障がいのある子どもと大人の支援 ~分かり合えると問題解決の道が見えてくる~

このブログは、障害児・者の心を大切にした対人援助技術「心のケア」を学び実践しているメンバーが集まり投稿しています。

見せかけの行動と中身のギャップ ~心のケア紹介4~

2023-08-28 21:03:07 | 日記

NPO法人Cheriの永井由希です。

 

心のケアが目指すものは「心のつながり」ですという説明を以前しました。

 

「心のつながり」を持つ。

簡単そうですが、実は結構難しいんです。

 

なぜかというと、障害を持つ人の行動と心の中がまるで違うときがあるんです。

 

その心の中とまるで違う行動を私たちは

「見せかけの行動」と呼んでいます。

その「見せかけの行動」が

さも、その人の今の気持ちのように見えてしまうことがあります。

それが障害を持つ人と、親や支援者との「心のつながり」を阻害するときがあります。

 

            

障がいを持つ成人のAさんのお話ですが、Aさんは、よくものを投げてしまうことがあります。
大きな物音を聞いたり、イライラしたり、緊張すると
そばにあるものを投げたり、蹴ったりしてしまいます。

私たちは、Aさんは怖い気持ちになった時、
物を投げて気持ちを発散する技を身に着けてしまったんだね…
彼はそれですっきりすんだ。
困った問題行動だね…
と感じていました。

ですが、心のケアのセッション(カウンセリング)で彼の心を聞いていくと、
私たちの考えとは少し違っていました。


彼は、『本当は、ものなんか投げたくない。皆を困らせたいんじゃないのに、困ったとき、勝手に体が動いてしまう。どうか、僕を止めてください』と伝えてきました。

Aさんは、見かけは「物を投げることで発散している」ように見えますが、
実は、「こんなことやりたくない、誰か助けて」
と思ってたんですね。

 

            


障がいを持つ人は、時に、このように、心で思っていることと、全く別の行動をとってしまうことがあります。
それはとても不自由なことで、
そのとってしまった行動でまた自分を責めてしまい、
どんどん自己否定(自分はダメだ・・自分なんて生まれてこなきゃよ方・・と思うこと)が強くなっていきます。

さらにその感情がゆえに、人とのつながりをおそれ、ますます一人で何とか頑張らないとという状況になっていきます。

Aさんはその不自由な体で、みんなに誤解されながら、
ずっと生きてきたんだなと思うと、
切なくなります。

 

心のケアでは、「見せかけの姿」と中身のギャップを埋めていく支援を行っていきます。

 

 

                

その心のケアを知るチャンスがあります。

支援者向け

障害児者支援セミナー

10月21日(土曜日) 東大阪市商工会議所

 

障害児者親子向け

心のケアセッション(カウンセリング)無料体験

 10月21日、22日のどちらか。

 ※セッションはホルダー(支援者)の勉強を兼ねています。

 勉強のため、ビデオ撮影をさせていただきます。

 

心のケアを知りたい方はこちらをご覧ください

 サポート優&遊

 日本抱っこ法協会

 


気持ちに寄り添う

2023-05-29 22:48:48 | 日記

こんばんは

まきこっこです。

本当にひさしぶりの投稿です。

 

今日の送迎の送りの時のことです。

20代の男性で感情のコントロールがうまくできない方がいます。薬の影響でろれつが回らない感じはありますが、言葉でのやり取りは十分できる方です。うれしくなると度を超してはしゃいでしまい、相手に不快な思いをさせてしまいます。それを伝えると「僕って悪い子ですか?」と聞き続けて、職員がどのように返答しても受け入れてもらえず最後には暴力になってしまいます。また、否定的な言葉をかけられた時も、同様のことが起こります。その暴れ方は相当なものなので器物破損を伴うことが多いです。普段はお母さまの職場が近くなので、送迎はお母さまなのですが、ショートステイに入る時だけ事業所の送迎を利用します。そのスイッチがどこにあるのかわからず、突然に怒り出すこともあるので彼の送迎は運転手だけでなく添乗もつけることになっています。

