って、得てして人生が豪快で、破天荒なんだよ。
●越後長岡藩軍事総督
河井継之助に関する映像 ご覧下さい
★林修先生・敬愛◆ラスト侍!河井継之助の墓 (新潟県長岡市)⇓
*河井継之助の墓。自分も物心ついた頃から時々、河井総督の墓に参っている。実家から近いし
★女優【杏】が敬愛?ラスト侍 「河井継之助」 長岡市⇓
*長岡市殿町繁華街。キャバクラがひしめく通りの一つ
殿町がキャバクラ化していくのは、キャバクラ好きな俺からしてみると、別に
それならそれでいいと思ってる。
何でかと言うと、色々と店が選べるし、スゲエ綺麗なねえちゃんもいっぱいいるから、選り取り見取りだもんね。(もしかしたら最近はやりの整形したみたいなメイクってやつかもだ
けど)
料金もリーズナブルだしね。
そういや、調子に乗ってボッタくられたこともあっけど。
地元にいてこんな贅沢、他じゃちょっとやそっとできないと思う。
有難い限りっすよ。
河井継之助も今居たら日々嵌まってたと思うよ。
おみしゃん最高!ってね。
これはこれでいいんだけど、キャバクラ以外の殿町の他店が、ちょっと古臭く
て行く気がしないんだよね。
昔ながらの個性や拘りを持った老舗ならともかく、如何にもセンスなさそうな中途半端なスナッ
クとか居酒屋とかさ、店舗からして時代錯誤で駄目なんだよ。行く訳ねえだろう。
金払いたくねえよあんなじゃ。
そんで、提案だけど、キャバ嬢とそのお客をターゲットにした気の効いた洗練されたというか、おしゃれな飲食店等を殿町界隈にどんどん作れないものかね。
同伴やアフターにうってつけの店ですよ。
ほんで、明け方までやってくれるみたいなね。
カフェ、レストラン、ダイニングバー、鮨店、ファストフード店、サウナ、スーパー銭湯、ライ
ブハウス、クラブ、エンターテイメント施設等。
お客がキャバ嬢を連れて近くで楽しめる訳じゃない。
そういう遊びが全く無いんだよ。
終わったら、さっさと帰すだけ。アホらしい。
芸が無さ過ぎってもんだろ。
その辺を花の町・殿町繁華街は考えていくべきだということ。
分かったのかよ!!
それとね、お客ってもんは如何に気持ちよく飲ませてくれて、気持ち良く帰らせてくれるかとか、愛想なくても他にはない強烈なある魅力を持っているとかで店を決めるんだよ。
お金を使ってみようかなと思う訳さ。
誰が嫌な店に金を使うかってこと。
例えば、JR長岡駅前(西口)の「酒小屋」の名前を書いたけど、正にあそこは後者。
強烈な風変りのご主人が作るどばっと盛り付けられた最高に旨いとろけるモツ煮の虜になる。
それと、なみなみと溢れて注がれるコップ酒。
これがまたいい。
ビールは瓶ビールのみってのも何かいいのかもね。
*JR長岡駅前(西口)にある「酒小屋」
店内は昔のままで、木のカウンターと木の椅子。
この椅子が年季のせいか全部傾いていて座り心地が非常に悪い。
これも別な意味で許される。いいんだこれで。
夏でもクーラーはなく、ボロい扇風機が一台回って、後は入口の扉や朽ちた簾、破れた障子窓が
開けられてて、外の風を入れるだけ。
開店時間は、大体午後の3時前後か。
この時間に開くってのもある意味スゲエもんだ。
前を通りかかると、暖簾の下から飲兵衛の親父、じさまたちの足元が垣間見れる。
これが、いつも開店と同時に満員。
そして、モツ煮が全て売り切れてしまうと同時にピタリと閉店となる。
だから、夕方の6時前後にはもうやってないのだ。
何じゃそりゃ、みたいな。
これがこだわりと言うもんだ。
有無も言わさず止めるという。
それ以上無理をしない。儲けない。
ここで飲むなら、仕事帰りの一杯とか、一次会前のあおり酒として、または、待ち合わせついで
とかが適してると思う。
どう、若い女性陣もちょっと唾ごくりとなった人がいんじゃない。
それならぜし、行ってあげてちょんまげ。
こういう店もいいもんだよお。通になってちょうだいよね。
話に聞くと、県外のファンの方も多いらしいですよ。
