第18代天台座主、慈恵大師良源には『今昔物語』はじめ数々の霊験や説話が残っていて、降魔大師、角大師、豆大師などの異名をもちます。
また、元三大師さまは「おみくじ」の原型を考案した人でもあります・・・
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明智秀満(あけち ひでみつ、1536年(天文5年)? - 1582年7月4日(天正10年6月15日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将で、織田氏家臣の明智光秀の五重臣のひとり。明智左馬助湖上渡りの話は有名・・・・
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稲葉福…夫は小早川家の筆頭家老稲葉正成、父は明智光秀の五重臣のひとり斉藤利三で、血筋や出自に問題なく、公家の三条西家に行儀見習いに上がり知識・教養・礼儀作法は一流にして短歌、茶道、舞いに秀でる… . . . 本文を読む
戦国時代、摂津有岡(伊丹)城の城主荒木村重は、あろうことか妻子一族郎党を見捨て一人遁走し、残された一族が残らず処刑された六条河原は、酸鼻に包まれたと伝えられます。しかし、彼の武勇を誰よりも認める信長を裏切る理由は奈辺にあったのでしょうか… . . . 本文を読む
歴史にその悪名を轟かせるかせる松永久秀はまた、領国に善政を敷いたとされています…計-情をよくしのぐ-弱肉強食、戦国の梟雄は常に穏忍と政略に終始せざるを得ませんでした。中国の歴史は、権力の座にある者は、「情は何の意味もなさない」ことを教えます。官名の弾正忠とは、現在の検察(検事長クラス)といわれ、中国では霜台といわれたことから、霜台という場合もあります… . . . 本文を読む
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)
西行は、この歌を生前に詠み、その歌のとおり、陰暦二月十六日、釈尊涅槃の日に弘川寺で入寂したといわれています。行年七十三。
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中世以前の社会には、山伏はじめ加持祈祷により邪を祓う密教僧・式神を飛ばして魑魅魍魎を退治する陰陽師などの呪術師たちが日常的に活躍していました。そればかりか歌人は和歌を詠むことによって荒ぶる地霊を鎮め、相撲人は四股を踏んで邪気を祓い、芸人は歌舞音曲により怨霊を鎮めるという隠れた役割を持っていたのです。 . . . 本文を読む
「埋もれ木の 花咲くことも無かりしに 実のなる果ては あわれなりけり」・・・能『頼政』は、世阿弥の三修羅といわれる修羅能の傑作。平家との戦いに敗れ、二人のわが子を失った源三位頼政は、奈良へと落ち延びていくおりに平等院で追手を受けます。老武者頼政は、埋もれ木の…の辞世とともに切腹して果て… . . . 本文を読む
『吹く風をなこその関と思へども 道もせに散る山桜かな』・・・白河法皇をして「天下第一武勇の士」といわしめた八幡太郎義家は、戦で失われるかけがえのない命を尊び、この歌に戦のない世の到来の思いをこめました。 . . . 本文を読む
哀しくもロマン漂う南北朝時代・・・嘉吉の乱で滅ぼされた赤松家の残党が、北朝方や将軍家が血まなこになって探していた神璽を南朝から奪うため、自天王の首を取り神璽を手に入れました。それを知った弓の達人大西助五郎ら地元の郷士は、郎党を迎え撃つことに・・・
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今回も、南朝方に縁のある人物に纏わるお話をお届けします。南北朝時代の武将楠木正成は、金剛山一帯(大阪・千早赤阪)を本拠地とした楠木一族の出で、地元特産の水銀を売って経済的に力を蓄えた新興の土豪(地方豪族)の棟梁でした。河内地方の商業や輸送の利権をめぐって、これを独占しようとする幕府側と対立関係にあった楠木一族は、1331年、幕府打倒を目指して京都で挙兵した後醍醐天皇と利害が一致、合力することとな . . . 本文を読む
今回は、少し時代を遡り、南北朝時代に南朝方として親子で活躍した「北畠親房」に纏わるお話です。ご存知『神皇正統記』の作者(歴史の教科書に載っていましたね)として知られる北畠親房ですが、大阪市阿倍野区にある阿倍野神社に子の顕家とともに祀られています。また、阪堺電気軌道・上町線には「北畠」なる駅があり、付近には陰陽師の安倍清明で有名な「安倍晴明神社」もあります。北畠家は村上源氏中院家から分かれた名門で . . . 本文を読む
今回は、前回のブログと「天王寺」つながり・・・ということで、信長の戦歴の中でも、桶狭間に匹敵するといわれる大難戦、石山本願寺との間で繰り広げられた天王寺砦における攻防のお話です。天正四年五月、織田勢は三好康長と根来衆・和泉衆、原田直政率いる大和衆・山城衆という陣容をもって、本願寺勢の守る木津へ攻め寄せました。ときに本願寺勢の闘志凄まじく、一万もの一揆勢が織田勢を逆に押し囲んで数千挺の鉄砲をもって . . . 本文を読む
慶長20年(1615)5月7日、大阪・天王寺は夏の陣最大の野戦決戦の舞台と化しました。茶臼山(現在の天王寺動物園近辺)には、東軍・徳川家康の本陣、対する茶臼山北方(現在安居神社のある小高い丘一帯)には、真田幸村(本名信繁、武田信玄の配下であった幸村の父真田昌幸が、川中島で戦死した信玄の弟信繁から名をとる)をはじめ、毛利勝永(大坂城五人衆)、大野治長(豊臣家の家臣(一万五千石の領主))ら歴戦の武将 . . . 本文を読む
前回は、大阪府堺市の南宋寺にある、徳川家康の墓とその寺伝についてお話しました。今回は、番外編として、歴史の教科書には出てこない家康に纏わる興味のあるお話をいたします。前編でも触れましたように、家康という偉大な人物の出自については諸説あるようです。なかでも、明治35年に刊行された(その後明治政府某筋の圧力により廃刊)『史疑』(民友社)の著者村岡素一郎氏によりますと、「幼にして今川家の質子となって辛 . . . 本文を読む