今日の送りは私が添乗でした。

ハイエースに5名の他の方も乗せ、出発して5分後くらいでしょうか。一番後ろの席に座っていた彼の怒鳴り声と窓を叩く音が聞こえました。私は前の席に座っていた女性の隣に座っていましたが(彼女も本日ちょっと心が揺れることがあり他害してしまっていたのでそのケアをしていました)すぐ後ろの席に向かいました。窓を叩き続け、自分の帽子や荷物を投げ「○○(運転している男性職員の名前)のばかやろう!うるせえんだよ!」と叫んでいました。怒りの対象が私ではないことを確認できたので、きっと乗車時に男性職員とのやり取りで何かあったのだろうな、と予測し、彼の隣まで行き視線を合わせました。私が近くに来ると窓を叩くのをやめ一瞬静かになったので「隣に座ってもいいですか?」と聞くと返答はありませんでしたが、拒否する言葉もなくぶつぶつと男性職員への暴言を続ける様子でしたので「座らせてもらいますね」と言って隣に座りました。斜め前に座っていた男性が彼の投げた帽子と荷物を拾って渡してくれたので、お礼を言って受け取り彼に渡すと黙って受け取りました。その後しばしの沈黙があり「まきこっこさん。ごめんね」と小さな声で私に謝りました。「いいですよ。だって嫌なことがあったんでしょう?」というと「そうなんです」といい、またしばらくの沈黙がありました。男性職員は路肩の広い場所に車を停め、後ろを振り返りました。頓服の服用を考えていたようなので、「大丈夫です」と声をかけました。前の席に座っていた女性が「まきこっこさん!CDプレイヤー買ってもらったの!」と突然話しかけてきました。「それはよかったね。好きな音楽聞けるね。ヒルクライムとか西野カナとか?」と私が答えると、彼が「ワンピースとか」と話しに入ってきました。彼女がワンピースのアニメが大好きなのを知っていたようです。アニメの話で他の利用者さんともしばらく会話を楽しみました。最初に降りる方の家に着き、男性職員が車を停めたタイミングで「〇〇さん。ごめんなさい」と彼は小さな声で言いました。男性職員に向けて言ったようですが聞こえなかったようですぐに降りて行ってしまいました。「残念。聞こえなかったみたいだね」せっかく勇気を出して言葉にしたのに、がっかりしないように現状を解説しました。再度男性職員が車に乗り込んだ時に、先ほどと同じくらいの声量で「○○さん」と呼びかけました。男性職員がこれも聞こえなかったのか、反応しないようにしているのかわかりませんが一向に振り向いてくれないので、彼に「ちょっとお手伝いしようか?」と聞くと「はい」と返事があったので、大きな声で「○○さん!彼がお話があるって!」と言いました。さすがに知らん顔できない男性職員が振り向くと「○○さん、ひどいことをいってごめんなさい」と謝りました。男性職員は「別にいいですよ。ショートにいったら先にご飯たべるの?それともお風呂がさきなの?」と仲直りより先に話をそらす方を優先するかのような返事で、私としては(せっかく勇気出して謝っているんだから、ちゃんと答えてくれ~!)とちょっと不服でしたが、謝れたことで彼が少しほっとした様子だったのでよしとしました。そして笑顔でショートステイ先に向かうことができました。

彼はいつも自分の感情に振り回され、やってしまったことに後悔しています。でも自分の何がいけなかったのか理解することが難しく、ただ謝罪をもとめられたり叱られたりすることが続き、余計に混乱して怒りを爆発させてしまうように感じていました。なので今回は何があったのか、特に掘り下げて聴くこともせず、ただ彼の思いにだけ寄り添うようにし、心も体も隣にいるように心がけました。気持ちが落ち着けば、ちゃんと自ら謝罪のできる素晴らしい彼をもっと信用しお付き合いしていけるようになりたいなと思いました。