よく、内の親父が言ってるけど、昔は仕事の上がり酒を長岡市の中心街に立ち寄っては引っ掛け
るのが最高の楽しみだったとか。
その頃は車の無い時代。
皆歩きだから、帰りがけに多くの労働者が引っ掛けていたのである。
中には、普通の酒屋に入って、立ち飲みで必ずコップ酒を飲んでいく者も大勢いたそうだ。
つまみはその店で売ってる乾き物か缶詰ぐらい。
塩を舐めるとか、指をしゃぶるだけでいいという兵もいたそうだ。
そんな訳で昔の人は酒豪がとても多かった。
御多分に漏れず内の祖父さんもね。
何か男らしい。
長岡市の中心街に近い実家の近所にある酒屋とか大衆食堂もそのお陰で大流行りだったようだ。
今は寂れてしまったが。
自分も幼い頃にうっすらそういう記憶がある。
そういう時代もいいなあ。
確かに大酒飲んで体壊しそうだけどね。
たぶん、皆、大酒飲みのせいで、無理が祟って、昔の人は早死にしたがあろうと、内の親父が語
ってた。そうかもしんない。
健康診断何かろくすっぽ無かったようだからね。
当然て言えば当然のがあて。
そんで、酔っ払ったら国道の真ん中でよく寝てたてがってさ。
そんだけ車がまだ走って無かったということ。
のどかな時代。
俺もさすがに道路じゃ無いけど、酔っ払うと今でも空き地とか土手の細道とかで平気でバタンと
なって寝てっけどね。
大酒飲みのじさまの血い引いてがあて。
ヌー パカー!
平成25年7月16日
先回、新潟県長岡市の繁華街、殿町の話
を少ししたけど、ここは、現在、殆どと言っていい程、キャバクラ街と化している。
その昔、越後長岡藩の時代は、この繁華街に河井継之助(かわいつぐのすけ)が
日々通い詰めたんだろうな。
相当の女好き、酒好きだったらしいから。
派手にドンチャン騒ぎしてたらしいよ。
つまり、その辺はオンオフを弁えていたのさ。
何かいいよね。
歴史に名を残す人って、得てして人生が豪快で、破天荒なんだよ。
●越後長岡藩軍事総督
河井継之助に関する映像 ご覧下さい
★林修先生・敬愛◆ラスト侍!河井継之助の墓 (新潟県長岡市)⇓
*河井継之助の墓。自分も物心ついた頃から時々、河井総督の墓に参っている。実家から近いし
★女優【杏】が敬愛?ラスト侍 「河井継之助」 長岡市⇓
*長岡市殿町繁華街。キャバクラがひしめく通りの一つ
殿町がキャバクラ化していくのは、キャバクラ好きな俺からしてみると、別に
それならそれでいいと思ってる。
何でかと言うと、色々と店が選べるし、スゲエ綺麗なねえちゃんもいっぱいいるから、選り取り見取りだもんね。(もしかしたら最近はやりの整形したみたいなメイクってやつかもだ
けど)
料金もリーズナブルだしね。
そういや、調子に乗ってボッタくられたこともあっけど。
地元にいてこんな贅沢、他じゃちょっとやそっとできないと思う。
有難い限りっすよ。
河井継之助も今居たら日々嵌まってたと思うよ。
おみしゃん最高!ってね。
これはこれでいいんだけど、キャバクラ以外の殿町の他店が、ちょっと古臭く
て行く気がしないんだよね。
昔ながらの個性や拘りを持った老舗ならともかく、如何にもセンスなさそうな中途半端なスナッ
クとか居酒屋とかさ、店舗からして時代錯誤で駄目なんだよ。行く訳ねえだろう。
金払いたくねえよあんなじゃ。
そんで、提案だけど、キャバ嬢とそのお客をターゲットにした気の効いた洗練されたというか、おしゃれな飲食店等を殿町界隈にどんどん作れないものかね。
同伴やアフターにうってつけの店ですよ。
ほんで、明け方までやってくれるみたいなね。
カフェ、レストラン、ダイニングバー、鮨店、ファストフード店、サウナ、スーパー銭湯、ライ
ブハウス、クラブ、エンターテイメント施設等。
お客がキャバ嬢を連れて近くで楽しめる訳じゃない。
そういう遊びが全く無いんだよ。
終わったら、さっさと帰すだけ。アホらしい。
芸が無さ過ぎってもんだろ。
その辺を花の町・殿町繁華街は考えていくべきだということ。
分かったのかよ!!