 


人間はみんな、よりよく生きたいと願っている

2022-11-08 23:04:28 | 日記

こんばんは。

まきこっこです。

ちょっと独り言言わせてください。

 

日ごろ支援をしていて

どうしても他の支援員さんに、利用者さんの気持ちがうまく伝わらないなあと思うことがあります。

そう感じることの根っこには

「人間はみんな、一人残らずよりよく生きたいと願っている」

ということを、私がうまく伝えられないところにあるように感じられます。

どんな言動をしていても、その奥には、本当はもっとよりよく生きたいんだという思いがあるのだということ。

利用者さんに限らず、人はすべて、本来はそうだと思うのです。

やけっぱちになっていても。鬱になっていたとしても。理不尽を突き付けるクレイマーになっていても。

アルコール中毒になっていても、弱いものを虐待してしまっていても。

その言動の奥には、そうしてなければいられないほどの思いがあって。

そこまでしなくては自分を守れなくなってしまった事情があって。

本当なら。できることなら。愛し愛されて安心して生きていきたいと、人の役に立って、認められて、生きていきたいと思わない人はいないのではないかと思うのです。

 

悪いことをしている人は悪い人。

悪い人は悪人なんだから、善く生きようなんて思っているはずない。

そう決めつけてしまうと、その人の人間としてのすべてを否定してしまう感じがします。

 

人の価値観はそれぞれなのだと思うのですが、コミュニケーションに障害を持っている人を支援しようとする私たちは、「いい人」「悪い人」という考え方を無くしていくことが必要なことように感じます。

一人ひとりを大切な人として、尊重して関わっていくために、まずは人間そのものの存在を大切なものとして尊重する。

そうして初めて「心」をケアすることの意味と大切さにつながっていくのではないかと思うのです。

 

なあんて。

満月でしかも皆既月食の夜だからか、ちょっと感じたことを書いてみました。日記だから許してください。

まずは、自分を大切にしましょう。

私も早く寝て、明日もお仕事頑張ります!

 

 


ストレスを小出しにする、ということについて

2022-09-27 18:26:03 | 日記

こんばんは

まきこっこです。

研修の中で「ストレスを小出しにする」ということについて考える機会がありました。

日ごろ私がしている支援の中で、それにあたることはどれだろう、と考えたときに思い浮かんだことを書いてみます。

 

利用者さんたちは、普段伝えられない思いがたくさん降り積もるとパニックという形で出てしまうと思います。

私は普段のやり取りの中で、相手の中に伝えられない気持ちが膨らんでいて溢れそうだな、と思う時にあふれる前に発散できるやり方を探しています。

作業を黙々とやっていて、突然立ち上がり、物を投げたり職員に掴みかかってきたりする女性の方がいました。最初はなぜ突然パニックが起きるのかわからず、暴れる彼女とひたすら体で付き合いながら気持ちが収まるまで待つ、ということしかできなかったのですが、その方が何が苦手で、どういう時にその思いを我慢しているかが少しづつわかってきてからは、その場を離れて外を歩く、投げてもいい柔らかいぬいぐるみなどを壁に向かって思いっきり投げる、一緒に叫ぶ、などすることで、大きなパニックにならずにすんでいます。

 

もう一人。言葉も話せて、かなり自立度の高い女性の方なのですが、不調になると、おとなしい利用者さんを狙ってひどくつねる、ということをします。同じ人を執拗に追いかけて他害しようとすることもあり、それを職員が制止しようとすると大暴れになります。

その方は普段から細かいことを気にされ、何度も職員に聴きに来たり、体の不調を何度も訴えに来たりします。自立度の高い方なので、職員の方に一度言えばわかるはずと思われていたり、体調不良の訴えも仮病のことが多いと判断され、まともに取り合ってもらえないことがよくあります。