それとね、お客ってもんは如何に気持ちよく飲ませてくれて、気持ち良く帰らせてくれるかとか、愛想なくても他にはない強烈なある魅力を持っているとかで店を決めるんだよ。
お金を使ってみようかなと思う訳さ。
誰が嫌な店に金を使うかってこと。
例えば、JR長岡駅前(西口)の「酒小屋」の名前を書いたけど、正にあそこは後者。
強烈な風変りのご主人が作るどばっと盛り付けられた最高に旨いとろけるモツ煮の虜になる。
それと、なみなみと溢れて注がれるコップ酒。
これがまたいい。
ビールは瓶ビールのみってのも何かいいのかもね。
*JR長岡駅前(西口)にある「酒小屋」
店内は昔のままで、木のカウンターと木の椅子。
この椅子が年季のせいか全部傾いていて座り心地が非常に悪い。
これも別な意味で許される。いいんだこれで。
夏でもクーラーはなく、ボロい扇風機が一台回って、後は入口の扉や朽ちた簾、破れた障子窓が
開けられてて、外の風を入れるだけ。
開店時間は、大体午後の3時前後か。
この時間に開くってのもある意味スゲエもんだ。
前を通りかかると、暖簾の下から飲兵衛の親父、じさまたちの足元が垣間見れる。
これが、いつも開店と同時に満員。
そして、モツ煮が全て売り切れてしまうと同時にピタリと閉店となる。
だから、夕方の6時前後にはもうやってないのだ。
何じゃそりゃ、みたいな。
これがこだわりと言うもんだ。
有無も言わさず止めるという。
それ以上無理をしない。儲けない。
ここで飲むなら、仕事帰りの一杯とか、一次会前のあおり酒として、または、待ち合わせついで
とかが適してると思う。
どう、若い女性陣もちょっと唾ごくりとなった人がいんじゃない。
それならぜし、行ってあげてちょんまげ。
こういう店もいいもんだよお。通になってちょうだいよね。
話に聞くと、県外のファンの方も多いらしいですよ。
よく、内の親父が言ってるけど、昔は仕事の上がり酒を長岡市の中心街に立ち寄っては引っ掛け
るのが最高の楽しみだったとか。
その頃は車の無い時代。
皆歩きだから、帰りがけに多くの労働者が引っ掛けていたのである。
中には、普通の酒屋に入って、立ち飲みで必ずコップ酒を飲んでいく者も大勢いたそうだ。
つまみはその店で売ってる乾き物か缶詰ぐらい。
塩を舐めるとか、指をしゃぶるだけでいいという兵もいたそうだ。
そんな訳で昔の人は酒豪がとても多かった。
御多分に漏れず内の祖父さんもね。
何か男らしい。
長岡市の中心街に近い実家の近所にある酒屋とか大衆食堂もそのお陰で大流行りだったようだ。
今は寂れてしまったが。
自分も幼い頃にうっすらそういう記憶がある。
そういう時代もいいなあ。
確かに大酒飲んで体壊しそうだけどね。
たぶん、皆、大酒飲みのせいで、無理が祟って、昔の人は早死にしたがあろうと、内の親父が語
ってた。そうかもしんない。
健康診断何かろくすっぽ無かったようだからね。
当然て言えば当然のがあて。
そんで、酔っ払ったら国道の真ん中でよく寝てたてがってさ。
そんだけ車がまだ走って無かったということ。
のどかな時代。
俺もさすがに道路じゃ無いけど、酔っ払うと今でも空き地とか土手の細道とかで平気でバタンと
なって寝てっけどね。
大酒飲みのじさまの血い引いてがあて。
ヌー パカー!
平成25年7月16日