ある日、もう作業が始まっているのにも関わらず、自分の着替えの袋が一枚足らない、と職員に訴えて回っていました。私は以前彼女と一緒に着替えの服を整理したことがあったので、自分の持ち場を他の方に頼み、彼女のへ行き一緒に探しました。その袋は無事見つかったので作業に戻るよう話し、私も自分の持ち場に戻ったのですが、しばらくすると彼女はまたやってきて今度はたくさんある小さなビニール袋をたたんで欲しい、と訴えてきました。きっと他の職員さんに頼んでも、そのくらいのこと作業が終わってからすればいいと言われ応じてもらえなかったのでしょう、何人かの職員を渡り歩き、私のところまで来たようです。私は彼女の中に不安や心配ごとがあって、それをせずにはいられないのだろうと感じました。なので「心配なことがあるんだね。あなたは袋もいつもきちんとたたんでおきたい人だしね。でも、私も今はこの場所を離れられないから、たたんで欲しかったらここへ持っておいで。」と話しました。彼女は一度引き返し、再び5枚ほどのクシャクシャになったビニール袋もをって現れました。私が袋丁寧に伸ばしたたんでいく様子をじっと隣に立ってみていたので「心配しなくても、全部きちんとたたんでおくよ。ちょっと時間がかかるから、まってても暇でしょ。その間作業してたら?」というと、すんなり作業に向かい、作業終了時間までしっかりやれたようです。

彼女は作業をさぼりたいわけじゃない。ただ、今はどうしても目の前のことが気になって、いてもたってもいられない状況。余裕のある時なら、あとでね、が通用するけれど、どうも通用しそうにない様子。

だとしたら、彼女の気になっていることを大切にしてあげることが、彼女自身を尊重することだと感じました。

そのあとも今度は大きめのビニール袋を三角にたたんで欲しいという要求を言ってきましたが、それは午後の休憩時にしようと話すと、納得して待つことができました。そして一日を穏やかに過ごすことができました。

彼女は家で虐待された経験があり、学童期は児童寮で過ごしています。自分の訴えを聴いてもらえなかったり、軽くあしらわれたり、約束を守ってもらえなかったり。。。。そんなことが積み重なって、小さな不安が生まれるとどうしようもなくなってしまうのでしょう。

彼女のストレスを小出しにさせてあげられるとしたら、しっかり彼女と向き合って、訴えてくることを真摯に受け止め、一つ一つ誠実に答えていってあげることなのではないかな、と感じています。職員に細かいことを訴えてこれる時点で、本人は小出しにしようと頑張っているのだから、それをきちんと受け取っていくこと。尊重して大切にすること。

これも、声に出しながら、他の職員さんと共有していきたいなあ、と思いました。


伝わるとうれしい!~その後~

2022-09-19 20:43:16 | 日記

こんばんは。

まきこっこです。

 

前回書いた伝わるとうれしい!のその後です。ちょっと長くなってしまいますが。。。。

実は、あの記事を書いた翌日大変なことが起こってしまったんです。

朝、Mさんが施設に到着してから、散歩に出たいという要求があって。私は送迎車に添乗していたのですが、その後は他の方の個別対応が入っているので付き合えなくて。でも午前中Mさんの担当になっていた方が「いいよ。私と散歩しよう。」とMさんと二人で出かけて行ったのです。その方はMさんが最初に執着し始めた大好きな職員で、Mさんとの関係も良好なのですが、私はそのやりとりの仕方に少し不安が残っていました。屋外に走り出したMさんを施設に連れて帰ってくることを、まだ一人ではできない方だったから。それなのにあっさり二人で出かける姿を見て、「私の知らない間に、やり取りに自信がついたのかな。」そう思って不安ながらも見送りました。

そして二人で出かけた先で、Mさんは大好きな職員の気を引きたくて、危ない坂道を猛スピードで駆け下り、転倒して体中と顔面にひどい擦り傷を負いました。結構な出血も伴い、見るからに痛々しい感じでした。

お家に連絡し、園長や課長からの報告と謝罪がなされたのですが、お家の方の怒りは冷めやらず、施設ごと訴える勢いでした。それでも、うちの施設以外に受け入れ先はないため、私たちは激しい叱責を浴びながらの利用継続となりました。

そしてお家の方からの要望で、しばらくは外出せず(ドライブも禁止)、施設内で過ごすことになりました。

私の中にどうしようもない怒りと落胆がありました。せっかくいい方向に行っていたのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。Mさんとのやりとりのコツをつかんだ職員と一緒に、他の職員にも伝えていく方法を探していこうとしていた矢先に。自信のない方はしないで下さいと言えばよかった?この職員さんなら大丈夫、というあいまいな感じにせず、限定すればよかった?見送ったあの時「一人でも本当に大丈夫?」と念押しすればよかった?

散歩に出られなくなれば、Mさんはまた施設内で暴れたり泣いたりするだろうし、他の利用者さんの安全確保のために、ダダをこねることも許されず抑え込まれてしまうのではないかと想像し、悲しくなりました。理解を示し始めた職員さんたちも、再びMさんのことを困った人扱いするようになってしまうかもしれないと思いました。

でも。

結果は予想外でした。

ケガが痛々しいうちは「ケガが治るまでは散歩には行けないよ。お家の人と約束したからね。」と話すことで、大暴れや大泣きはしないでいられましたが、傷がほぼ完治してくるのと同時にMさんの外出への要求は激しくなり、大泣きや大暴れが始まりました。しかし、その時の職員さんたちの対応がこれまでと全然違っていたのです。「外に行きたいよね。散歩大好きだものね。私達だってあなたと散歩したいんだよ。でもお家の方がまだ心配だから外には出さないでっていうから、私たちは約束を守るんだよ。早く散歩できるように一緒に頑張ろうね。それまで頑張って我慢しようね。」そういう意味合いの言葉をかけながら、暴れるMさんの体を制止するのです。職員を激しく押しのけて外へ行こうとするMさんを押さえ、数人で抱えて、時にはブルーシートに乗せて屋内に運び入れる、という図は以前と変わらないのですが、「あなたの気持ちはわかっているよ。」の要素が加わると、それは暴れる猛獣との戦いのではなく、おびえて荒れ狂っている手負いの獣を治療のために保護するかのような情景になります。有無を言わさず屋内に連れ込もうというのではなく、その場に座り込んで動かない葛藤の時間を、止まって待ってくれる様子も見られます。それがMさんにも伝わるようで、屋内に入った後、ドアをけったり大声で泣いたりすることが多いのですが、それも時間がどんどん短くなっていき、最近では入ってしまえばあきらめてすぐ自室まですんなり移動することもあります。

屋内での活動でも、Mさんとやり取りできるようになった職員が、部屋の窓から外に向けて水鉄砲を打って遊ぶ、ということを楽しそうにしていました。部屋の中に向けて水鉄砲を打たない、というルールを守れるということが必要で、お互いの信頼がないとできないことです。「あなたが約束を守れるとは思わない」と職員が思っていると、Mさんはすぐにそれを見抜いて約束を破って、期待に応えてしまう方だから。部屋中水浸しにして、何なら水鉄砲もたたきつけて壊すでしょう。

外に出ることができなくても、以前とは明らかに違うMさんと職員の姿を見ることができました。職員の方には自覚がないのか「もっとすごいことになると思ったけど、その割に穏やかに過ごせてるよね。Mさんが大人になったんだろうかね。がんばってて偉いよね。」と言っているのを聴きました。

満面の笑顔で外を歩き、聞き分けることもできるMさんを見ることで、職員さんたちのMさんに対する認識が自然に変わっていったんだろうと思うのですが、自然すぎて気が付かないようです。素晴らしい人達だなあと思います。

次回研修の時には、その辺しっかりお話ししてお伝えしたいな、と思いました。

 

長くなりました。

私の怒りや落胆、心配など、思いっきり杞憂だった話でした(^^)/